四
春、麗らかな天気だった。
悠と叶多さん、俺、そして神楽と、よく知っている公園でゲリラLIVEをしようと音出しの準備をしていた。
草木の心地良い香りが鼻をくすぐる。
悠がギターを弾き、それにつられるように叶多さんが歌を紡ぐ。
俺は持っていたペットボトルでドラムの真似事をする。神楽は笑いながらやはりペットボトルでベースの真似事をした。計画自体が急すぎて、楽器を持って来れなかったみたいだ。
俺たちはハリボテの楽器を指先で弾きながら、叶多さんの歌声に合わせる。
だが、俺の演奏だけ思うように行かなかった。
肝心の叶多さんの歌声が一切聞こえなかったからだ。
その違和感を感じているのは俺だけらしい。
悠と神楽は俺の演奏が止まっているのにも関わらず叶多さんの歌声が聞こえているかのようにのびのびと奏でていた。
「なあ、みんな待ってくれ」
そう声をかけても誰も見向きもしない。
俺の声も、俺の存在自体も見えなくなっているかのように。
「叶多さんの声が聞こえないんだ、叩けないんだよ、おい、みんな」
心做しか、目の前の景色が霞んでいくように感じる。
「待てよ!」
気づけば、滅多に出さない大きさの声を張り上げていた。
だがそんな俺の声も虚しく、誰にも届かないまま、意識が飛んだ。
ふと、天井が映る。夢だったようだ。
頬に手をやると、かすかに濡れていた。
外は大雨が降っている。低気圧の所為か頭が割れるように痛い。
重い頭を抱えながら上半身だけ起き上がる。
奇妙な夢だった。枕元に置いてあったスマホを見る。時刻は朝、7時を回っていた。
何故叶多さんの声が聞こえなかったのか。
心当たりがあった。誰かから聞いた言葉を思い出す。
"人は 死んだ人を忘れる時 声から忘れていくらしい"
無論、CD等を聞けばすぐにわかるのだろう。
目を瞑る。頭の中をほじくり返すかのように、色々な出来事を思い返してみる。だが記憶の中での叶多さんの声は、霞んでいて思い出しようにも思い出せなかった。
気づけば、涙が溢れ出していた。嗚咽混じりに溢れる"それ"を止めようと布団で顔を抑えた。
大切な人の大好きなモノすら、自分の中にはもう無い。
何故、時間は俺を置いていくのだろうか。息をするだけで、大切なモノを奪ってしまうのだろうか。
生きていく事で全てを忘れてしまうなら、俺は今死んだっていい。
勿論、そんな馬鹿な事が叶わない事など理解している。
7時半に設定したアラームが、無機質な部屋に鳴り響いた。
今日は就職が叶った会社の初出勤の日。
今日ほどベッドから動きたくない日は無かったが、今までの苦労が水の泡になる事だけは嫌だった。
涙は止まっていた。すっかり腫れた目を擦り、出社に向けての準備に取り掛かる。
こんな調子で叶多さんの欠けた音楽など出来るのだろうか。
まだ何もしていないというのに、漠然とした不安が俺を襲った。
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