第85話 覚悟

「クレア様はこちらでお待ち頂きます」

「そう……ありがとう」


 革命政府の兵士に連れられてやって来たのは、旧貴族院議会第二庁舎でした。

 歴史のある古い建物で、王国の国宝にも指定されている建築物でもあります。

 中を案内されてとある部屋に入ると、見覚えのある人影がありました。


「クレア……」

「お父様!」


 お父様はソファから立ち上がると、わたくしに駆け寄って来てハグをして下さいました。


「心配したんですのよ!」

「すまないね」


 胸にすがりついて泣きたくもありましたが、今はそれどころではありません。


「それでは、ここでお二人でお待ちください。何かあれば呼び鈴を」


 兵士はそれだけ言って去って行きました。


 元々貴族院議会の庁舎だっただけあって、室内の建具は悪くないものでした。

 ですが、破棄された建物だけあって、所々埃が溜まっており、椅子などの急遽運び込んだと思われる家具は安物に見えました。

 建具の豪華さと家具の安っぽさがチグハグなせいで、落ち着かない印象になっています。


「お前がここにいるということは、レイは上手く行かなかったのかね?」


 お父様は内容を絶妙に誤魔化して聞いてきました。

 その意味するところは、お前は真相をどこまで知ったのか、ということでしょう。


「レイは最後までお父様との計画を遂行しようとしました。わたくしがここにいるのは、わたくしの矜恃ですわ」

「……馬鹿者が」


 わたくしの答えで全てを悟ったのか、お父様は一瞬苦しそうに顔を歪めて、もう一度きつくハグをして下さいました。


「お前の選択を貴族としての私は誇りに思う」

「ありがとうございますわ」

「だが、父親としては叱らねばならん。お前はもっと自由に生きてよかった」


 わたくしを抱きしめながら言ったお父様の言葉は、苦渋にまみれていました。


「これがわたくしの生き方ですわ、お父様」

「お前には辛い生き方を強いてしまった」

「いいえ、お父様。わたくしは貴族としての自分に納得しています。これでよかったのです」


 こうなったことを、わたくしは後悔していません。

 幸せだけの人生ではありませんでしたが、それでもわたくしは幸福でした。

 裕福な貴族の家に生まれ、敬愛すべきお父様がおり、友人に恵まれ、そして――。


(あなたにも、出会えましたわ)


 レイ。

 私の愛。

 彼女を一人にしてしまうことだけが、唯一の心残りです。


「おーおー、貴族様ってのは随分と潔いもんだねぇ?」


 ノックもなく開け放たれたドアから、空気を読まない明るい声が響きました。


「リリィ枢機卿……」

「オルタと読んでくれや。今の俺はリリィとは違うんでね」


 そう言うと、リリィ枢機卿――改めオルタは、リリィ枢機卿ならば決してしないような皮肉めいた顔で笑いました。

 オルタは以前、黒仮面として暗躍していたナー帝国の刺客です。

 その正体はサーラスの魔法によって作り上げられた、リリィ枢機卿の別人格なのでした。


「オルタ、そんな説明は不要でしょう。彼らはどうせ死ぬ運命にあるのですから」

「サーラス……貴様……!」

「ドル、残念ですよ。あなたのような優れた政治家がこの世界から失われるとは」

「心にもないことを」


 お父様が毒づくと、サーラスは涼しげに笑って、


「いえいえ、本心ですとも。もっとも、目の上のたんこぶがいなくなってせいせいするというのも、紛れもない本音ですがね」

「サーラス。お前は自らの野心のために、国民を売ろうとしているのだぞ。分かっているのか?」


 せせら笑うサーラスに対し、お父様は飽くまで政治家として真摯な態度を崩しませんでした。

 サーラスの暴挙を、今からでも止めたいと考えているのでしょう。

 レイは革命に至る道筋をつけたのはお父様だと言っていましたが、ナー帝国がそれに乗じることについては計算外のことだったようです。


「国民などどうでもよろしい。私は私のために政治をします。バウアー王室もナー帝国も、手のひらで踊らせて見せましょう」

「……クズが。ここに至るまで貴様の尻尾を掴めなかったことが、このドル=フランソワ最大の過ちだったわ」

「ふふふ、何とでも言えばいいでしょう。どうせあなたにはもう何も出来ません。それとも、そこの娘と一緒に、私たちに挑んでみますか?」


 サーラスの赤い目が嬲るようにこちらを見ました。


「この――!」

「乗るな、クレア。安い挑発だ。サーラス一人なら何とでもなるが、そこの実験体は手強い」

「くくく、お褒めにあずかり恐悦至極だぜぃ」


 お父様の言葉に、役者のような礼をして見せるオルタ。


「それで、サーラス。我々をどうする。ナー帝国に引き渡すのか?」

「いいえ、あなた方の首にそこまでの価値はありません。あなた方には旧政治の象徴として、処刑台に立って頂きます」


 処刑台――その単語を耳にして、わたくしはようやく実感として理解しました。

 わたくしは、殺されるのだ、と。


「おや? どうしました、クレア? まさか今さら死ぬのが怖くなったとでも?」


 サーラスに嘲笑されるのは耐え難いものがありましたが、実際、その通りでした。

 わたくしは今になって死ぬことが恐ろしいと感じました。

 処刑というからには安らかな死に方ではないでしょう。

 良くて斬首、悪ければ火あぶりといったところのはずです。

 その苦痛はどれほどのものかと想像すると、身体の震えを抑えることが出来ませんでした。


「強がっていても所詮は小娘。死ぬのは怖いと見える。……そうですね、ならチャンスを与えましょうか」

「チャンス……ですって?」

「ええ」


 サーラスはにんまりと笑うと続けました。


「オルタ同様、あなたも私の操り人形になりなさい。そうすれば生かしておいて上げましょう」

「なっ……!? 馬鹿なことを言うんじゃありませんわよ!」


 あまりにもあまりな選択肢の提示に、わたくしは激昂しました。

 サーラスのような人間のために働くなど、どれほどの好条件を提示されてもごめんです。


 でも――。


 自らの命がその天秤の片側に置かれているとき、その誘惑はほんの少し甘く響いたのも確かでした。

 その事実が、わたくしの貴族としてのプライドをいたく傷つけました。


「ふふふ、そうですか。イヤですか。なら仕方ありません。潔く貴族のプライドと共に処刑台の露と消えるがいいでしょう」


 サーラスは心底可笑しそうに笑いました。


「……趣味わりぃなあ、親父も」


 ぼそりと呟いたオルタの一言で、わたくしはなんとなく分かってしまいました。

 サーラスは最初からわたくしたちの命を助けるつもりなど微塵もないのです。

 ただ、仇敵とその娘をいたぶって、その苦しむ顔を楽しんでいるだけなのです。


「どうやらお前と話すのは無駄なようだ。出て行くがいい」

「おや、そんな態度を取って良いのですか? クレアがどんな目に遭うかは私の胸三寸なのですよ?」

「クレアは私の娘だ。どのような目に遭おうと、既に覚悟は出来ている」

「その割に死ぬのが怖いようですが?」

「死ぬのが怖くない人間などおらぬ。だが貴族はその死に意味を見いだすものだ」


 お父様の言葉に、わたくしはハッとしました。


 確かに死ぬのは恐ろしいです。

 でも、わたくしの死が、無意味なものではないとしたら?

 わたくしが死ぬことで、平民たちは新時代の幕開けを感じ取ることでしょう。

 バウアーでは新しい政治が行われ、平民たちは恐らく今よりもいい待遇を得るはずです。


 そして、その平民の中にはレイもいるのです。


 わたくしが死ぬことで、レイの未来が開けるのだとしたら。

 レイは有能な女性です。

 新時代になれば引く手あまたでしょう。

 彼女はきっと、時代の寵児となります。


 そう考えたとき、わたくしの身体の震えは徐々に収まって行きました。


「おやおや、やせ我慢はみっともないですよ、レディ?」

「何とでもお言いなさい。いつかあなたのことを誅する者があらわれますわ」


 それはひょっとしたらレイなのかもしれない、とわたくしは思いました。

 彼女ならサーラスの暴挙をとめ、リリィ枢機卿をも救い出してくれるのでは。

 そんなことを考えていたら、わたくしの乱れた気持ちはすっかり凪いでいきました。


「……ふん、つまらないですね。まあ、いいでしょう。行きますよ、オルタ」

「それじゃあな、ご両人。あんまり早まったことは考えるなよ?」


 サーラスはオルタを連れて部屋を出て行きました。


「クレア、本当にいいのか? お前一人ならここを脱出することだって――」

「いいのです、お父様。わたくし、覚悟を決めましたわ」


 わたくしはもういい、と思いました。

 長く生きたとは言えませんが、精一杯、貴族らしく生きました。

 それに――。


(ようやくお母様に、あの日のお詫びを言いに行けますわ)


 うら若い年齢で死んだことを、お母様は怒るかも知れません。

 でも、貴族として理想に殉じたことを、お母様はきっと褒めて下さるに違いありませんでした。


「……そうか。すまない」


 お父様ともう一度ハグをしました。


 その後は何事もない数日が過ぎました。

 時折、サーラスがちょっかいをかけてくるものの、お父様もわたくしももうそれほど動じることはありませんでした。

 わたくしは来たるべき死を受け入れるため、心を安らかに保とうと努めました。


 しかし――。


「来たぞ! レイ=テイラーだ!」


 それは、わたくしの覚悟をぐらつかせるのに十分過ぎる出来事でした。

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