第73話 決戦前夜

「と、いうわけで、明日の音楽祭でクレマン様を捕らえますわ」

「……そっかー。とうとうお義父様も年貢の納め時だねー」


 国王主催の音楽祭を明日に控えた日の夜。

 わたくしはカトリーヌと供に最後の打ち合わせをしていました。


 わたくしたちがバルリエ男爵家を訪れたことをクレマン様は既に知っているようで、彼は今姿をくらましています。

 恐らく、証拠の隠滅と責任逃れに奔走している最中だと思われますが、その居場所は息子であるクリストフ様でも分からないのだとか。


 ですが、クレマン様は音楽祭の企画責任者です。

 明日の音楽祭には必ず姿を現すはずです。

 わたくしたちはその機を捉えて、クレマン様を告発するつもりでした。


「くれぐれも気をつけてね。お義父様、本当にしぶといし諦めが悪いからー」

「ええ、分かっていますわ」

「うん、ならいいやー」


 カトリーヌは穏やかに笑っています。

 それがわたくしにはたまらなくやりきれませんでした。

 明日、クレマン様を捕まえれば、アシャール家は終わりです。

 必然的にカトリーヌもまた、路頭に迷うことになります。

 それが分かっていてなお、カトリーヌはこうして笑っています。

 ――なぜか。


「カトリーヌ、無理しないでいいんですのよ?」

「何がー?」

「あなたがどんな顔をしていても、わたくしの決意は揺らぎません。ですから、無理して笑おうとするのはおやめなさいな」

「たはは……。バレバレかー。クレアちゃんには敵わないやー」


 そう言うものの、カトリーヌの表情はやはり変わらないのでした。


「カトリーヌ。あなた、うちの子になりませんこと?」

「クレアちゃん、何言ってるのー? そんなこと出来るわけないじゃないのさー」


 カトリーヌは面白い冗談だと笑いました。

 でも、わたくしは全くもって真剣でした。


「養子縁組という手がありますわ。アシャール家の息女であれば家格は十分でしょう?」

「そんなの、ドル様が許可するわけないよー。敵には容赦しないことで有名な方でしょー?」


 確かに、お父様は一度敵対した相手には容赦がありません。

 お父様が恐れられている理由の一つでもあります。

 ですが、わたくしはどうしても諦められないのでした。


「わたくしが説得しますわ」

「どうやってー?」

「どうやってでも」

「無理だよ、クレアちゃん。政敵かつ犯罪者になった者の娘に情けをかけたなんて噂がたったら、フランソワ家の名に傷がつくよー」

「むしろ懐が深いと思われるかも――」

「クレアちゃん」


 なおも言いつのるわたくしをカトリーヌはやんわりと、しかしぴしゃりと遮りました。


「今は余計なことを考えずに、明日、確実にお父様にチェックメイトをかけること。それだけ考えて、ね?」

「……分かりましたわ」


 などと言いつつ、わたくしは欠片も諦めていませんでした。

 何とかしてカトリーヌを救う方法はないか。

 貴族としては無理でも、平民として、あるいは修道女として生きていく道はないか、と思考を巡らしました。


「ねぇ、クレアちゃん」

「なんですの」

「ウチら、知り合ってどれくらいになるんだっけー?」

「もう十年になりますわね」

「そっかー。長かったような、短かったような……」


 そんな過去形で言わないで欲しいとわたくしは思いました。


「まだまだこれからですわよ。あなたみたいに世話が焼ける人、放っておけるわけないんですから」

「それをクレアちゃんが言うー? クレアちゃんだって大概だと思うよー?」

「言いましたわね!」

「きゃあ、ギブギブ! クレアちゃん、参った!」

「全く……」


 ひとしきりじゃれると、不意に沈黙が訪れました。

 カトリーヌとわたくしの仲ですから、別に沈黙は不快ではないのですが、この時はなぜかこのままではいけないような気持ちになったのです。

 わたくしがせき立てられるように何かを言おうとすると、


「クレアちゃん、飴取ってくれる?」


 カトリーヌの方が先に沈黙を破りました。


「またこんな時間に。あなたよく虫歯になりませんわね?」

「えへへー」

「飴ですわね。ちょっとお待ちなさいな」

「クレアちゃんにも一個上げるー」

「いりませんわよ」

「お願い。一緒に食べて。最後かも知れないでしょー?」

「……カトリーヌ……」


 わたくしは猛烈に反論したくなりましたが、それをぐっとこらえました。

 彼女の机にあるキャンディポットから飴を二つ取り出し、一つをカトリーヌに渡し、もう一つを自分の口に放り込みました。

 リコリスの独特の風味が、口を満たしていきます。


「残り一個ですわね」

「だねー」

「明日一日、良い子にしていたら、新しいのを買ってあげますわ」

「悪い子にしてたらー?」

「食べてしまいますわ」

「そいつは大変だー。良い子にしてるー」

「そうしてちょうだいね」


 決して好みではない味の飴を舐めながら、わたくしはカトリーヌとの軽口を心地よいものに感じていました。

 

 その時、扉をノックする音が聞こえました。


「私です」

「エマ? どうしましたの、こんな時間に?」

「あ、ウチが呼んだの。明日のためにねー」

「明日の? どういうこt――」

「エマ、入ってー」

「失礼します」


 入室してきたエマはまだ仕事着のままでした。


「クレアちゃん、ウチのことはいいから、エマのことをくれぐれもお願いねー」

「あなた、またそういうことを――」

「お願い」


 カトリーヌは普段の締まりのない顔から真剣な表情になって、そう言いました。

 わたくしは彼女のお願いに弱いのです。

 彼女自身も、それを分かっていてそう言っています。


「はぁ……、分かりましたわ。仕事の当てを探しておきま――」

「お断りします、お嬢様方」


 溜め息混じりに請け負おうとしたわたくしの言葉を遮って、エマは厳然とカトリーヌに反抗しました。


「エマ……?」

「わたくしがお仕えするのはこの世でただお一人、カトリーヌお嬢様だけにございます」


 エマはいつもの生真面目で神経質そうな表情のまま、カトリーヌに忠誠を宣言しました。


「エマ……気持ちは嬉しいけど、明日になったらウチはもうキミを雇う余裕はなくなっちゃうんだよー」

「構いません。お嬢様にお仕えできるのであれば、給金など必要ございません」

「そういう訳にはいかないでしょー? ねぇ、エマ。聞き分けて?」

「嫌でございます」


 飽くまで一歩も譲らないエマに困ったのか、カトリーヌが「助けて」という視線をこちらに向けてきました。


「エマ、あなたは何故、そんなにカトリーヌに執着するんですの?」

「お嬢様に拾って頂かなければ、わたくしはとうに野垂れ死にしておりました。わたくしの命はお嬢様のものです」


 エマの話によると、彼女はスラムにいたことがあるらしいです。

 元々は他国でそれなりの地位にあったそうですが、政争に敗れて落ち延びたのだとか。

 流れ流れて王都にやって来て盗みを働いて捕まり、殴る蹴るの暴行を受けていたところを、カトリーヌの取りなしによって救われたと言います。

 その後、エマはカトリーヌ付きのメイドになったのだそうです。

 最初はクレマン様の言いなりなのかと思っていた彼女ですが、実は本当に心の底からカトリーヌに心酔してのあの発言だったということです。


「くすくす……困りましたわね、カトリーヌ?」

「笑ってないで、クレアちゃんもエマを説得してよー」

「無駄でございます」

「エマもさあー……」


 ほとほと困り果てた、という様子のカトリーヌに、わたくしは笑いが止まりませんでした。


「ほら、カトリーヌ。諦めて明日の向こうを生きる方法を考えなさいな。……いいえ、一緒に考えさせてちょうだい」

「クレアちゃん……」

「あなたには友人も、仕えてくれる使用人もいるのです。わたくしたちの信頼を裏切らないで、ね?」

「……はあ、みんな頑固なんだから」


 お手上げ、といった様子で天を仰ぐカトリーヌは、それでもどこか嬉しそうで。

 解決すべき問題は山積みでしたが、わたくしは何となく、全てが上手く行きそうな気がしていたのでした。


 ――それが、全て幻だったということにも気付かずに。

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