第83話 王国歴二〇一五年十一月十日
臨時政府と革命政府の間を行き来すること数週間。
どちらも立場を譲ろうとしない双方を根気強く説得して回りました。
レイも万全のサポートをしてくれました。
今までのような日常の世話だけでなく、両政府への説得材料の相談や具体的な作戦立案など、その献身は本当にありがたいものでした。
しかし、ついにその日はやって来てしまいました。
王国歴二〇一五年十一月十日。
デモはついに武装蜂起へと変わってしまいました。
臨時政府軍の半数が革命政府軍につき、武力衝突が起きました。
戦いの趨勢は革命軍に有利と新聞各紙が報じています。
「……間に合いませんでしたわ」
学院の窓から群衆と政府軍の衝突を見ながら、わたくしは無力感に苛まれていました。
我が身のふがいなさに歯を食いしばりますが、もう起きてしまったことは変えようがありません。
「クレア様は最善を尽くしました。こうなってしまったのは、もう仕方のないことです」
「でも、わたくしがもっと頑張っていたら……」
「クレア様は十分に頑張りましたよ」
「……」
レイは慰めてくれますが、わたくしは後悔の念で一杯でした。
もっと早くから動いていたら、もっといい落とし所を見つけることが出来ていたら。
庇護すべき平民たちの誰かが、今こうしている間にも傷ついているかも知れないと思うと、胸が張り裂けそうになりました。
ですが、悲劇のヒロインぶることなど許されません。
わたくしは貴族。
時代がこうなることを選んだのなら、わたくしに残された選択肢はもう一つしかありません。
「こうなった以上、もはやわたくしに出来ることはありません。旧時代を担った貴族として、潔い最期を迎えますわ」
平民たちは貴族を否定する選択をしました。
ならば貴族はそれに答えるのがさだめ。
フランソワ家は貴族の筆頭です。
ならばせめて、貴族・平民の双方に犠牲が少ない内に、貴族の代表としてその最後を宣言するべきでしょう。
平民たちの怒りは凄まじいものがあります。
恐らくランスの場合と同じく、わたくしたちは亡き者とされるでしょう。
死ぬことが怖くないと言えば嘘になります。
ですがわたくしは、平民たちを傷つけてまでその地位にすがろうとは思えませんでした。
平民たちの選択を、わたくしは受け入れる覚悟がありました。
しかし――。
「いいえ、クレア様。クレア様には旧時代を糾弾する側に立って頂きます」
「……え?」
唐突なレイの言葉に、わたくしは耳を疑いました。
旧時代を糾弾……?
わたくしの疑問を看破している様子で、レイは居住まいを正しました。
「レイ、あなたは何を言っているんですの?」
「クレア様は新時代の側に立ち、旧時代の終わりを見届けるのです」
「な、何を馬鹿なことを……。わたくしはフランソワ家の息女。旧時代の象徴ですわよ?」
レイはよく分からないことを言いました。
冗談にしても笑えません。
ですが、その表情は真剣そのもので、ふざけているようには思えませんでした。
「クレア様。旧時代の象徴はクレア様ではありません。ドル様です」
「同じ事でしょう?」
「いいえ、違います。クレア様には、ドル様たち旧支配層――つまり貴族たちを断罪するお立場に立って頂きます」
「なっ……、何を言っていますの!」
レイが言わんとするところを悟って、わたくしは思わず語気を荒げました。
彼女はこう言っているのです。
すなわち――貴族を見限れ、と。
「旧時代を担った者たちを裏切って、わたくし一人おめおめと生き残れといいますの!? まっぴらごめんですわ、そんなこと!」
むざむざ命を無駄にするつもりはありませんが、わたくしには貴族の誇りがあります。
ただ生き残ったとして、その余生に何の意味があるでしょう。
わたくしはレイにそのことを説こうとしました。
しかし、彼女が次に口にしたことは、わたくしには思いもよらぬことでした。
「これは、ドル様のご意向でもあるんです」
「……え? ちょ、ちょっとお待ちなさい。……え? お父様の?」
どうしてここでお父様の名前が出てくるんですの?
お父様は私利私欲にまみれた腐敗貴族となってしまったのでは?
「だって……、お父様は……。ど、どういうことですの、レイ!」
「この革命の流れを作ったのは、他ならぬドル様なんですよ」
レイの言葉にわたくしはますます困惑しました。
平民たちが武装蜂起するよう、お父様が操った……?
「あなたが何を言っているのか、全然分かりませんわ!」
「順を追って話します。長くなりますから、座って下さい」
取り乱しそうになるわたくしに対して、レイは飽くまで冷静でした。
彼女はわたくしを椅子に座らせると、ゆっくりと「種明かし」を始めたのです。
「クレア様もご存じの通り、王国の政治には腐敗の兆しがありました。貴族たちはそのほとんどが私利私欲に走り、権力闘争に明け暮れていました」
「……ええ。でも、それとこれと何の関係が――」
「その中にあって、この国の行く末を真に案ずる数少ない貴族がいました――それがドル様です」
「お父様が? でも、お父様は王室をないがしろにして、この国の政治を我が物にしようと……」
そのことはここ数日、両政府の間を駆け巡ったわたくしが一番良く知っています。
お父様の態度はこの国の行く末どころか、明日をも見えていないようなものでした。
「ドル様はご自分を犠牲にして悪徳貴族の中心となったのです。全ては今日この日、平民たちの手によって終わらされるために」
「……なんたることですの」
お父様の貴族にあるまじき振る舞いは、全て虚飾だったとレイは言います。
レイは続けました。
「かつてはドル様ご自身も、貴族の現状に疑問を抱いてはいらっしゃいませんでした。それが変わったのは、クレア様のお母様であるミリア様が亡くなった時のことです」
「お母様が亡くなった時……?」
わたくしにとって拭いがたい深い傷が刻まれたあの日、お父様も何かを思ったというのでしょうか。
「ミリア様の事故は、別の有力貴族によって仕組まれたことでした。謀殺だったのです」
「そんな……!」
「ドル様はその日からお変わりになりました。こんなままでいいはずがない、とお考えになるようになったのです」
わたくしはようやく分かりました。
敬愛するお父様は、何も変わっていなかった。
お父様こそ、真の愛国者だったのです。
「ドル様は悪徳貴族を演じる一方で、革命勢力を支援することさえしていました。覚えていらっしゃいますか? 私がクレア様のメイドになった日のこと」
「……ええ。確かあの時、あなたが何事かを口にして、その瞬間からお父様の様子が変わりましたわね」
「あの時、私はこう言いました。『アーヴァイン=マニュエル、三月三日、五十万ゴールド』 あれは、ドル様が密かに行っていた、レジスタンスたちへの金銭支援の内訳だったんです」
レイによると、それはお父様だけが知るはずの、レジスタンスの金庫番であるアーラの弟アーヴァインへの融資の概要だったそうです。
彼女はお父様の計画を知っていることをほのめかし、それを盾にお父様を説得したのだとか。
「人払いされた後、私はドル様にこう言いました。ドル様のお
「どうしてそんな……」
「ドル様はこの国の未来のために、ご自分はおろかクレア様をも犠牲にするおつもりでした。クレア様のことは心から愛していらっしゃいますが、未来のためには致し方ない、そう諦めておいでだったのです」
その選択は、貴族ならば当然のことでした。
お父様がわたくしを犠牲にするつもりだったと聞いても、わたくしは何らお父様を恨みません。
むしろ、それがあるべき姿だとすら思います。
「私はドル様に別の選択肢を提示しました。貴族たちが打倒されても、クレア様が生き延びる道を。ドル様は娘が生き延びる道があるのなら、と私の案を採用して下さいました」
レイはお父様に別のシナリオを提示しました。
わたくしが旧時代の貴族と袂を分かち、断罪する側に回るというシナリオを。
「私がこれまで行ってきた色々な活動は、すべてそのためです。クレア様の名声を高め、貴族から距離を取らせ、新時代に生きて頂けるように」
「なら……なら、あなたは! 初めからこうなることが分かっていて!」
これまでずっと側で支えてくれていたのは、全て嘘だったということなのでしょうか。
わたくしはもう、レイなしの人生など考えられないほどに、あなたを信じ切っていたのに!
「はい。革命が起きることも、その結果ドル様を始めとする貴族たちが滅びることも、それがどうあっても避けられないことも知っていました」
「そんな……私は……あなたを信じて……!」
「申し訳ありません、クレア様。ご処分はいかようにも」
そう言って目を閉じたレイがあまりにも超然としていて、わたくしは怒りの沸点を越えたのを自覚しました。
無意識のうちに手を振り上げ、その頬を激情のままに叩こうとして――。
でも、そうすることは出来ませんでした。
「お父様もあなたも……勝手過ぎますわよ……」
レイもお父様も、わたくしに嘘をついていました。
その嘘はわたくしにとって到底許せるものではありません。
でも、その嘘はどうしてつかれたのか、それに思い当たらないほどわたくしは愚かではないのです。
――全ては、わたくしのため。
貴族の世が終わっても、わたくしが命を繋ぐが出来ように。
それは父親としての愛情であり、伴侶としての愛情に他ならないものでした。
溢れる思いが頬を伝います。
「クレア様にはこれから革命政府に合流して頂きます。アーラに話は通してあります」
「……」
レイはわたくしがすべき次の段取りを口にしました。
ずっと前からこうなることを予期し、そのために沢山の準備をしてきたのでしょう。
「間もなく、王室が革命政府に錦の御旗を与えるはずです。そうなれば、逆賊となるのは貴族たち。クレア様には彼らの断罪をして頂きます」
「……」
でもね、レイ。
あなたはとても大切なことを忘れていてよ?
その事実が、わたくしにはとても悲しいのでした。
「クレア様?」
レイの言葉を背に、わたくしは窓に近づきました。
外では変わらず、平民や両政府の軍が争う音が聞こえてきます。
「ねえ、レイ。わたくしが平民になったら、どんな暮らしをすると思いまして?」
あり得ない仮定です。
でも、最後にレイに聞いておこうと思いました。
「そうですね……。最初は戸惑うことが多いと思いますよ。バカンスの時の私の家みたいに」
「そうでしょうね」
レイの方には振り向かず、わたくしは一つ頷きました。
彼女の生家に行った思い出は、まだそれほど日が経っていないはずなのに、もうずっと昔のことのようにおぼろげです。
「でも、すぐに慣れますよ。私が常につきっきりでお世話しますし」
「そう……。あなたも一緒に暮らすのですわね」
「もちろんですよ。クレア様のためなら張り切って働きもします」
「そうですわね。そういうことも必要になるのでしょうね」
レイが語る生活は、きっと悪いものではないはずです。
彼女が支えてくれるなら、どんな生活でもきっと楽しいはずでした。
「犬も飼いましょう」
「猫が良いですわ」
レイとわたくし、二人だけの慎ましやかな生活。
「庭とか欲しいですか?」
「花壇も欲しいですわね」
貴族のそれとは違う、質素だけれど平穏な人生。
「子供は何人作りましょうか」
「作れませんでしょ」
「じゃあ、養子とか」
「可愛い女の子が二人欲しいですわ」
レイの軽口にそう答えてから、わたくしは一度言葉を切ってから、こう言いました。
「あなたはきっと、私を不幸にはしないのでしょうね」
ええ、でもそれはわたくしには手の届かないものです。
「――すわ」
「え?」
決意の言葉は震えてかすれていました。
聞き取れなかったのか、レイが聞き返してきます。
「クレア様?」
「お断りしますわ、と言いましたの」
わたくしは振り返るとレイの目を見つめ、今度こそきっぱりとそう言いました。
レイがぎょっとした顔をするのが、何だかおかしく思えました。
「何を仰ってるんですか、クレア様。もう他に選択肢はないのです」
「いいえ、ありますわ。貴族の一員として、旧時代と滅びるという選択肢が」
レイ、あなたやお父様の意図は分かりました。
でもね、わたくしはそういう風には生きてこなかったのです。
「そんな……。無意味です! だって、そんなことをしても誰も喜ばない!」
「ええ、そうでしょうね」
「ドル様も……そして私も、クレア様に生きて頂くためにずっと――」
「ええ、その思いやりには感謝していますわ」
心を言葉に変えていくほどに、気持ちが落ち着いていくのが分かりました。
そう……わたくしはこんなに……。
「待って……待って下さい。ドル様や私が黙って事を進めたことを怒っていらっしゃるのですか? それについては謝ります。でも、素直に話したらクレア様は――」
「そんなことは受け入れられない、と拒否したでしょうね」
こんなに、あなたのことが好きだったのですわね。
「お父様もレイも、真にわたくしのことを案じて下さったのでしょうね。それは分かります。怒ってなどいませんわ」
「だったら、どうして!」
「だって――」
レイ、ごめんなさい。
「わたくしは、貴族ですもの」
彼女が絶句するのが分かりました。
「貴族とは、有事の際に責務を果たすために贅沢を許された存在ですわ。今までわたくしがワガママの数々を許されていたのは、まさにこの日、この時に責務を果たすため」
「だから、そんなのもういいんですって!」
「いいえ。わたくしの最後の責務――それは、旧時代の貴族として平民たちの選択を受け入れることですわ」
レイ。
ただの憧れじゃない、わたくしの最初で最後の恋。
「クレア様……考え直しましょうよ……一緒に新時代を生きていきましょう……?」
「ごめんなさい、レイ。こればかりはいくらあなたの願いでも叶えてあげられませんわ」
「後生です……私と約束したじゃないですか……最後まで諦めないって」
あなたと過ごした日々は、本当に掛け替えのない宝物でしたわ。
「そういえばそんなこともありましたわね。なんだか懐かしいですわ」
でも――。
「イヤ……イヤです……。クレア様……行っちゃやだ……!」
「ごめんなさい、レイ」
らしくなく、子どものように駄々をこねるレイの頬にそっと手を添えると、私は――。
彼女の柔らかい唇を奪っていました。
「約束を違えたお詫びに、ファーストキスくらいは差し上げますわ」
これでもう、思い残すことはありません。
「さようなら、レイ。どうか息災で」
呆然と立ち尽くすレイをそのままにして、わたくしは部屋を出ました。
レイ。
レイ。
愛しい人。
でも、わたくしはあなたほど恋に殉じることは出来ません。
あなたの生き方はわたくしには出来ないのです。
許してくれとはいいません。
でも、どうか――。
「新しい時代を、あなたは生きて」
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