第78話 誰もがあなたを忘れても
※カトリーヌ=アシャール視点のお話です。
クレアちゃんを始め、ウチを知っている人たちの記憶は、一人を除いて全て消した。
これからも、出会った人全てについて、ウチに関する記憶を消していくつもりだ。
――それが、ウチが自分に課した罰だから。
倒れて気を失っているクレアちゃんを見る。
普段のキツイ印象に比べて、眠っている彼女の顔は酷く幼い。
そんな彼女を、ウチはずっと殺そうとしてきた。
これはクレアちゃんには話さなかったけれど、ウチがクレアちゃんと幼馴染みになったのは偶然でも運命でもない。
お義父様の命令があったからだ。
ウチはお義父様の密命を帯びて、クレアちゃんを殺す機会を虎視眈々と狙っていた。
――いや、狙っているフリを続けていた。
ウチにはクレアちゃんを亡き者にするつもりなんてさらさらなかった。
この命そのものが、クレアちゃんのお母様であるミリア様に救って貰ったもの。
そんな大恩ある人の娘を、どうして殺せるだろう。
ウチがクレアちゃんを暗殺せよという密命を受け続けたのは、ウチがそれを受けることで、他の暗殺者が手配されないようにするためだ。
でも、そんな日々もこれでお終い。
倒れているクレアちゃんを最後にもう一回抱きしめてから、ウチは体を離した。
あまり長くここにいる訳にはいかない。
支度は万全にしてあるから、早くバウアーを出なければ。
ウチは車椅子だからあまり速くは移動できない。
そのことにもどかしさを感じながら、ウチは王都の西の門を目指した。
「……」
王都の夜は賑やかい。
もうとっくに月が昇っているのに、通りに面した食事処や酒場からは陽気な声が聞こえてくる。
一日の仕事を終え、仲間たちとそれを喜び合っているのだろう。
でも、これから先、ウチにそういう相手はいない。
――孤独。
これまではクレアちゃんがいることが当たり前の生活だった。
そんなウチがどれだけ一人で居続けられるかは分からない。
でも、やらなきゃ。
自殺なんていう生ぬるい逃げは、ウチには許されない。
「クレアちゃん、無事に寮に帰れたかなー」
心配はないはずだった。
何しろ彼女にはレイちゃんという素晴らしいパートナーがいる。
クレアちゃんはまだ心を許しきっていないみたいだけれど、あれは時間の問題だ。
あの二人は遅かれ早かれくっつくだろう。
クレアちゃんには味方がたくさんいる。
例えばピピちゃん、ロレッタちゃん、ちょっと前まではレーネちゃんもいた。
ウチが一番印象に残っているのは、マナリア様だ。
クレアちゃんの姉貴分とも言える彼女は、ウチと初めて会った時、ウチの魔法を無効化した上でこう言った。
――キミはクレアの敵? それとも味方?
マナリア様にはウチの魔法の正体はばれているようだった。
だから、それが暗殺と親和性が高いことも分かっていたのだろう。
答えによってはその場で殺されてしまっていたかも知れない。
だから、ウチは正直に全てを話した。
――もしもの時はボクを頼るといい。少しくらいは力になれると思うから。
マナリア様はウチのことを妹分の友人として認めてくれた。
そこには、妹分を思う姉貴分の真摯な姿があった。
「いいなー……」
知らず、羨望の声が漏れた。
いけない。
ウチにはクレアちゃんにとってのレイちゃんやマナリア様のような存在を求める資格なんてない。
決めたじゃないか。
ずっと一人でいるって。
「せめてクレアちゃんは、幸せになってくれますよーに」
そんなことを思いつつ、西門までやって来た。
「ん? 何だお前?」
当直の門番がウチに気付いた。
「こんばんはー」
「ああ。もしかして、外に出たいのか?」
「はいー」
「今日はもう門を閉じるんだ。明日にしろ」
「そういう訳にもいかなくてー」
ウチのことを覚えている人は誰もいないはずだけれど、お義父様の一件で王都はちょっとした騒ぎになるはずだ。
そうなったら、検問が厳しくなるかも知れない。
「ダメだダメだ。今夜は諦めろ」
「仕方ない、かー」
ウチは残り少ない魔力を体中から集めて、門番の人からウチの記憶を奪った。
気を失って倒れる門番を、優しく受け止める。
「ごめんねー。通らせて貰うねー」
門番を地面にそっと横たえると、ウチは車椅子を押して門をくぐった。
「どこへ行くつもりですか、お嬢様。供も連れずに」
「……え?」
西門を通り抜けた直後、ふいにウチを呼び止める声があった。
声のする方を見ると、そこにはいるはずのない人影があった。
「エマ……?」
「ちょっと目を離した隙にいなくなられたので、あちこち探しましたよ」
「いや……それは……」
「どこかに行かれるのなら、わたくしに仰ってからになさって下さい」
「……どうして……?」
ウチはエマにも確かに忘却魔法をかけたはずだった。
なのに、エマはウチのことを忘れていないようだった。
「どうして、と仰いますと?」
「だって、ウチの魔法は相手から記憶を消す魔法なんだ。どうしてエマは……」
「ああ、そういうことでございますか」
エマは至って落ち着いた様子で続ける。
「わたくしは魔法が効きにくい体質なのです」
「魔法が……効きにくい?」
「ええ。原因はよく分かりませんが、私の娘に至っては魔法の全く効かない体質でした。遺伝でしょう」
以前、エマから聞いた所によると、彼女はかつてさる国の王族だったそうだ。
没落して国を捨てたのだと聞いている。
国を捨てる前に彼女が生んだ娘は、魔法が全く効かない体質だったらしい。
「ですから、お嬢様はわたくしの記憶を消すことは叶いません。諦めてお側に置いて下さい」
「そんな……ダメだよ……。ウチは独りで生きていくことを自分に課したんだ。それはエマだって例外じゃない」
「そんなことは存じ上げません。わたくしの主は生涯カトリーヌお嬢様ただお一人。お嬢様がどんなことを考えていらっしゃろうと、わたくしはそれを変えるつもりはございません」
ウチの説得をエマは頑としてはねのけた。
エマは頑固な女性だ。
こうなったら説得は難しいかも知れない。
でも、納得して貰わなくちゃならない。
「ウチはもうアシャール家の人間じゃない」
「存じております」
「エマを雇うお金もない」
「それも存じております」
「だからエマがウチに仕えてくれる必要はもうない」
「わたくしの恩返しはまだにございます」
「エマ……」
エマは飽くまで着いてくるつもりらしい。
「お嬢様はわたくしの命を救って下さいました。右も左も分からぬ世間知らずであったわたくしに、もう一度生き直す道を下さいました」
エマの瞳は真摯な色を湛えていた。
「お嬢様がこれから歩まれる贖罪の道に供することこそ、わたくしのご恩返しと考えます」
エマはそういうとウチの目の前で臣下の礼を取った。
ウチは大きく嘆息して、
「ウチは知らないよ。好きにしたらいい」
「ええ。好きにさせて頂きます」
「……この頑固者」
「お嬢様こそ」
ウチは車椅子を翻してその場を離れようとしたけれど、ふいに車を押す手が軽くなった。
「自分で歩くから」
「わたくしはわたくしの好きにさせて頂いているだけでございますゆえ」
「手が弱っちゃうでしょ」
「今日は普段よりも多く歩かれたはず。今日の分の運動は足りていらっしゃるでしょう」
「……」
エマはどうあってもウチに仕えるつもりのようだった。
その事に途方もない罪悪感を覚える――と、同時に、これからの長旅が孤独でいられないという事実が堪らなく嬉しい。
「……エマ」
「はい、お嬢様」
「……ありがと」
「もったいのうお言葉にございます」
これからどう生きていくか、どこまで生きて行けるのか、それはまだ分からない。
でも、ウチの贖罪の旅はきっと、長いものになるだろう。
それでもウチは生きていく。
不器用でも、心優しい従者と一緒に。
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