第82話 難しい舵取り
臨時政府の増税政策発表から数日と経たず、王都では平民たちのデモが起こりました。
学院寮の窓を開けると、王都を貫く朝の目抜き通りでは、怒りを露わにした平民たちがプラカードを掲げて行進しているのが見えました。
「無理もありませんわ……」
火山の噴火によって王都やその周辺の農作物は大打撃を受けました。
更にそこに商人たちの買い占めが重なり、物価は二次曲線を描いて上がっています。
元々、生活苦にあえいでいた平民たちが、不満を爆発させるのは仕方のないことだとわたくしは思いました。
「配給もどこまで効果があるか……」
わたくしはレイの提案でユー様にも助力を請い、困窮した平民たちに配給・炊き出しを行っています。
皆、感謝の言葉を述べてくれますが、元々こうなったのはお父様たち臨時政府の悪政が原因です。
わたくしのしていることを自作自演と評価する者も少なくはありません。
「やれることを精一杯やりましょうよ。それでダメだったら諦めもつくじゃないですか」
「あなたは楽観的ですわね、レイ」
窓を閉めて椅子に座ると、レイがお茶を出してくれながら、そんな気休めにも似たことを言いました。
わたくしは彼女ほど将来の見通しについて楽観視することは出来ません。
「クレア様が悲観的すぎるんですよ。支える私はこれくらいでちょうどいいんです」
「……そうかもしれませんわね」
元々、わたくしには悲観論者的な所があると思います。
それは完璧主義的な価値観を持ちながら、それに及ぶべくもない我が身を嘆くことを繰り返した結果、身に染みついてしまったものです。
――何をやっても、どうせ上手く行かないのでは。
そんな考えがいつも心の奥底に貼り付いているように思えます。
でも、レイは違います。
彼女は物事をありのままに受け止めているようにわたくしには見えました。
良くも悪くも、常に自然体です。
彼女は必要以上に物事を過大評価しない代わりに、過小評価もしません。
そんな彼女だからこそ、こんなわたくしのことを肯定的に評価してくれるのでしょう。
「クレア様。なーんか思考が負の方向にぐるぐるしてませんか? 眉間に皺が寄ってますよ?」
「……相変わらず目敏いですわね」
「クレア様のことですから。お茶でも飲んで一息入れて下さいな」
「そうね、頂きますわ」
カップを手に取ると、ふんわりと甘い香りが鼻腔を擽りました。
「いい香りですわね」
「カモミールティーです。気分を落ち着ける作用があるとか」
平民が大変な時に、そんな高価な物を――などと叱責することはありません。
彼女がこうなることを見据えて学院の花壇の一部を借り受け、様々な農作物を栽培していることを知っていたからです。
恐らくこのカモミールも、彼女が手ずから栽培したものでしょう。
「今の気分にピッタリですわ。ありがとう、レイ」
「……本当に元気ないんですね、クレア様」
「え?」
素直な気持ちを言葉にしたのに、なぜかレイは心配げな表情です。
「普段のクレア様なら、レイにしてはまあまあですわね、くらい言うと思います。それがこんなにしおらしくなっちゃって……」
「あのねえ。わたくしだって純粋な好意には感謝くらいしますわよ。わたくしがいつもあれこれ言うのは、あなたが余計なことを言ったりしたりするからですわ」
「そうですか? なら今からでもしましょうか、余計なこと。あんなこととかこんなこととか」
「しませんわよ」
「なにを想像したんですか、クレア様のえっち」
「ぶふっ!? ……あなたねえ!」
とんでもないことを言い出したレイの言葉に、思わず乗りかけて、
「……そうやって、わたくしを元気づけてくれようとしているんですのね」
「やっぱりクレア様らしくないですよ。そこはもっとチョロインらしく乗ってくれないと」
「チョロインが何だか分かりませんけれど、レイに悪意がないことは分かりますわ」
「やーりーがーいーがーなーいー」
不満そうに地団駄を踏むレイを見ていたら、何だか少し肩の力が抜けた気がしました。
「さて、今日も臨時政府と革命政府の折衝だったかしら」
「はい。午前にドル様たち臨時政府首脳と会談、午後からはアーラたちとの会談が入っています」
わたくしは今、微妙な立ち位置にいました。
貴族でありながら民衆の支持が厚いということで、臨時政府と革命政府の間を取り持って、双方の落とし所を探っています。
これもレイに言われて始めたことですが、双方の主張が全くと言っていいほど噛み合いません。
臨時政府は革命政府をただの暴徒の集団としか見ていません。
彼らの言うことに耳を貸す気はないようで、一刻も早い解散を求めています。
一方で革命政府も臨時政府を打倒すべき敵としか認識していません。
彼らは早急に権力の座を明け渡すよう、臨時政府に求めています。
これでは落とし所などないも同然です。
わたくしが光明を見いだしている唯一の道は、ランスという国の政治学者の説です。
ランスではかつて革命が起き、貴族はほとんど殺されてしまったといいます。
かつての母国を嘆いたその政治学者は、当時の貴族が参政権を平民にも与えていれば、あるいは貴族は生きながらえたかも知れない、と記しているのです。
これはありうる、とわたくしは思いました。
平民に参政権を与えれば、ひとまず革命政府も一つの成果を収めたことになり、自分たちの行動が無意味でなかったと実感出来ます。
また、臨時政府側も一歩譲渡する形にはなりますが、引き続き貴族という身分を保つことは出来るのです。
これなら痛み分けでしょう。
わたくしは落とし所はここにしかないと思いました。
でも、今の所はそれすら無理そうです。
臨時政府は平民に参政権を与えることなどとんでもないと考えていますし、革命政府も政治体制を覆すまで戦うと息巻いています。
実際に両者に被害が出てからでなければ――つまり、お互い血を流さなければ分からないのでしょうか。
「あなたはどう思って、レイ?」
また思考の迷路に迷い込みそうになったわたくしは、ふとレイに意見を求めてみました。
「うーん、そうですね。実際に両方とも痛い目見ないと分からないかも知れませんね」
「そんな……」
「今はどっちも頭に血が上っています。被害が出たらもっとそうなると思いますが、いずれは気がつきますよ。あ、このままじゃダメだって」
「それでは遅いですわ!」
わたくしは思わず椅子から立ち上がって叫びました。
「もしも双方が武力衝突に至ってしまったら、最も被害を受けるのは力なき者たち――すなわち女性と子どもですわ」
中には魔法で身を守れる者もいるかもしれませんが、それはまだごく少数でしょう。
魔法石なしでは強い魔法は使えませんし、一番安い魔法杖でも平民には高い買い物です。
「なんとか……なんとかそうなる前に事を収めないと」
「なら、私たちが頑張るしかありませんね」
そう言うと、レイは後ろからわたくしの両肩に手を置き、そっと椅子に座らせました。
「私だって誰かが血を流すのは見たくありません。最善を尽くしましょう」
「支えてくれるのかしら」
「もちろんですよ。クレア様のしたいことが、私のしたいことです」
そう言ってにっこり笑うレイの表情に、わたくしは少しドギマギしました。
でも、後から考えてみれば、この時のレイは少しおかしかったのです。
彼女は笑って誤魔化しましたが、彼女が言っているのは要はこういうことです。
――好きにしたらいいじゃないですか。
それはいつも一歩先を読んで先手先手で手を打っていく彼女からは考えられない態度でした。
この時、レイは既に別のことを考えていたのです。
愚かにもわたくしはそんなことには全く気がつかず、彼女のことを全く疑うことなく信頼していたのでした。
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