第87話 舞台裏1~マナリア=スース~
※マナリア=スース視点のお話です。
バウアーへの留学から帰国したボクを待っていたのは、うんざりするようなお家騒動だった。
やれ次の王はだれだだの、どの派閥につけば甘い汁を吸えるかだの、民のことを置き去りにした貴族連中の頭の中は、自分たちのことで一杯のようだった。
ボクはあまり真面目とは言えない人間だが、それでも王族だ。
政治にはあまり関心を寄せて来なかったが、民を慈しむ最低限の愛情はある。
そんなボクに言わせれば、帰国したばかりの頃のスースは、はっきり言って見るに堪えなかった。
――このままでは、国が滅びる。
危機感を覚えたボクは、仕方なく王位継承レースに再び名乗りを上げた。
進んで戻りたい道ではなかったものの、このままでは民が不幸になる。
こんなボクにでも出来ることがあるのなら、それを全うしたいと思う程度には、ボクも王族だったわけだ。
『……でも、ボクに一体何が出来るだろう』
一度は追放された身であるボクは、最初のうちほとんど支持を得られなかった。
女遊びのスキャンダルはまだ国民の記憶に新しいところで、これは厳しいだろうかと思う場面が続いた。
それでもボクは腐らず実直に、民のためを思う政策を唱え続けた。
『マナリア=スース様ですか。私はこういう者です』
潮目が変わったのは、スースで一番大きな新聞社の取材を受けた時だった。
それまでその新聞社が取り上げてきたのは、当時王位継承争いの上位にいた王子たちばかりだった。
だが、ある若い記者がぜひに、と取材を申し込んできたのだ。
記者の名前はベッティーナ=エルミーニ。
新聞記者としてはまだ珍しい、若い女性の記者だった。
黒縁眼鏡を掛け、ぼさぼさの髪の毛をした彼女がやって来たときは少々不安も覚えたが、そんな余裕はものの数分でかき消えた。
『単刀直入に聞きます。あなたは女性の敵ですか?』
ベッティーナは相手が王族であろうと容赦はしなかった。
その茫洋として外見から想像もつかない鋭い舌鋒に、ボクは彼女への評価を大幅に変更する羽目になった。
提灯記事を書く新聞記者も少なくない中、彼女は本物のジャーナリストだった。
自らの目とペンでもって、真実をえぐり出そうとする気概を感じた。
質問は多岐に及んだ。
女性スキャンダルのことはもちろん、ボクがどのような政治を行おうと考えているのか、人柄はどうか、スースの未来をどのように思い描いているかなど、取材は実に五時間半にも及んだ。
その五時間半の間、彼女は一切の隙を見せなかった。
ボクはそれに答えるため、全身全霊をかける必要があった。
思えば、誰かに自分のことをあれほどまでに語ったことはなかったように感じる。
ベッティーナの質問の中には、私的な部分に当たるものも少なくなかった。
それがもし野次馬根性であれば答えるつもりはなかったが、彼女にそのつもりがないことはすぐに分かった。
彼女はただ純粋に、ボクという人間のことを先入観なく判断しようとしていた。
『独占取材:マナリア=スース――その人物と未来像』
ベッティーナの記事は大きな反響を呼んだ。
もしかすると、マナリア=スースという王族は、この時初めて国民の前に姿を現したのかもしれない。
記事の公開直後は、まだボクへの評価は割れていた。
だが、注目度は段違いに増し、そこから段々とボクの政策を評価してくれる人が増えていった。
その後もボクは小まめに自分の情報を発信しながら、逆に市民からも意見を募った。
早急な対応が急がれる意見はちゃんと政策に反映して行くと、市民感情はどんどんボクの方を向いて来くれた。
最初からそこまで考えていたわけじゃない。
ただ、何かのとっかかりになればいいと思ったのだ。
こんなことは当たり前のことだ。
なのに思っていた以上に効果があった。
王族として恥ずべきことに、スースではこの当たり前すら出来ていなかった。
自分たちを見ようとしない王侯貴族たちに、民たちも嫌気がさしていたのだろう。
ボクへの支持は着実に広まり、醜聞を繰り返すだけの対抗馬たちは、徐々に勢いを失って行った。
数ヶ月後、前王が次の国王として指名したのは、他の誰でもなくこのボクだった。
あまりにもあっさりとしていて、正直、拍子抜けはした。
だが、それは紛れもないこの国の選択だった。
反対勢力の有権者も、この国を見限り他国に流れていく者が少なくなかったのだ。
この国は疲れていた。
国を背負うということは重たかったが、案外、やりがいのあることのような気がしてきた。
ボクは子どもを産むことはないだろうが、子どもを育てるのと同じくらい、あるいはそれ以上に面白そうだと思った。
反発を食らうだろうから、そんなことは決して表では言わないけれど。
そうしてしばらくは国内の政治改革に集中していたボクの元に、やがて思いもよらない知らせが飛び込んでくる。
『申し上げます! バウアー王国で火山が噴火したとのことです!』
同盟国として、ボクはすぐにバウアーへの救援策をまとめた。
だが、バウアーの貴族たちが臨時政府なるものを立ち上げた段になって、これはいよいよ危ないと感じた。
貴族たちは王族さえ無視して民を置き去りにした政治を行おうとしていた。
しかもそれを率いているのがあのドルだという。
不可解だった。
だが、彼の真意を見定める余裕はなかった。
事態の背後に、ナー帝国の姿が見え隠れしていたからだ。
ボクは万が一の事態に備え、スースの軍を率いて駆けつけることにした。
こうして、紆余曲折あってバウアーへと駆けつけたはいいが、臨時政府も革命政府もスースの扱いに困っているようだった。
革命政府は背後にナーがいるから無理もないとしても、ドル率いる臨時政府もまた、要領を得ない。
ボクはドルに直接会って話を聞こうとした。
そして、革命の瞬間に立ち会うことになった。
ドルは革命政府に捕らわれ、程なくしてクレアもまた投降したという。
ボクの中で違和感はますます大きくなった。
『何かがおかしい』
あのドルが汚名を甘んじて受け入れていることも。
そんなドルをクレアが放っておくことも。
そして何より、レイが二人を止めていないことが一番おかしかった。
私は慎重に情報を集めた。
そして、ようやくのところでレイがクレアを救いに行くところに追いついた。
レイはよく戦ったと思う。
だが、クレアはレイを拒絶した。
それでやっとボクは悟ったのだ。
――全て、台本通りのことなのだ、と。
さしずめシナリオライターはドルだろう。
あるいはレイも一役買っていたかも知れない。
いずれにしても、この流れをドルとクレアは進んで引き受けようとしているのだ。
そして恐らく、レイはそれに反対し――拒絶された。
『……』
庁舎の二階にある割れた窓を、レイは呆然と見つめながら膝を着いていた。
完全に我を失っている。
『こっちだ! オルタ様に加勢しろ!』
『生きて返すな!』
もたもたしている時間はなさそうだ。
あのレイですらクレアはこの対応だったのだ。
ボクが行った所で結果は変わらないだろう。
ボクはひとまずこの場は引き下がるのが賢明と考えた。
『……』
抱え上げたレイは驚くほど軽かった。
こんな小さな体に、一体どれだけのものを抱えて来たのだろうと思う。
ドルも酷なことをさせる。
『……』
スースの陣営にある宿まで運んできたが、レイは我を失ったままだった。
無理もない、と思う。
彼女は本気でクレアを愛している。
他でもない、このボクがそう自覚させた。
あの時はそれが最善と思ったが、ことこうなっては裏目に出てしまったと言う他ない。
レイが我に返るまで、数日を要した。
『マナリア様……? どうしてここに?』
レイはかろうじて自分を取り戻したが、その目は絶望に染まっていた。
彼女にとって、クレアがいかに大きな存在だったのかが分かる。
――正直に告白すれば、ボクはほんの少し魔が差していた。
このままレイの弱り切った心につけ込めば、彼女を自分のものにすることが出来るのではないか、と。
レイは魅力的な女性だ。
クレアを巡って恋の天秤を争った時に言った言葉は、嘘じゃない。
――でも……これは無理だな。
クレアを失ったレイは、もうレイではない。
レイにとってクレアという存在はもう、その人格の一部をなしているほど、掛け替えのないものになっていた。
仮に今ここでレイの弱さにつけ込んだとしよう。
その場合、確かにレイをこの手に収めることは出来るかもしれない。
だが、その時ボクが見ることの出来るレイはきっと、抜け殻になってしまった彼女だ。
ボクが好きなレイは、クレアのことが好きで好きで堪らないレイなのだ。
――やれやれ、世話が焼けるね。
ボクはレイをもう一度焚きつけることにした。
それはかろうじて成功し、レイはもう一度クレアを奪い返しに行く意思を取り戻した。
罪な子だ。
このボクに二度も噛ませ役をさせるなんて。
でも、それでいい。
元々ボクは王族。
遅かれ早かれ自分の恋は諦める羽目になっていたはずだ。
だから、これでいい。
願わくば、愛した人と可愛い妹分が、手を取り合って次の時代を迎えんことを。
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