第74話 音楽祭
バウアー音楽祭は国王主催で行われる国際的な音楽イベントです。
ロセイユ陛下を始めとする王族も臨席しています。
出演する音楽家たちはバウアー人だけではなく、隣国のアパラチアやスースのみならず、西方のロロからもやって来ます。
非常に権威のある音楽祭で、ここに招かれることは音楽家にとってこの上ない名誉であるとともに、将来の成功を約束する大変重要なものでもありました。
「その素晴らしい機会を、このような形で損なってしまうことを、まずはお詫びしますわ、ピピ、ロレッタ」
わたくしはステージ衣装に身を包んだ二人に頭を下げました。
ピピとロレッタは慌てたように首を振ります。
「頭を上げて下さい、クレア様!」
「そうです! 確かに今回の音楽祭はきっと滅茶苦茶になるかもしれませんけれど、私たちにはまだまだチャンスがありますから」
顔を上げると、そこには「また必ず実力で戻って来てみせる」と頷く、頼もしい二人の姿がありました。
最初に出会った頃の、頼りない二人の姿はもうありません。
「大体、こうなったのは全部クレマン様のせいじゃないですか」
「そうですよ。クレア様のせいじゃありません」
「ありがとう、二人とも。協力に感謝しますわ」
クレマン様が顔を出すと思われるのは、音楽祭最後の表彰式のタイミングのみです。
表彰式はロセイユ陛下も出席するため、警備は厳重であり、無論、手荷物検査もあります。
そして限られた者しか舞台には近づけないのは言うまでもありません。
そのため、参加者である二人の協力は欠かせないのです。
「まずは二人とも、演奏に集中してちょうだい」
「はい!」
「楽しんできます!」
◆◇◆◇◆
音楽祭が始まりました。
会場となっている王立コンサートホールは貴族を中心とした様々な国からの招待客で埋め尽くされています。
誰もがこの後に待っている混乱など知るよしもなく、音楽家たちが奏でる至上の演奏に聴き惚れている様子でした。
「クレア様、そろそろロレッタ様とピピ様の出番ですよ」
「分かっていますわ」
「お、お二人とも、演奏に集中出来ると良いのですが……」
「きっと大丈夫ですわよ」
プログラムを見ていたレイの声に応え、心配げな様子のリリィ枢機卿を宥めつつ、わたくしはホールの中を油断なく観察していました。
(……警備の数が多すぎますわ。それも、恐らくアシャール家の私兵ばかり。クレマン様、何を考えていらっしゃいますの……?)
不吉な予感が頭をよぎる中、いよいよピピとロレッタが登場してきました。
二人はかねてからの夢を、この音楽祭の場で実現させようとしているのです。
――私、彼女のピアノと一緒にヴァイオリンのコンサートをするのが夢なんです
そう言って笑ったピピは、今、ヴァイオリンを構えながら舞台でロレッタに笑いかけています。
ロレッタもピアノの前に座り、ピピの合図を待っています。
演奏が始まりました。
虹色のパレットを持つと評されたロレッタの鮮やかな旋律に、ピピのストイックなほど正確で超絶技巧の調べが加わります。
特徴的には真逆のはずの二つの音は、不思議と溶け合い絡み合い、新しい音色を作り上げていました。
(ピピ、ロレッタ、本当に素晴らしい演奏ですわ)
観客の中にはハンカチを取り出す者も少なくありません。
それほどに、二人の演奏は聴く者の心を五感から揺さぶって来ました。
演奏時間は恐らく十分ほどだったでしょう。
ヴァイオリンとピアノの協奏曲としては普通の長さです。
ですが、今日この場にいる誰もが思ったことでしょう。
もっともっと――それこそいつまででも聴いていたい、と。
最後の一音が虚空に消えたとき、会場からは地鳴りのような大きな拍手が湧き起こりました。
「ブラボー!」
「新たな天才たちに祝福あれ!」
「素晴らしかったわー!」
惜しみない賛辞が、舞台の上の二人に送られます。
わたくしも、手が痛くなるほど拍手を送りました。
「私、音楽は素人ですけど、ピピ様とロレッタ様が凄いことは分かりました」
「り、リリィもです」
「当然ですわ。だって――」
わたくしは誇らしい気持ちで二人に言いました。
「だって、二人はこのクレア=フランソワの親友ですわよ?」
◆◇◆◇◆
プログラムは進行し、ついに最後の表彰式を残すのみとなりました。
壇上には今回の音楽会で演奏した音楽家たちが一堂に会しています。
客席からは再び彼らを賞賛する拍手が送られていました。
貴賓席にはセイン様を伴ったロセイユ陛下の姿もあります。
「それでは本音楽祭の企画責任者であらせられる、クレマン=アシャール様よりお言葉を賜ります」
司会のその言葉に、会場が静まりかえりました。
わたくしはレイとリリィに目で合図をすると、二人も頷き返して来ました。
壇上を注意深く見守ります。
スポットライトが当てられ、舞台袖から一人の老紳士が杖を突きながらやって来ました。
クレマン様です。
ですが、まだ油断は出来ません。
壇上の人影はよく似た影武者かもしれないからです。
「国王陛下におかれましては、本年も御前に音楽を奏上奉れましたことをお喜び申し上げます。また、ご参加の諸君に心よりの賞賛を送りたい。此度は栄えあるバウアー音楽祭に――」
朗々と祝辞を読み上げるその声も、確かにクレマン様のもの。
流石にここまで確認すれば大丈夫でしょう。
あれはクレマン=アシャール侯爵本人に間違いありません。
「以上をもって、企画責任者の挨拶の言葉とする。静聴に感謝する」
「異議あり!」
「!?」
糾弾の声はクレマン様と同じ壇上から発せられました。
「我が父、パトリス=バルリエを唆し、あまつさえ己の罪を全て着せようとした重罪人に、栄誉ある音楽祭で祝辞を述べる資格などありません!」
声の主はピピでした。
ピピはホール全体に響き渡るような大声で、クレマン様の罪状を読み上げました。
「誰かと思えばバルリエの娘か……。愚かな。何を世迷い言を申しておる」
「世迷い言ではありませんわ!」
言い逃れを始める前に、わたくしも客席から声を発しました。
クレマン様はわたくしの姿を目に留めると、露骨に舌打ちをして睨み付けてきました。
ですが、あの日アシャール邸で無力感に打ちひしがれたわたくしと、今のわたくしは違うのです。
わたくしには頼りになる友がおり、知己がおり、そして、レイがいるのですから。
「フランソワ家のご令嬢までもか。バウアー貴族も落ちたものだ。言いがかりも甚だしい」
「これを見てもまだそんなことが仰れるかしら?」
わたくしは火属性魔法の一つライトを使い、レイに手伝って貰ってまとめ上げたクレマン様の人身売買の概要を舞台の幕に投影しました。
「クレマン、申し開きはあるか?」
貴賓席にいるロセイユ陛下がクレマン様を問い質しました。
クレマン様は落ち着き払って、
「このようなことは承知しておりません。わたくしは何らあずかり知らぬこと。大方、ドルめらがわたくしを陥れようと――」
「言葉を弄すでない。提示された証拠はそのような言いがかりでないことは自明である」
「……」
陛下にぴしゃりと言われ、クレマン様は黙りました。
「言い訳は牢で聞くとしよう。クレマンを捕らえよ」
陛下が命じると、警備の兵たちはクレマン様を捕縛しに動き――ませんでした。
「……何をしておる。クレマンを――」
「もはやこれまで。事ここに至っては御命を頂戴し、転身の手土産とさせて頂こうかの」
クレマン様――いえ、クレマンは持っていた杖を振り上げると、その先をロセイユ陛下に突きつけてこう言いました。
「兵ども。バウアー国王、ロセイユの御首(みしるし)を上げよ」
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