第八章 最愛のレイとわたくし
第80話 噴火後のバウアー王国
サッサル火山の噴火の被害は甚大でした。
貴族院議員のなんと三分の一が亡くなっており、議会はその機能を停止する寸前でした。
ですが、議長が存命だったことやお父様が辣腕を振るったことなどにより、かろうじて機能を保っていました。
欠員をその血族が埋めたことである程度機能を回復した議会がまず話し合ったのは、亡くなったロセイユ陛下の世継ぎを誰にするか、ということでした。
当然、第一王位継承者であるロッド様が次の王に選ばれると思われていましたが、肝心のロッド様が噴火の直前から行方不明となっているのです。
王室の話では、ロッド様はサッサル山の麓の村に赴き、自ら住人を説得して避難を呼びかけに行ったのだとか。
レイが件の村について話したときは諦め口調だったロッド様ですが、実際には気に掛けて下さっていたようです。
(ですが、よりによってこのタイミングで――!)
憶測ですが、ロッド様は噴火に巻き込まれたのでしょう。
安否は定かではありませんが、噴火から五日たった今になっても何の音沙汰もないということは、無事でいらっしゃるとは考えにくいものがあります。
議会は紛糾しましたが、事態は急を要するということで、セイン様を即位させようという流れになりました。
王国という政治形態において、王が空位のままこの危機を乗り越えるのはほぼ不可能だったからです。
しかし――。
「本当に……お父様は何を考えていらっしゃいますの……」
新聞を読みながら、わたくしは思わず舌打ちしたくなりました。
わたくしは今、王立学院の自分の部屋にいます。
レイが何事かと振り向くのが分かりました。
お父様の不正のことを、わたくしは追及すべきだと主張しましたが、それはレイに反対されました。
今はお父様の政治力が必要な時期だから、と。
不正を行っていたとはいえ、お父様の政治家としての力は本物です。
今、お父様を政治の場から退けるのは得策ではないというのがレイの主張でした。
ですが、そのお父様はとんでもないことをしようとしています。
「なんて書いてあるんですか?」
わたくしの苛立ちが爆発寸前である事を察したのか、レイがそんな風に聞いてきました。
「セイン様の即位はお流れだそうですわよ」
わたくしは吐き捨てるようにそう言うと、新聞の束をバサッとレイに放って渡しました。
記事によれば、セイン様即位の話はなくなり、代わりにお父様を始めとするロッド様派の貴族が政権運営を行うということでした。
そんな馬鹿なことがありますか。
「王国の主権者は飽くまで王ですわ。貴族院がすべきことは、一刻も早く次の王を選出することですのに」
新聞の論調もほぼわたくしのそれと同じです。
中には貴族によるクーデターと書いている新聞までありました。
もちろん、全ての貴族が今の流れに賛同しているわけではないようです。
ただ、貴族院議員のうち噴火の被害を受けて亡くなった者は、セイン様派とユー様派に多かったのがあまりにも痛すぎました。
ユー様の失脚によりユー様派の多くがロッド様派に鞍替えしており、またセイン様派は元々最小勢力だったといことも大きいでしょう。
そして何より肝心のロッド様が行方不明。
最大勢力が制御を失っている状態というのが今のバウアー貴族の現状でした。
「今は国が一丸となって国難に立ち向かわなければならない時。民は不安に戸惑っていますわ」
噴火による火山灰や火山弾の影響で、王都周辺の農作物は軒並みダメになってしまいました。
心ない商人たちにより、品不足を見越した買い占めが行われ、王都周辺では物価の高騰が続いています。
お父様たち臨時政府――自称ですが――も配給を行っていますが、それもいつまで持つでしょう。
わたくしとて手をこまねいているつもりはありません。
お父様たちが道を誤るのであれば、それを正すのが娘の役目。
とはいえ、ただわたくしが反対を表明したところで、お父様が聞く耳を持つとは考えにくいです。
お父様たち貴族を動かせるとしたら――。
「レイ、先触れを出しなさい。セイン様にお目に掛かります」
わたくしはセイン様に働きかけようとしました。
お父様たちの動きのせいで即位を見送られていますが、本来であればセイン様が次の国王です。
王室が毅然とした態度を取れば、あるいはお父様たちも考えを変えるかも知れないと考えたのです。
しかし――。
「……難しいのではないでしょうか」
「どうしてですの!」
レイに難色を示され、わたくしは思わず声を荒げてしまいました。
自制心が必要と思ってはいても、噴火からこちらあちこちを走り回っていたせいで、抑えが効かなくなっています。
「クレア様はセイン様を封じ込めているドル様のご息女です。セイン様派からすれば怨敵に等しいお立場ですから」
「……ぐ」
レイの指摘はもっともなものでした。
王室をないがしろにしている者の娘の言うことなど、王室が耳を貸すはずがありませんでした。
こんな簡単なことですら、今の私は指摘されるまで気がつけなかったのです。
「クレア様、あまり思い詰めない方がいいですよ。噴火からこちら、クレア様は頑張りすぎです」
レイはそう慰めてくれますが、わたくしにはそうは思えませんでした。
「わたくしはすべきことをしたまでですわ。なのに、お父様はすべきことをしていらっしゃらない」
今のお父様の行動は理解不能です。
常日頃からバウアー貴族ならばかくあるべしと仰っていたあのお父様とは思えません。
新聞の中には、お父様がこの機会に王権を簒奪するのは、とまで書いているものまであります。
理想と思い描いていたお父様をそんな風に書かれて、わたくしは居たたまれない思いでした。
本当に、どうしてしまいましたのよ、お父様……。
「クレア様はできる限りのことをなさっています。今は少し休まれるべきです。ここ数日、ほとんど寝ていらっしゃらないじゃないですか」
言われて頬を撫でてみると、心なしか肌がかさついているように感じました。
レイが丁寧に手入れをしてくれていますが、このところお風呂にもろくに入れていません。
睡眠不足も深刻です。
今日明日どうということではありませんが、こんなことを長く続けられるはずはありませんでした。
「私はまだ平気ですわよ。平気ですけれど――」
そう言うと、わたくしは椅子から立ち上がってレイに近寄ると、
「……でも、ちょっとだけ、疲れましたわ。少しだけこうしていさせて下さる?」
「く、クレア様!?」
わたくしはそっと彼女にもたれかかりました。
「レイがいてくれてよかった。わたくし一人ではとっくに潰れていましたわ」
「クレア様、大丈夫ですか? いえ、大丈夫じゃありませんね。私に甘えるクレア様なんて大丈夫なわけが――」
「デレてるんですのよ。こういう使い方でいいんでしょう?」
「ええと、間違いではないのですが……」
突然のわたくしの行動に、レイは動揺しているようです。
「わたくしだって、誰かに甘えたくなるときくらいありますわよ。以前はレーネによくこうして貰っていましたわ」
「……ああ、そうですか」
そのレーネも今はここにいません。
レイがいなかったらと思うとぞっとします。
「貴族であることはわたくしの誇りの一つですけれど、時々……本当に時々ですけれど、こういう義務感から自由になってみたいと夢想することがありますわ」
「いいことじゃないですか。貴族なんてやめちゃいましょうよ」
「そういうわけにはいきませんわ。わたくしがこれまで贅沢を許されてきたのは、こういう有事の際に働くことを義務づけられてきたからですもの」
「お堅いですねぇ、クレア様は」
レイが苦笑しました。
「じゃあ、戯言としてでいいので教えて下さい。貴族でなくなったとしたら、何かしたいことはありますか?」
レイはふいにそんなことを笑いながら聞いてきました。
貴族でなくなったら……?
「……そうですわね……」
その想像はわたくしにとって難しいものでした。
わたくしにとって貴族であるということは息をするように当然のことで、そうでない自分を想像するなんてことは今までしたことが……。
いえ、そういえば誰かにそんなことを言われたことがあったような気もします。
「料理とかお裁縫でも習ってみたいですわね」
散々考えた上、わたくしに思いついたことはそんなつまらないことでした。
「意外な回答ですね。そんな平民みたいなことを?」
「あなたには随分と世話になりましたもの。貴族でなくなったのなら、それくらいしか返せるものがありませんわ」
わたくしの答えに、レイは目を白黒させました。
「なんですの、その顔。あ、わたくしもう何日もお風呂に入っていませんわね。匂うかしら?」
「いえ、全然。むしろいい匂いがします」
何を言い出すんですのよこの人は。
「嘘おっしゃい。いい機会ですからお風呂にしましょう」
「はい」
わたくしはレイを伴って風呂に向かいましたが、噴火の影響で湯温が安定しないらしく、寮の温泉は使用禁止になっていました。
「あー、もう!」
「どうどう。クレア様、どうどう」
結局、自室でいつものようにレイに身体を拭いて貰うだけにとどめます。
温かいタオルの感覚にほっと一息をつきながら、これからのことを考えます。
(何とかしなければ……何とか……)
それでも気ばかりがせいて、具体的な解決策は何一つ思いつかないのでした。
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