第88話 舞台裏2~レーネ=オルソー~
※レーネ=オルソー視点のお話です。
バウアーから追放されアパラチアに移り住んだお兄様と私を待っていたのは、とても厳しい現実でした。
オルソー家は没落前の商いの繋がりで、何とかアパラチアでも商売をしていけそうでしたが、お兄様と私は勘当の身です。
実家を当てにすることは出来ませんでした。
『レーネ、もう少し頑張ってみよう』
『うん……』
私たちがしてしまったことを考えれば当然の罰だと思いましたが、それでも生きていかなければなりません。
お兄様と私は何とか頼み込んで、ある宿で泊まり込みの仕事をさせて貰えることになりました。
店主の男性は気難しい人でしたが、優しい人でもありました。
身寄りのない私たちを受け入れてくれたあの人のことを、お兄様も私も生涯忘れることはないでしょう。
宿屋では、お兄様が接客と事務作業、私が料理を担当しました。
お兄様は元々柔和で人当たりのいい接客向きの性格だったので、すぐに仕事に馴染みました。
私は私で、日々の仕事に懸命に打ち込みました。
『……紹介状を書いてやる』
やがて、宿の男性は次の仕事先を紹介してくれました。
元々、まとまったお金が貯まるまでという契約でしたから、次の仕事のあてまで紹介して貰えたのは幸運極まりないことでした。
しかも、紹介先はアパラチアでは有名な高級レストランです。
私はここが勝負だと感じました。
働き始めのうちしばらくは、大人しく雑務をこなしました。
まず、店の仕組みや人の動きが分からなければ話になりません。
ですが、それは最低限のことです。
私にはある野望がありました。
そのレストランでは月に一回、皆が独自の料理を提案してレシピを競う品評会がありました。
私が狙っていたのはそれでした。
私はレイちゃんから貰ったレシピをここで使うことを決めました。
『なんという味わいだ……!』
『こんな料理は食べたことがない!』
品評会で私が作ったのは海老とブロッコリーのマヨネーズ炒めでした。
まだバウアーでもブルーメでしか使われていないマヨネーズを使ったこの料理は、品評会で非常に高い評価を受けました。
レシピはレストランの正式なメニューに採用され、私も調理の重要な部分を任せて貰えるようになりました。
そこからは信じられないほど、幸運が続きました。
海老とブロッコリーのマヨネーズ炒めは瞬く間に人気メニューとなり、レストランには色々な人が足を運ぶようになりました。
その中に、一人のお金持ちがいたのです。
エドガーさんというその方は大変な美食家でもあり、いつか自分の理想のレストランを開きたいと考えていたそうです。
そして私はエドガーさんから、お金を出すから自分の店を持たないかと持ちかけられました。
あまりにもうますぎる話に、最初は詐欺を疑いました。
お兄様は事務手続きを学ぶ中でアパラチアの法律も学んでいましたから、エドガーさんについて詳しく調べて貰いました。
ですが、彼はアパラチアでは有名な美食家らしく、どうもお店を持つ話も私たちだけに持ちかけているわけではないようでした。
彼の出資を得て独立した有名レストランは少なくなかったのです。
お兄様と私はエドガーさんの申し出を受けることに決めました。
『レーネ。ここからが本当の始まりだね』
『ええ、お兄様』
店の名前は「フラーテル」と名付けました。
バウアーの古い言葉で『兄妹』という意味です。
『恋人』という意味の言葉をつけることも考えましたが、これはお兄様と私にとっての自戒です。
犯した罪を忘れず、そして乗り越えていけるように――そんな祈りを込めてつけました。
レイちゃんのレシピを使ったフラーテルは瞬く間に有名レストランとなりました。
中でも人気を博したのが、デザートとして供されるクレームブリュレでした。
このレシピにはレイちゃんやクレア様との思い出がたくさん詰まっています。
そんな一品がフラーテルの地位を押し上げてくれたことに、私は運命を感じずにはいられませんでした。
合わせて売り上げに貢献してくれたのは、お兄様が考案した魔道具の調理器具でした。
これもバウアーにいた頃、レイちゃんと話し合ったアイデアだったそうです。
これにより少ない人員でも大量生産が可能になり、色々なお店にクレームブリュレを卸したり、個人販売に委託したりと間口を広げていきました。
同時に調理器具自体もコンセプトや実機を販売しました。
お兄様も大変な活躍をして下さったのです。
そうしてフラーテルが軌道に乗ったのがつい先月のこと。
私とお兄様は今、バウアーにいます。
サッサル火山の噴火と、それに伴う王国内の不穏な動きについて耳にしたからです。
追放処分を受けた私たちは、本来であればバウアーに入ることは出来ません。
ですが、そんな私たちの元に、革命政府を名乗る組織から出資を募る申し出がありました。
バウアーで何かが起きている。
いても立ってもいられなくなった私は、出資を承諾するとその契約のためという名目でバウアーを訪れることにしたのです。
『これは……』
『酷い……』
久しぶりに見た王都は、記憶にある美しい町並みとはかけ離れた状態でした。
噴火の直接的な被害と思われる建物への被害も甚大でしたが、何より辛かったのは人々の顔に生気がないことでした。
私は革命政府に要求されていた以上の資金援助を申し出ました。
放ってはおけないと思ったのです。
最初、私は自分の貯金から出資を行うつもりでした。
ですが、お兄様はそれに待ったをかけました。
『僕たちが今生きていられるのは、ロセイユ陛下の温情だ。陛下は亡くなったけれど、僕も一緒に恩返しをさせて欲しい』
こうして、フラーテルの全体として援助を行うことを決めました。
このことは結果的に予想外の結果に繋がりました。
まず、革命政府は大口出資として、私たちを厚遇してくれるようになりました。
それ自体は何も意外なことではありません。
想像していなかったのは、彼らが自分たちの活動の内容を、事細かに報告してくれるようになったことでした。
そうして、その報告の中に私は見つけてしまったのです。
――フランソワ公爵とその娘を捕縛。
それを見た瞬間、私は気を失いそうになりました。
革命政府は貴族政治を打倒しようとしています。
このままではクレア様の命が危ないのです。
出資を取りやめることは簡単でしたが、その頃にはもう革命政府はフラーテルの出資がなくともやっていけるだけの資金を確保しているようでした。
ならばむしろ、このまま革命政府内にとどまって、その動きを逐一監視する方が得策だと考えました。
じりじりとした日が続きました。
クレア様が殺されてしまうかも知れないのに、何も出来ることがなく、ただ事態の推移を見守るだけの日々でした。
そうして、マナリア様から手紙が届いたのが今朝のことです。
「レイちゃん!」
「久しぶり、レーネ。それとごめんね」
再会するなり、レイちゃんは私に深く頭を下げました。
彼女はずっと真意を隠していたこと、クレア様を止められなかったことを謝罪してくれました。
「レイちゃんにどうにもならなかったんなら、誰でも無理だったよ」
「でも……」
「それに、諦めてないんでしょ?」
「……うん」
静かに頷いたレイちゃんの顔には、決意がみなぎっていました。
どんな手段を使ってでも、クレア様を取り返す――その決意が。
「なら協力させて? 一緒にクレア様を取り戻そう?」
「ありがとう、レーネ」
こうしてお兄様と私は、フラーテルとして革命政府に協力しつつ、個人としてはレイちゃんたちのクレア様救出作戦に加担することになった。
「……クレア様……」
今も敬愛する、我が永遠の主。
クレア様が何を思って革命に散ろうとしているのかは、容易に理解出来た。
でも――。
「私は、生きていて欲しいです」
裏切った私にこんなことを言う資格は、もうないのかも知れない。
でもそれが、私の偽らざる願いだった。
「僕たちは出来ることをしよう。やれるね、レーネ?」
「うん!」
私は一人ではない。
レイちゃんだってマナリア様だって――そしてお兄様だっている。
「待ってて下さいね、クレア様」
レイちゃんと同じく確かな決意を胸に秘めて、私は「その日」を待つのだった。
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