ただいま

「ねえ、あれ見て」

「見ちゃダメだって! あっち行こ」


 俺が歩けば、そこに道が出来る。誰一人として俺に道を空けない奴はいない。そして俺は、そうして出来た道をさも当然とばかりに歩く。


 ……つまんねえの。


 こんなつもりじゃなかった。俺はただ、俺を見て欲しかっただけなんだ。黒い髪を金髪に染めたのも、耳に沢山の穴を開けたのも、体に害しか与えない、大して美味くもないタバコに手を出したのも、全部。

 優等生の『僕』じゃなく、ありのままの『俺』を。


善哉ぜんや


 随分前に家から出ていったの声は、未だに俺を縛り付ける。口調もみてくれも変えたのに、に刷り込まれた習慣は、いつまで経っても直らない。


「ぜんやー!」


 俺の目の前に開けていた廊下の先から、怖いもの知らずが走ってくるのが見えた。

「善哉! おれ達一緒のクラスだぜ! やったな!」

 高校生のくせに、まるで小学生のように頬を紅潮させて喜びを俺に伝えるかなでを、俺は無視した。目を合わせるどころか視界に入れる素振りすら見せずに、横を素通りする──が、背後からがっしりと左肩を掴まれた。

「待ちなよ佐藤くん。親友である僕を無視するなんて一体どういうつもりなのかな?」

 そう奏が言った途端、周囲にザワりと声の波が起こった。


「え、あんなのと友達なの?」

「ちょっと、近寄るのやめとこうぜ」

「良い奴っぽかったのにな」


 奏は外見も内見も優しく物腰も柔らかで、男女を越えて人に好かれる体質だ。中学では俺と仲良くしているせいで友達が離れていったらしいが。

 高校では失敗せずに、充実した学校生活を送って欲しい。そう願っていたのに。


   ◆❖◇◇❖◆


「おい、なんのつもりだ?」

 学校が終わり、奏を捕まえてトイレに連れ込み、俺は詰め寄った。奏は背が高く、俺はやや背が低いので、俺が奏を見上げる形になる。声が反響して不快だが、邪魔が入らずに話せる場所がここくらいしか思いつかなかったのだ。時折利用者が入ろうとしてくるが、その都度そいつを睨んで追い払う。


「それはこっちのセリフだよ! 中学三年でようやく元に戻ったのかと思ったら、まさかの高校入学初日から不良スタイルに戻っちゃって。しかもおれのことまで無視してさ?」

 奏がじとりと俺を睨む。全く悪びれてはいないようだ。

 中学三年の頃に一度髪を戻してピアスも外したのは、そうしないと高校に入れないからだ。入学さえしてしまえばこっちのものだ。


「この高校、確かに染色もピアスもオーケーってなってるけど、校長や生徒会の圧力で校則も効力を持たなくなってるし、実際に校則改正が検討されてるって話だよ。自由な校風っていうのがこの高校のキャッチフレーズだし、わざわざ校則改正する必要があるのかって声が大半を占めているからまだ実践には至っていないみたいだけど、それも時間の問題だ」


 そんなことわかっている。俺だって校則については嫌という程調べ尽くしたのだ。言ってしまえば奏よりも詳しいだろう。

 そう。わかっているのだ。でも。


「……今更、どうしろって言うんだよ!」


 一度間違えてしまったのだ。高校の同級生たちにも自分のことは既に知れ渡っているだろう。そんな状態で明日から真面目に振舞ってももう遅い。それに正当防衛とはいえ、俺は他人に暴力を振るったことがあるのだ。この見た目のせいで他の時代遅れの不良や不良もどきに狙われて、襲われたことが何度かある。その度に逃げて、逃げた先で武器を探して返り討ちにした。太い木材を使ったり、レンガなんかも使ったりした。自慢じゃないがそこそこ頭も回るので、時に頭を捻って打開策を講じたり、あとは独学で護身術を学んだりした。


 そういった過去は変わらない。たとえ高校で大人しくしていても、いつか誰かにバレてしまう。人間は醜い生き物だ。隙さえあれば他人を蹴落とす。自分に害を与えそうな存在は許さない。そういう存在なのだ。ならば、変に友達を作ったりせずに孤独に過ごそう。そう思っていたのに。

「それに、なんでお前がここにいるんだよ! 近場とはいえ県外だぞ?! 県外なら俺を知ってる奴は誰もいないと思って来たのに、なんでわざわざ来るんだよ! お前も!」


 怒鳴ると、奏は優しく微笑んだ。

「優しいな、善哉は」

「はあ?!」

 何がだよ、と更に続けようとしたが、奏があまりにも切なく、そして悲しそうに笑うので、俺は何も言えなかった。

「ねえ、善哉。おれ達親友だろ? 辛いなら言いなよ。なんでも聞く。愚痴でも何でも。一応お互い一番古い付き合いだし、口も固いし他の奴よりかは善哉の事情も理解してる。おれは善哉に無理して欲しくないよ」


「うるさい!」


 それ以上聞きたくなくて、俺は奏が何かを言うよりも早く、声を張り上げて言った。


のことなんて、誰もわかんねえよ!」


 そう吐き捨て、俺はトイレから飛び出した。教師の怒声と、奏の「ほら、無理してる」という言葉は、無理やり頭の端へ追いやり、聞こえないことにした。


   ◆❖◇◇❖◆


 幼稚園の頃は、褒めてもらってばかりだった。

「すごいね、ぜんやくん! もう一人でお使い出来るの?」

「ひらがなもカタカナもじょうずに書けて、えらいね!」

「えっ、たしざんとひきざんもできるの?! すごい!」

 そうやって先生が褒める度に、母さんは胸を張っていた。

「そうでしょう? うちの善哉は凄い子なんです!」


 小学校の頃は、怒られてばかりだった。

「はあ?! なにこれ九十六点? どうして百点じゃないの! たかだか塾のテストでしょう?」

 中学校の範囲を小学三年になりたての頃からさせられて、さらにテストでは常に満点を取るように要求された。母さんは他の家の子がどうだとかばかり気にして、俺の意見なんて聞きもしなかった。


 中学校の頃は、叩かれてばかりだった。この頃は、もう俺の感覚は麻痺していた。中学は私立の偏差値の高いところに入れられ、友達とも離された。 それから、母さんは勉強以外のことでも俺を叱るようになっていた。晩ご飯を抜かれたりすることもざらにあった。朝ご飯は学校の授業に差し支えるからと勘弁してもらえていた。母さんは、学校の授業はなんの価値もないと思っていたけれど、授業態度なども通知表の成績に反映されるため、学校に行かせてはもらえていた。


 母さんは『教育熱心な母親』として有名だった。「善哉は立派なお医者様になる」。それが母さんの口癖だった。そして、それは俺と母さんとの約束事でもあった。

 医者になるというのは、母さんの昔の夢だったそうだ。しかし、主に性別面でのしがらみがあり、大学の医学部まで進学したがその道を断念。医者である父さんと出会い、生涯の職業として専業主婦を選択したんだそうな。そして自分の夢を俺に押し付けたという、まあつまり、よく聞く話なわけだ。


 俺も悪かった。幼い頃、母さんの「医者に成って欲しい」という言葉を聞いて、何も考えずに「うんいいよ!」と頷いたのは、他の誰でもない俺自身なのだから。

 そう思い続けたある日、いきなり俺の中で、何かがぷつんと切れた。具体的なきっかけも日付も何も覚えていないけれど、確か、中学一年生の二学期の半ばだった気がする。


 その日の俺は、俺らしくなかった。使い道も思い当たらずただ貯めるばかりだった父さんからの小遣いを全て持ち出して美容院へ予約無しで行き、女みたいに肩まで伸ばしていた髪を切って金に染めた。その帰り道でスマホで調べたピアス専門店でピアッサーを買い、ピアスもいくつか買った。


 勉強をほったらかしにして無断で外出した俺を鬼の形相で待ち構えていた母さんは、俺の変わり果てた姿を見るなり家を追い出した。それを予想していた俺は迷いなくコンビニに行って余った小遣いで食べ物を買い、スマホの電源も切った。行く当ても無く歩いていた道端に、タバコの自動販売機を見つけて買った。その後に火をつけるものを何も持っていなかったことに気づき、タバコデビューはお預けになったけど。


 それからどうしたのかは、実を言うとあまり覚えていない。警察に捜索願いが出されたらしく、俺は二日後にあっさり発見された。その間どうやって過ごしていたのかもまるで記憶に残っていない。

 警察から帰ると父さんと母さんは一週間口頭での大喧嘩を繰り広げた後、離婚。親権は父さんに渡った。


 俺は俺の日常に、別れを告げることになったのだ。


 当然、誰も俺に近寄らなくなった。唯一幼稚園からの付き合いだった奏を除いては。奏は何故か俺に執拗に絡み、事あるごとに話し掛けてきた。奏の優しい性格から察するに、単に俺のことが心配だったのだろうと思うが、他の友達を失ってまで俺の傍に居続けた理由がわからない。


   ◆❖◇◇❖◆


 医者である父さんは、ほとんど家を空けている。数日帰ってこないということも頻繁にあるので、よそに女でも出来たのだろうと勝手に思っている。そうでなくても、こんな不良息子と一緒になんか、暮らしたくないんだろうな。


 いつものように、料理を作ろうと台所に立つと、インターホンが鳴った。荷物を送ってくるような知り合いはいないし、父さんはネットで買い物をしない。と言うよりそもそも買い物自体あまりしないのだ。だから宅配なんかの可能性は低く、むしろ嫌な予感がしていたのだが、俺は一応確認した。


 モニター越しに見ると案の定、奏が来ていた。奏は俺が対応しない限り絶対に帰らない。どうやってか親を丸め込んでいるのでストップがかかる兆しもない。そしてインターホンを鳴らし続けるので、近所迷惑にもなる。俺はマンション住まいなのだ。


「何の用だ?」


 玄関を開けると、スーパーの袋を二つ提げた奏がいた。奏は俺を視界に捉えるなり、「入学パーティしよう!」と叫んだ。

「は、え、ちょ、ま」

 俺が何と言って追い返そうか迷っている隙に、奏はズカズカと家に入り込んだ。

「待て! 俺は入っていいとは言ってないぞ! 不法侵入……」

「まあまあいいからいいから。鍵閉めてリビング来てよ!」

「なんで俺じゃなくてお前が招くんだよ!」


 と言いつつ防犯のために鍵を閉めないわけにもいかず、俺はがちゃりと鍵を回した後、慌てて奏を追いかけた。真っ直ぐに伸びた廊下の突き当たりを右に曲がってリビングに入ると、すぐ側で奏が座っていた。

「早く座れよ!」

『わくわく』と書かれた顔をこちらに向け、指を自身の向かいに向ける。

「帰れ」

 俺は奏の服の襟を後ろから掴み、ずるずると引きずった。奏の体はもちろん人並みに重たかったが、引きずれないほどではない──が、奏は机にしがみついた。

「なっ!? この、離せ!」

「やだやだやだやだ! 善哉と一緒に入学パーティするんだー!」

「わがまま言うな! 俺はしたくない!」

「おれはしたい!」

「したくない!」

「したい!」

「したくない!」

「したくない!」

「したい! ……あ?」

 しまった、と思うがもう遅い。にやあっと笑った奏は服の襟から俺の手を外し、逆に、握った俺の手を引っ張ってさっき座るように言った場所に強引に俺を座らせる。

 奏はただ優しいだけではない。滅多に他人に見せない一面ではあるが、こうした子供っぽい表情もするのだ。


 そして奏はいそいそと持参したスーパーの袋から一リットルのジュースが入ったペットボトルを二本取り出した。それぞれコーラとオレンジジュースで、それは昔、俺が飲むことを許可されなかったものと許可されていたものの組み合わせでもあった。

「どっち飲む? コーラでいいよね? じゃあコーラにするね! 冷蔵庫借りるよ!」

 勝手にぎゃあぎゃあ言ったあと、奏は俺の意見などお構い無しで冷蔵庫にオレンジジュースをしまった。食材は必要最低限しか買わないので、たとえ一リットルの容量があるペットボトルでも、入れるのは容易だっただろう。奏が入れたのは冷凍室だったので、他のところよりも物が入っているだろうが。


 ぼうっとそんなことを考えていると、何を思ったのかガバッと一番上の冷蔵室を開けた。座った状態からもガラガラにスペースが空いてるのが見える。

「あ、ビールがある。これ、善哉の?」

 なんでもないことのように奏が俺に尋ねた。

「……違う。俺は酒は飲まない」

 酒はあまりパッとしないというか、未成年が酒を飲むのは、ただふざけてる感じがするから、飲まないのだ。


 奏はがちゃがちゃと音を鳴らしてから、バタンと閉めた。その手には、一本の缶ビールが握られていた。

「何してんだ!」

 俺はびっくりして立ち上がった。

「わあっ、見つかっちゃった。まあまあ座ってよ」

 奏はてんで動じることなく、自由に食器棚を探ってコップを取り出した。

「几帳面だよね、お父さんも善哉も。それぞれ名前を書いて持ち物を分けてるんだ」

 食器棚は、右が俺の物を、左が父さんの物を置いてある。ネームプレートを置いてあるのは、もう置く意味は無いのだが、引っ越したばかりの頃の物をそのまま放置してあるのだ。


 奏の言葉は独り言のようだったので、無視した。

「なんで四つなんだ?」

 器用に四つ、奏はコップを持っていた。捨てるのが面倒でなんとなく置いていたコップだ。

「んーっとねー」


 奏はカンッと音を立てて、ビールを机に置いた。

「飲んじゃおっか」

「は?」

 何言ってんだ、そう言おうとした。けれど奏の表情は真剣そのもので、俺は何も言えなかった。

「ほら、二人で一本だし。ちっちゃいやつだし。お父さんには善哉が一人で飲んだってことにしてさ」

「なにサラッと俺に全ての責任を押し付けようとしてんだよ」


 いや、それ以前の問題だ。


「大体、お前はそんなことする必要ないだろ。未成年は酒を飲んじゃ」

 いけない、という言葉を、俺は捨てた。

「善哉がそれを言っちゃう?」

 奏が、あまりにも寂しげに笑うから。


「高校生初日くらい、羽目を外してもいいんじゃないかな?」

 初日だからこそ、気をつけないといけないんじゃないか。

 俺が思ったことを言葉にするより先に、奏はビールを二つのコップに注いだ。それからジュースが入っていたもう一方の袋から、大量の食べ物を出した。スナック菓子に焼き鳥に寿司に……。ジャンルもバラバラだ。


「準備完了! カンパーイ!」

「かんぱーい──ってなんでこうなった?!」

 すっかり流されてしまった。こんなつもりじゃなかったのに。

「色々あるから好きなように食べて食べて! お父さん帰ってこないよね?」

 おそるおそるビールに口を付けながら、俺に尋ねる。

「苦っ」

「ああ。当分帰らない」

「ねえ苦くない? 苦くない?」

「質問したのはお前なんだからちゃんと聞け」

「苦くない?」

「聞け」


 それからしばらくは、他愛もない昔話に花を咲かせた。幼稚園の頃はあーだった、小学校の頃はこーだった。

「中学でいきなり善哉が不良になったのにはびっくりしたよー」

「それは、その、色々あって」

「まあねー。善哉はいっぱい抱えてるもんねー」

 その言葉にイラッとした。奏はだんだん酔ってきていて、無神経な発言をしてしまっているのだろうが、それでも、何がわかるんだと思ってしまう。


「わかるよ」


 奏はそう、酒を飲もうと言った時と同じような真剣な表情で俺を見た。

「何年の付き合いだと思ってるの」

「……」

「ねー、善哉。さっきおれにはお酒を飲む『必要が無い』って言ったよね? じゃー、善哉にはあるの? そうやって、不良みたいに振る舞う理由」

「……」


 理由。


 そんなもの。


 そんなの。



 わからない。



「おれはね、善哉に戻って欲しいと思ってるんだー。『優等生』の善哉じゃなくて、『善哉』に。昔おれの家に遊びに来てた時に見せてくれたのが、本物の善哉だって勝手に思ってるけど、違うならそれでもいー。でも少なくとも、善哉は『優等生』でも『不良』でもないでしょ?」

「……」

「おれはしつこいよー。善哉が善哉に戻るまで、ううん、その先にだって、おれは善哉のそばにいる。絶対に離れない。離さない。逃げない。逃がさない」

「他人が聞いたらおかしいからな、それ」

「他人に言わないもん。善哉にしか言わないもん。

 親友だもん」

「……そっか」


 返事に困って曖昧にはぐらかすと、「そっかってなんだよー」と、ふにゃふにゃした奏の声が返ってきた。

「なあ、奏」

「んー?」

「俺、さ」

「んー」



「変わっても、いいのかな」



 返事はなかった。ぐっと唇を噛んで、なんと誤魔化そうかと考えながら奏を見た。

 奏は、寝ていた。俺は自分の表情筋が引きつるのを感じた。

「お前なー」

 コツンと小突くが、起きる気配はない。俺は奏をソファに寝かせ、薄い布団を掛けた。それから散らかった机を見て、笑いを含んだ溜め息を吐いた。そして、気づいた。


「俺、いま、笑ったか?」


 自然に笑ったのなんて、いつぶりだろう。愛想笑いならずっと昔から続けていたが。

 自分は思っていた以上に奏に救われていたのだと、今更ながらに気がつき、今度は自分に呆れて溜め息を吐いた。

 片付けよう。そう思って手を動かそうとした、その時。


「善哉」


 リビングの出入口に、人が立っていた。

「え、なんで」

「善哉」


 戸惑う俺をよそに、その人は言った。


「ただいま」


__________


今回の作品は、Twitterにて開催された『月に詠む物語第2話』への応募作品となっております。

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