貴方の居る場所

 幸せな夢を見た。


 私が居て、貴方が居て。それだけで幸せなのだと、改めて思い知らされた。そんな、残酷な夢。


 ○○○


 私と貴方は、一軒家の中で穏やかな時間を過ごしていた。それが私の家なのか、貴方の家なのか、私の記憶の中にある誰かの家なのか、それともこの世界に存在すらしない家なのかは分からない。御伽噺に出てくるような木の小屋のようであり、現代らしいコンクリートの家のようでもある家の一室。そこで私達は朝食を食べていた。窓からは暖かく爽やかな朝の光が差し込んでいたし、テーブルに並べられたメニューを見ても、その時が朝であったことは疑う必要は無いように思えた。


 テレビはないけれど、質素な机と椅子はある。私達はそれらに腰掛け、他愛もない話をして、有限の時間を過ごしていた。


「最近、調子はどう?」

 貴方の問いに、私は答える。

「元気よ。お母さんもお父さんも健康そのもの。先週辺りから近所の散歩も二人で始めたみたい」

 貴方は「そっか」と微笑んで、バターが表面を潤す食パンをかじった。

 そんな貴方を見つめる私も、自然と笑みが込み上げてくる。それと同時に涙も目頭を熱くして、私は慌てて顔を抑えた。


「どうしたの?」


 貴方は首を傾げる。その仕草も愛おしい。

 なんでもない。そう呟いたはずなのに、貴方は手を伸ばして、顔を抑えた反対の手、私の左手を包み込んだ。ひんやりとした大きな手が私の手と重なり、そして指と指が絡まる。


「僕は此処にいるよ」


 儚げな笑顔が今にも消えてしまいそうな錯覚がして、私は思わず貴方の手を握り返した。すると貴方は、ちょっとだけ顔の色を暗くした。


「ずっと、ずっと、待ってるよ。君が此処に来る日まで。此処には何もないけれど、待っていられる。君ともう一度出会うためなら、そのくらいどうってことない」


 だから、と、貴方は言葉を続ける。


「君は、自分の生を生きて。他の誰かと恋愛をして、子供を育んだって僕は何も言わない。嫉妬はするかもね。でも、君の生を邪魔したりはしない。その代わりと言ってはなんだけど、どうか、僕のことを忘れないで。いつかこちらに来た時にでも立ち寄って、『幸せになれた』って、笑顔で伝えて。僕はそれを待ってるよ。いつまでも、いつまでも」


 頬に流れる何かを感じた。貴方はそれを拭った。冷たい涙も相まって、ヒヤリとした感触が私を現実へ連れ戻そうとするのをぼんやりと感じ取った。


「僕は幸せだよ。だって、君と出会えた。それだけで生まれてよかったと思えたよ。

 出会ってくれて、ありがとう」


 はっきりとした声でそう告げる貴方も、なんだか泣いているようだった。


「私も、あなたと出会えてよかった。やっと自分を好きになれた。こうしてまた話せて幸せだった」


 残酷な夢を見た。もう会えないはずの貴方に会えて、そしてすぐに別れを迎える。気づけば窓の外は闇に飲まれて、机の上の食事は消えていた。


 残酷な夢を見た。なのに覚めたくない。この冷たい温もりをいつまでも感じていたい。


 手は繋がっている。けれど貴方は遠ざかっていく。ああ、違う。私が離れているのだ。この世界から現実へと引き込まれて行っているのだ。


 幸せな夢を見た。


 ○○○


 私は花々に囲まれて、その中に横たわる。ぱちぱちと、火の匂いが熱く香る。

 私は貴方との約束を守れなかった。それなりに幸せにはなれたけど、貴方に変わる誰かには出会えなかった。一生をかけても埋められない穴だった。

 なのに貴方に会いたいと願う私は、貴方の居る場所に辿り着けるのでしょうか。卑しい私は、すぐには行けないかもしれない。


 貴方はまだ、あの場所で待っていますか。貴方はもう少し、待っていてくれますか。


 あの日夢で見た、あの場所で。



__________




今回の作品は、Twitterにて開催された『月に詠む物語第3話』への応募作品となっております。

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