第76話 さよなら

「そこのあなた、お待ちなさいな」

「……!」


 コンサートホールの裏口から出てすぐ。

 関係者や業者が利用するその裏道は既に暗くなっていました。


 わたくしが呼び止めたのは燕尾服に身を包んだ音楽家と思われる男性でした。

 一見すると怪しい所はありませんが、なぜ息を潜めるように、しかも裏口から出て行くような真似をしたのかが気になりました。


「何か、ご用でしょうか?」

「失礼。二、三おうかがいしたいことがございますの。少し、お時間をよろしくて?」

「生憎と先を急ぐ身でして。それではこれで――」

「動いたら撃ちます」

「!」


 わたくしはホールから出るときに返して貰った魔法杖を抜き、男性に突きつけました。

 はっきりとは分かりませんが、この男性には何か違和感があります。

 あるいは、それは既視感だったかも知れません。


「何をするのです」

「手を――手を見せなさい」

「どうぞ?」


 男性は素直にわたくしの言葉に従いました。

 わたくしは少し近づいて男性の手を観察しました。

 舞台でこの男性が持っていたのはピピのそれと同じヴァイオリンでした。

 男性の手には、ヴァイオリン弾きらしい弓だこが見て取れます。

 しかし、わたくしの疑念は晴れません。


「腕輪だよー、クレアちゃん」

「! 変身の魔道具!」

「ちっ……!」


 男性は苛立たしそうに舌打ちすると、身を翻して駆け出そうとしました。


「旦那様、ここまでです」

「!? エマ、貴様、裏切るつもりか!?」

「わたくしの主はカトリーヌお嬢様ただお一人にございます。旦那様にお仕えした覚えはございません」

「離せ! 離さぬか……!」


 男性を取り押さえたのはエマでした。

 地面に組み敷いたその手際は、とても一介のメイドの技とは思えませんでした。


「エマ……それにカトリーヌも。旦那様……ということは、この人は……?」

「うん。エマ、腕輪をー」

「はい」


 エマが男性の腕輪を引きちぎると、男性の姿がみるみる内に変わり――。


「クレマン=アシャール……一体、どうやって……?」

「音楽家の中に、アシャール家が手配した魔法使いがいたんだよー。もしもの時に体を入れ替えることの出来る、ねー。キャスリングとかいう魔法だったかなー?」


 説明するカトリーヌは車椅子に乗っていました。

 車輪を器用に手で動かしながら、カトリーヌはこちらにやって来ます。


「カトリーヌ! 貴様、育てて貰った恩を忘れたか!」

「それについては心から感謝しています、お義父様ー。でも、もうやめましょー? これ以上、アシャール家の家名に泥を塗らないで下さいー」

「何を言う!」


 クレマンは組み敷かれたまま身をよじり、なおも逃れようとあがいています。


「儂こそがアシャール家そのもの! 儂さえ生きながらえれば、アシャールは終わらぬ!」

「もうとっくに終わっていますよ、お義父様ー。十年前のあの日にねー」

「十年前……? カトリーヌ、あなた何を言っていますの……?」


 不吉な予感がしました。

 何か、とても良くないことが起ころうとしているような、そんな予感が。


「ウチはクレアちゃんに謝らないといけない」

「カトリーヌ……?」

「十年前、クレアちゃんのお母様であるミリア様を殺したのは――ウチだよ」

「――!?」


 わたくしは一瞬、何を言われたのか分かりませんでした。

 いいえ、耳はきちんとその言葉を聞き取りました。

 ですが、心がそれを理解することを拒否したのです。

 だってそんな、そんな馬鹿なことがあって!?


「何を言っているの、カトリーヌ。お母様は事故で亡くなったんですのよ?」

「その事故が、仕組まれていたことだったんだ。ウチはお義父様の差し金で、フランソワ家に差し向けられた暗殺者なんだよ」

「何を……あなたはさっきから何を言っていますの!」


 わたくしはやむを得ず杖を構えました。

 カトリーヌは動く様子を見せず、ただ車椅子の上で微笑んでいます。

 ――いつもと変わらぬ微笑みで。


「あの日、フランソワ家の馬車と衝突した平民の馬車には、ウチとやり手の暗殺者三人が同乗していたんだ。事故に見せかけてフランソワ家の馬車を止めると、ウチらはドル様たちに襲いかかった」


 カトリーヌはまるで独り言のように言葉を続けます。


「ウチらの襲撃を防いだのはミリア様だった」

「お母様が……?」

「ドル様は多分、戦闘向きの魔法が使えないのかな? とにかく、ウチらに応戦したのはミリア様だった。ミリア様はドル様の乗る馬車に何らかの防御魔法をかけて封印すると、自分は徒手空拳でウチらを相手にした」


 カトリーヌは目を閉じました。

 まるで当時のことを思い出すかのように。


「……それで……?」

「結果的に、ウチらは相打ちになった。こちらはウチを除いて全滅。ウチも左足に大けがをして行動不能だった。そしてミリア様は――」

「……お母様は……?」

「ウチを庇ってお亡くなりになった」

「どういう……ことですの……?」


 説明を要求するわたくしに、カトリーヌは再び目を開けました。

 その顔は、見たことのない自虐に歪んでいます。


「監視がいたんだよ。ウチらが失敗したことを察した監視たちは、証拠隠滅を図った。ウチと三人の仲間は消されそうになったの。でも、ミリア様がウチを助けてくれた」

「お母様……」

「全てが終わった後、ウチはウチの魔法を使って全てをなかったことにした。きっと事故現場にいた人には、ただの事故としか思われなかっただろうね」

「カトリーヌ……あなたは一体……」

「だからね、クレアちゃん。ミリア様を殺したのはウチなんだ。ずっと謝らなきゃと思ってた。ごめんね」


 カトリーヌは車椅子の上で深く体を折りました。


「今さら……どうしろというんですの……! そんな……そんなこと……!」

「許してくれとは言わないよ。ウチはそれだけのことをした。でも、償いをさせて欲しい」

「償い……?」


 わたくしが問うような口調で呼びかけると、カトリーヌは顔を上げました。

 そして、その手には魔法杖が握られています。


「!?」

「安心して。危害は加えないから」


 そう言うと、カトリーヌは杖を――クレマンに向けました。


「待て、カトリーヌ! 何をする!」

「お分かりでしょう、お義父様。ウチの魔法は――」

「や、やめよ! 儂はまだ終わらぬ! 帝国に逃げ延び、再起を――!」

「消去(イレイザー)」


 カトリーヌの杖から強い魔力を感じました。

 目には見えないその何かは、クレマンを包み込みました。


「嫌じゃ! 忘れたくない! 儂が儂でなくなってしまう!」

「……」

「誰か……! 誰か……儂を……助け……」


 かくり、と力を失ったように、クレマンの体が崩れ落ちました。


「……殺しましたの?」

「んーん。心をね、ちょっと弄らせて貰ったの」

「あなたの魔法は、姿を消す魔法ではなかったんですの?」

「そういう使い方も出来るけど、根本的には別の魔法だね」


 カトリーヌはエマに指示を出して、クレマンを連れて行かせました。


「ウチの魔法は記憶の消去だよ」

「記憶の消去?」

「うん。いつも姿を隠しているのは、視覚記憶を部分的に消去させて貰ってたの」

「器用ですわね」

「えへへ。でも、この魔法の本来の使い道は――」

「!?」


 わたくしは油断していました。

 危害は加えない、というカトリーヌの言葉を鵜呑みにしてしまっていたのです。

 カトリーヌの魔法はわたくしに向けられていました。


「カトリーヌ……!」

「クレアちゃんから……んーん、みんなからウチに関する記憶を消させて貰うよ」

「そんな……!」

「ウチが犯した罪は、死罪でも生ぬるい。ウチはこの先、誰の記憶にも残らずに生きていくことにするよ」

「そんなの……存在の否定みたいなものじゃないですのよ!」


 誰の目にも留まらず、誰の記憶にも残らない――そんな在り方はもう、生きているとは言えません。


「そうだね。それがウチに課された罰――この呪われた人生の生き方だと思う」

「考え直しなさい!」

「ごめんね、クレアちゃん」


 手足から力が抜け行くと同時に、頭の中から何か大切なものがかき消えて行くのが分かりました。


「わたくし、絶対に忘れませんわよ! あなたが何をしたって、絶対に……絶対に!」

「クレアちゃん……」

「見てなさい、カトリーヌ! ……いくらあなたが強がったって……わたくしには……分かって……」


 意識が、遠くなります。

 わたくしは……誰と、何を話しているのでしたっけ……?


「……やっぱりやだ……やだよう……。でも……でも!」


 薄れ行く意識の中、誰かが涙ぐむ声が聞こえます。

 でもそれが誰かはもうわたくしには分かりませんでした。


「さようなら……クレアちゃん」


 最後に聞いた声はとても悲しくて、わたくしは頬を伝う涙を抑えられないまま、眠りにつきました。

 

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