第79話 禁忌の火

 胸の奥に何か大きな喪失を抱えたまま、しかしその正体は分からぬまま、わたくしは不正貴族たちの摘発を続けました。

 その過程でレジスタンスに接触し、レイに言われるがままその頭目との会談も行いました。

 わたくしにはその意味や意義は分かりませんでしたが、レイには何やら得るものがあったようです。

 そうしてサーラスを追い詰め、レレアの活躍もあり、今こうして目の前の彼にチェックメイトをかけようとしたところで――。


「リリィ……哀れな子だ。……主よ、憐れみたまえキリエ・エレイソン


 何かの呪いだったのでしょうか。

 サーラスがその言葉を唱えると、すぐ隣にいたリリィ枢機卿が崩れ落ちました。


「リリィ枢機卿!?」


 わたくしは慌てて駆け寄ろうとしましたが、


「クレア様、離れて!」


 レイに服を引っ張られて引き離されました。

 体が後ろに反れた瞬間、銀色の弧閃がわたくしの髪を数本散らして行きました。


「全く……、イヤになんなー」


 場にそぐわない、のんきな声が響きました。

 レイがわたくしと様子の変わったリリィ枢機卿の間に立って、油断なく問います。


「お前は……」

「やあ、レイさんにクレア様、昨日ぶり」


 別人のように変わった口調には覚えがありました。

 忘れもしない、わたくしたちの前に何度も立ち塞がった仮面の男です。


「サーラス! リリィ枢機卿に何をしましたの!」


 豹変したリリィ枢機卿を警戒しつつ、わたくしはサーラスを問い詰めました。


「そっちの平民は二重属性持ちデュアルキャスターでしたね」

「わたくしの質問に答えなさい!」

「答えていますとも。学院時代の私の専門は暗示でね。テーマは“多重属性の人工的な実現”だったんですよ」


 サーラスは昏い笑みを浮かべながらそう言いました。


「近衛兵、サーラスとリリィを取り押さえよ」


 ロセイユ陛下が告げると、近衛兵がサーラスとリリィ枢機卿を取り囲みました。

 しかし――。


「こんなザコどもに俺が止められるかよ」


 リリィ枢機卿はどこからか短剣を取り出しそれを一閃すると、近衛兵たちは一気に防戦一方になりました。

 このように言うと近衛兵たちが不甲斐なく聞こえるかも知れませんが、近衛兵に取り立てられるのは王国選りすぐりの精鋭です。

 一対一ならまだしも、この人数を相手にするのは仮にレイであっても厳しいでしょう。

 つまり、近衛兵たちが弱いのではないのです。

 リリィ枢機卿の強さが尋常ではないと言うべきです。


「リリィ枢機卿、おやめなさい!」

「ムダですよ。あれはリリィであってリリィではない」


 くっく、とサーラスが笑います。


「二重属性を人工的に作り出す……その試みは半分だけ成功しました」

「どういうことですか?」


 レイが問うと、サーラスは不出来な学生に説明するような口調で続けます。


「私は暗示によって人の中にもう一つの人格を作り出すことに成功しました。そして、現れた新しい人格は、新たに魔法適性を獲得することが分かったのです」


 リリィ枢機卿の本来の魔法属性は水属性だったはずです。

 そこにサーラスは暗示を掛けて新たな人格を造りだし、別の属性を持たせたと言うのです。

 そんなことが可能なのでしょうか。

 にわかには信じられないことです。


「あの仮面の男の正体は、リリィ様だった、と?」

「その通り。私に対する不正追及をしながら、その実、その捜査情報は私に筒抜けだった、というわけですよ」


 最後の最後に裏をかかれましたがね、とサーラスはわたくしたちを嘲笑しました。


 つまり、サーラスの部屋で最初に帳簿を調べたときに何も出てこなかったのは、リリィ枢機卿経由でサーラスに情報が漏れていたから、ということなのでしょう。


「でも、姿が全然違いますわよ! 変装程度でどうにかなるような差では……」

「多分、魔道具です。ほら、ユー様の事件の時に、リリィ様から借りたじゃないですか」


 レイに指摘されてわたくしははっとしました。

 確かに、レイがユー様と入れ替わるときに使った魔道具がありました。

 あの時は便利なものがあるなとしか思いませんでしたが、恐らく本来は彼女が正体を隠すために使っていたのでしょう。


「自分がこんな状態であることを、リリィ様はご存じなんですか?」


 レイが問います。

 その口調は、半ば返答を予想しているかのように固いものでした。


「知らないですよ。知っていたら、あの子は自ら命を絶ってしまうでしょうからね」


 なんて卑劣な。

 あの純真そのもののリリィ枢機卿を、自らの野心のために手駒にするとは。


「さあ、リリィ。こいつらを全員始末しなさい」

「簡単に言ってくれんなあ。ここにはレイとクレアがいるんだぜ?」

「お前ならなんとか出来るでしょう」

「出来なくはないが、てめぇの安全を保証できねぇぞ?」

「ふむ……」


 二人が会話する間も、一人、また一人と近衛兵たちが倒れていきます。

 その刃に迷いはなく、人を傷つけることにためらいは一切ないようでした。

 このままでは……いけません。


「ならリリィ。ここは脱出を優先することにしましょう」

「逃しませんわよ!」


 わたくしは既にマジックレイの発射態勢に入っていました。

 サーラスはともかくリリィ枢機卿の命を奪うのは気が引けますが、場合が場合です。


「サーラス、リリィ枢機卿。わたくしのこの魔法は手加減が出来ませんわ。命が惜しければ投降なさい」


 わたくしは二人を視界に収める位置に移動すると、そう警告しました。


「だ、そうですが?」

「お前もちっとは働けよ……な!」


 リリィ枢機卿は自分を取り囲む近衛兵の最後の一人を打ち倒すと、今度はサーラスを囲む近衛兵たちに斬りかかりました。

 わたくしの言葉など気にも留めない様子で。


「やめなさい、リリィ枢機卿! 次に戦闘行動を起こしたら撃ちますわ!」

「やってみな」

「!」


 わたくしの最後通告にも関わらず、彼女はナイフを振るうことを止めませんでした。

 これ以上、被害者を出すわけにはいきません。


「……くっ、ごめんあそばせ!」


 わたくしは覚悟を決めると、リリィ枢機卿にマジックレイを放ちました。

 四条の光がその小さな体を居抜かんと殺到し――。


「なんですって!?」


 マジックレイの光は彼女を焼き貫くことなく、その直前で幻のように霧散してしまいました。


「このリリィは私の最高傑作でしてね。マナリア王女には及びませんが、勝るとも劣らない魔法を使うんですよ」


 サーラスが愉悦に染まった笑みでそう言う。


「スペルブレイカーではないんですか?」

「あそこまで常識外れな魔法ではありません。このリリィの適性は風の高適性。得意な魔法は時間操作です」


 時間操作……ですって?

 なら、彼女はわたくしのマジックレイの時間を巻き戻して、魔法として成立する前の魔力に戻した――そういうことでしょうか。

 何というデタラメな魔法でしょう。


「最高傑作、と仰いましたね? つまり、リリィ様だけではないんですね?」

「当たり前ですよ。我が子で最初に試す親がどこにいますか。リリィに施術したのは、研究が完成してからですよ。もっとも――」


 そこでサーラスは言葉を切って、


「研究完成の為には随分掛かりました。廃人となった孤児は、十や二十じゃ利かないでしょう」


 涼しい顔でおぞましいことを平然と口にしました。


「この外道!」


 わたくしは照準をサーラスに変えて、もう一度マジックレイを放ちました。


「おっと」


 しかし、すんでのところで、近衛兵を全て切り払ったリリィ枢機卿に無効化されてしまいます。

 ならば――!


「レイ、サーラスを狙いなさい! 手数重視で!」

「はい!」


 レイは瞬時にわたくしの狙いを悟ったようで、氷矢を二十ばかり生成するとサーラスを取り囲むようにそれを放ちました。


「ちっ……、さすがに戦いなれてやがんな」


 レイの氷矢を無効化するには、リリィ枢機卿はサーラスの元から動けません。

 つまり、足止めです。

 レイとわたくしはサーラスとリリィ枢機卿に立て続けに魔法を放ち、リリィ枢機卿はサーラスを守るためにそれを無効化します。

 状況は膠着状態――かというと、そうではありません。


「諦めなさい、リリィ枢機卿」

「なんでだ?」

「このままなら、あなたの方が先に魔力切れになります」


 向こうはリリィ枢機卿一人なのに対し、こちらはレイとの二人がかりです。

 しかも、こちらが使っている魔法は基本の魔法矢でしかありません。

 リリィ枢機卿が使う時間操作がどれほどの魔力消費量かは分かりませんが、魔法矢よりも少ないということはないと見積もりました。


「リリィ様、もう、やめて下さい」

「俺だって別に好きでやってるわけじゃあ、ねえけどな」

「なら!」

「けどよ」


 そこでリリィ枢機卿は言葉を切って、


「こんなんでも、父親なんだわ」


 自嘲するように顔を歪めると、懐からポーション瓶を取り出してひと思いにあおりました。


「まさか、カンタレラ!?」


 レイの悲鳴じみた言葉にユークレッドでのルイ戦を思い出します。

 ただの冒険者だったルイですらあれほどの強さになったのです。

 このリリィ枢機卿が魔法の効かないアンデッド状態になったら、その脅威は計り知れないものになるでしょう。


「ちげーよ。こいつは超級の魔力回復ポーションだ」


 すげなく言う彼女の言葉に、ほっと胸をなで下ろしました。


「そんな貴重品、いくらも持っていないでしょう」

「ところが、俺の場合はなんとかなっちまうんだな、これが」


 リリィ枢機卿はポーション瓶に視線を送ると、それに集中するように視線を送りました。


「!? そんなインチキ!?」 


 レイの悲鳴も無理からぬもの。

 空のポーション瓶がみるみるうちに満たされていきました。

 おそらく、これも時間を巻き戻したことによる現象なのでしょう。


「まあ、こういう使い方も出来るわけだ」

「くっ……」


 わたくしは奥歯を噛みしめました。

 超級の魔力回復ポーションは魔力をほぼ完全に回復してしまいます。

 そんなものを何度でも使われたら、先に魔力切れを起こすのはわたくしたちの方です。


「つっても、このままじゃあ、長期戦は覚悟しねぇとなあ」

「……」


 何か策はないか、と頭を巡らせながらリリィ枢機卿を警戒します。


 その時――。


 地面が、激しく揺れました。


◆◇◆◇◆


 突然の揺れに動揺していると、突然体を押し倒されました。

 直後、ガシャン、と音がして謁見室の窓ガラスが割れます。


「一体、何が……」


 どうもわたくしはレイに押し倒されたようで、彼女はわたくしを守るように上になっています。

 そのまま、しばらくじっとしていました。


「もう、大丈夫なはずです」


 レイはそう言うと立ち上がってわたくしに手を貸してくれました。

 何が何やら分からないわたくしは、謁見室の様子を見て愕然としました。

 きらびやかだった室内は見るも無残な姿に変わり果てていました。

 調度品は壊れ、赤いカーペットの上には大小さまざまな石が転がっています。


「陛下!」


 近衛の一人が声を上げました。

 見ると、王座に駆け寄って誰かを助け起こそうとしています。

 わたくしは血の気が引きました。

 倒れていたのはロセイユ陛下でした。

 しかも、頭から大量の出血をしています。


「レイ、治療を!」


 わたくしが言い終わるよりも早く、レイは陛下に近寄って治癒魔法を試みました。

 しかし――。


「……ダメです。お亡くなりになっています」

「なんてことですの……」


 バウアーは賢王ロセイユ陛下を失ってしまいました。

 それはすなわち、国の危機に他なりません。


「そうですわ、サーラスとリリィ枢機卿は!?」


 広間を見回しましたが、二人の姿はすでにありませんでした。

 どうやらどさくさに紛れて逃亡したようです。


 わたくしは動揺を押し殺して状況把握に努めました。

 恐らくこれは歴史の記述にあったサッサル火山の噴火でしょう。

 推測ですが恐らくこれは正しいと思われました。

 歴史の示すところによれば、サッサル火山の噴火は噴火そのものよりも、その後の影響の方が大きいはずです。

 バウアーはこれから苦難の時を迎えます。


 わたくしが、すべきことは――。


 そんなことを考えていると、ふとレイが膝を突いて茫然自失の状態にあることに気がつきました。

 無理もありません。

 ですが、彼女には力になって貰わなければ。


「レイ……、レイ! しっかりなさいな」


 わたくしが呼びかけると、レイの目がゆっくりとわたくしに焦点を合わせます。

 ですが、まだ意識がはっきりしていないように見えました。


「サーラスとリリィ枢機卿のことはいったん忘れなさい。しなければならないことは山ほどあります」

「……クレア様」

「これから王国は危機に瀕するでしょう。過去の歴史によれば、サッサル山の噴火の後、大飢饉が起こったと聞いています」


 火山弾や火山灰による農作物への影響は甚大なものになると思われます。

 何も手を打たなければ、国内に大量の餓死者が出るでしょう。

 わたくしたちはそうならないよう、策を講じなければなりません。


「王国はこの危機を乗り越えなければなりません。しかも、ロセイユ陛下抜きで」


 そう。

 賢王だったロセイユ陛下はもういません。

 わたくしたちは新たな王を選ばなければならないのです。

 しかも、早急に。


「近衛兵、貴族院議長に連絡を。緊急の議会を招集します。それから、ロッド様とセイン様の安否を至急確認するように」


 まだ呆然としているレイのことは一旦置いて、わたくしは身動きの取れる近衛兵たちに指示を与えました。

 事は一刻を争います。

 近衛兵たちも動揺しているようでしたが、やはりそこは訓練を受けた精鋭たちです。

 自らがすべきことが明確になると、直ちに行動に移してくれました。


 レイはまだぼうっとしています。

 こんなことはしたくありませんが、仕方ありません。

 わたくしはレイの頬を引っぱたきました。


「しゃきっとなさい! わたくしを支えてくれると言ったあの言葉は嘘だったんですの!?」


 それは半ば懇願に近いものだったかもしれません。

 これからわたくしを待っている艱難辛苦に立ち向かう上で、彼女の存在はなくてはならないものです。

 わたくしはどうにかレイに立ち直って貰う必要がありました。

 レイは頬を摩りながらほんの少し呆けていましたが、その目に徐々に光が戻って来ます。


「申し訳ありませんでした。もう、大丈夫です」

「よろしいですわ」


 そう言うと、わたくしは少しの間だけ彼女を抱きしめました。

 お互いの存在を確かめ合うように。


「乗り切りますわよ、この危機を」

「はい!」


 直後から、わたくしたちは迅速に行動を開始しました。

 初動の動きとしてはまずまずのものでしたが、やがて一つの凶報がもたらされます。


 それは、ロッド様が行方不明だという知らせでした。


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