第75話 決着
「無駄な悪あがきはやめなさいな、クレマン!」
「大口を叩くな、小娘。いくら大局的には追い詰められようと、事この局面においては儂の方が有利。お前にこの盤面を覆せるか?」
「……くっ!」
やられました。
わたくしたちは確かな証拠さえ突きつけ、その罪を確定させればそれで終わりだろうと思っていました。
ですが、甘かったのです。
クレマンはロセイユ陛下の命を狙い、あまつさえそれを手土産にどこかへ逃げ去ろうという心づもりのようです。
陛下の御首を手土産に喜ぶような相手と言えば、その候補は恐らく――。
「クレマン、あなた帝国と通じていたんですのね!」
「侮るな、小娘。帝国なぞバルリエと同じく儂の商いの相手に過ぎん。それを通じるなどと言われてはの」
「クレア様、お下がり下さい!」
「離しなさい、レイ! 陛下のお命が危機にさらされているのに、黙って見ているわけには行きませんわ!」
陛下だけではありません。
この場には周辺各国から招いた著名人や文化人、それに政治家たちもいるのです。
このままではクレマンを捕らえるどころではなくなってしまいます。
「陛下、ここは私に任せてお逃げ下さい」
「セイン……」
「御身はこのバウアーになくてはならぬ方。ここでクレマンごとき外道に害される訳には参りません」
「……セイン、お前はもしや――」
「さあ、お早く」
「……任せる」
貴賓席ではセイン様がロセイユ陛下を逃がそうとしているようでした。
数少ない近衛兵のほとんどを陛下の供に回し、自分の身は自分で守る、という心づもりのようです。
「……全く、セイン様ったら健気ですこと!」
近づいて来たクレマンの私兵を手加減しつつ焼き払いながら、わたくしは苦笑しました。
セイン様は恐らく例の噂から、ご自身の出生に疑いを持っているのでしょう。
つまり、ロセイユ陛下は本物の父ではないかも知れないという疑念があるはずなのです。
それでも、セイン様の選択はああでした。
彼の陛下に対する敬愛は、単なる血縁以上に深くて重いものだということです。
「それに比べて、あの者のなんて浅ましいこと!」
クレマンは舞台の上の音楽家たちを人質に取り、自分は壇上で高みの見物を決め込んでいるようです。
動いているのは私兵たちのみ。
彼らだって恐らく、クレマンに何かしら弱みを握られているのだとわたくしは感じていました。
そうでなければ、手加減などせず全力で焼き払っているところです。
「粘るな、小娘ども。だが、そこまでだ。セイン王子、あなたもだ」
低く声が響きました。
つられて舞台を見れば、クレマンはロレッタに短剣を突きつけていました。
「一歩でも動けば、この娘を殺すことにしよう」
「やってみなさい。その瞬間にあなたを焼き尽くして差し上げますわ」
「出来るかね? この人間の盾をかいくぐって?」
「……この外道」
「老獪というのだよ、これは」
皺を深くして笑うクレマンの姿は、醜悪そのものでした。
本来であればロレッタほどの使い手が、大人しく人質になるはずがありません。
ですが、今の彼女は丸腰です。
手荷物検査をかいくぐって、せめて魔法杖の一本でも持たせることが出来ていたら……。
クレマンが短剣を持ち込んでいるのは、当然、不正でしょう。
「クレア様、私に構わずクレマンを討って下さい」
「何を馬鹿なことを言っていますの」
「クレア様のためなら、私、死んでも構いません」
「いいわけないでしょう! 必ず助けますから、あなたは少し黙っていなさい」
「黙りません!」
「!?」
その叫びはとても悲痛で、わたくしは少し動揺しました。
「やはり小娘は小娘よな、ミリアの娘。クグレットの娘が何を言っているか分からんと見える」
「……あなたには分かるとでも?」
「分からいでか。こやつは貴様のことを好いているのよ。気付かなんだか」
「!? ロレッタ……あなた……」
「すみません、クレア様。私なんかが好きになってしまって。でも、あなたにもしものことがあったら、私……」
ロレッタはそう言うと俯いてしまいました。
陰になって見えないその顔から、光るものが流れ落ち絨毯を濡らします。
「さあ、小娘、諦めよ。なに、この場限りの引き分けよ。大局的には既に儂の負けだ――この国ではな。だが、貴様との決着はまたそのうち、の」
「逃がすと思いますか?」
「平民、貴様にも何も出来まい」
「私はロレッタ様なんてどうでもいいです。なんならセイン様やロセイユ陛下も」
「レイ!?」
とんでもないことを言い出したレイに、わたくしは思わず目を剥きました。
「だからこそよ。貴様の優先順位はフランソワの小娘であろう?」
「耄碌してとち狂ってる割にはよく分かってるじゃないですか」
「そうとも。ここで儂を仕留めたとして、フランソワの小娘が大事にしておる者たちが死ねば、貴様が小娘から決定的に信頼を失うこともな」
「……クソジジイ」
「言っただろう。これが老獪というものだ」
レイですら、かの老人の手の中だというのでしょうか。
何か……何か方法はありませんの……!
「全員、そのままでな。兵ども、逃げたロセイユを追え。儂は――」
「と、いうわけで、そろそろ良いでしょ、ピピ?」
「ええ、ロレッタ」
何ごとか、と誰もが思ったその瞬間――。
「天使の咆哮(エンジェル・ハウリング)!」
質量を伴うような重低音が響き、わたくしを含めその場にいた全ての人間が膝を着きました。
「な……これは……!」
「はい、今度こそチェックメイト……で、いいのよね、ロレッタ?」
「うん」
まだ立てないでいる――どころか、何が起きたのかさえ分からずにいるクレマンを、ロレッタが近くにあったコントラバスの弦で縛り上げました。
「ば、バルリエ家の小娘……貴様、一体何を……!」
「ヘイトクライってありますよね。ご存じないですか、クレマン様?」
「は、はあ?」
「今のは楽器でそれを再現したものです。ここまで広範囲かつ高出力になるとは、ちょっと思っていませんでしたけれど」
ピピはニコニコしながら手の内を明かしました。
ヘイトクライは魔物が使う一種の威嚇咆哮で、無防備な状態でこれを受けると、一時的な行動不能状態に陥ります。
レレアの母親が使ったものと同じですわね。
ピピはそれを模した魔法を使ったというのです。
「な……では、その楽器は……?」
「ええ、魔道具ですよ。ちょっと偽装してますけれどね」
てへ、と舌を出したピピは、まるで悪戯が成功した子どものようでした。
「こんな……こんなことで……この儂が……」
「ええ、終わりです」
「バカな……! 兵ども、何をしている! 早く立って何とかせぬか!」
往生際悪くクレマンが檄を飛ばしますが、それに答える者は誰一人いませんでした。
クレマンが捕まったと見ると、私兵たちは一人、また一人と自ら投降して行きました。
脅しや弱みにつけ込む形でしか人を使えなかった老人の、それはそれは憐れな末路であると言えました。
「お手柄ですわね、二人とも!」
ピピの魔法から立ち直ったわたくしは、舞台に駆け上がると二人を抱きしめました。
「痛い痛い! 痛いですよ、クレア様!」
「これくらい我慢なさい。あんな小芝居までして。心配したんですのよ?」
「小芝居、ですか?」
「ほら、わたくしが好きとかなんとかいう」
あれも当然、演技なのだろうと思っていると、
「……はぁ」
「何ですのよ、その溜め息は?」
「同情します、ロレッタ様」
「流石にもう叶わぬ恋だね、これは」
「ロレッタには私がいるでしょ?」
「えっ?」
「えっ?」
「えっ?」
「えっ?」
と、新たな火種が生まれつつあったところに、
「皆の者、よくやってくれた」
「陛下!」
貴賓席から降りてきたロセイユ陛下の登場に、一同が一斉に膝を折った。
「よい。此度の働き、誠に見事であった。特にバルリエの娘とクグレットの娘。そなたら二人の働きについては、特別厚く報いてやらねばな」
「そんな!」
「もったいないお言葉です!」
ピピとロレッタは陛下の言葉に恐縮しきってしまいました。
「クレア=フランソワ、レイ=テイラー、リリィ=リリウム」
「はっ」
「はい」
「は、はい!」
「そなたらの報告では、バルリエ家には人身売買への関与の件で、罪状減免の嘆願があったな?」
「左様にございます、陛下」
「前向きに検討しよう。引き続き、特務官の任に当たって欲しい」
「かしこまりました」
陛下は頷くと、近衛兵たちを連れてホールを退出なさいました。
「それにしても、危なかったですね」
「レイですら、やり込められることがあるんですのね」
「あれは私と同類ですから」
「ど、同類?」
「目的のために手段を選ばないタイプです」
「あ、あー……」
レイの説明にリリィ様は納得しかかっていましたが、
「全然違いますわよ」
わたくしはきっぱりと否定しました。
「どこがです?」
「レイはそもそもの目的が邪悪だったりしませんもの。全然違いますわ」
「……ほら、ね、ロレッタ?」
「こっちはちゃんと分かり合ってるんだね」
「何のことですの?」
「何でも!」
「クレア様のバカってことです!」
「えええ!?」
そんな会話をして、ひとしきり笑っていると、視界の隅に映るものがありました。
わたくしは会話を切り上げると、その人物の後を追いました。
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