第72話 父と娘

「申し開きはありまして、パトリス男爵?」

「……」


 バルリエ男爵邸を訪れたレイ、リリィ枢機卿、そしてわたくしは、応接室で当主であるパトリス=バルリエ男爵と向かい合っています。

 携えてきた人身売買に関する証拠を突きつけると、パトリス男爵は俯いて押し黙ってしまいました。


「パトリス様、沈黙は肯定と見なしますよ? いい加減観念して白状したらどうですか?」

「り、リリィたちはパトリス様の罪状を減免する用意があります。つ、罪を認めてクレマン様への捜査にご協力頂けませんか?」


 レイとリリィ枢機卿も畳みかけます。

 飴と鞭という言葉がありますが、二人はまさにそれでした。

 大抵の貴族はこれで落ちます。

 しかし、パトリス男爵は沈黙したままでした。


「パトリス男爵、沈黙は金なり……とは、この場合なりませんわ。それは分かっているでしょう?」

「……」

「人身売買が実際に行われていたのはバルリエ領です。このままだと、パトリス様が全ての罪を被ることになりますよ?」

「だ、男爵お一人が悪者にされていいんですか? 罪状の減免を受けなければ、パトリス様だけでなく奥様やピピ様だって――」

「何も言えない」


 リリィ枢機卿の言葉を遮るように、パトリス男爵はぴしゃりとそう言いました。


「男爵……」

「罪は認める。全ては私が企てたこと。どんな刑罰も受け入れよう」


 相変わらず俯いているので、パトリス男爵の表情は見えません。

 ですが、男爵は絞り出すような声で、全てを受け入れると言いました。


「その結果、奥様やピピまで巻き込むことになってもいいんですのね?」

「妻やピピには申し訳ないと思っている。私は死罪だろうし、バルリエ家は取り潰しになるだろう」

「ええ、そうでしょうね」

「残される二人には苦労をかけることになる。だが、それでいい」


 パトリス男爵の声は震えていました。

 彼は小心者だということで有名な人です。

 代々受け継いできた家が取り潰しになり、自分自身も処刑されると聞いて、平常心でいられるはずがないのです。

 それでも、男爵は頑として口を割りませんでした。


 わたくしがどうしたものかと思案していると、突然、応接室の扉が開きました。


「お父様!」


 乱暴な音を立てて開かれた扉の向こうにいたのは、ピピでした。

 怒り心頭といった感じの彼女の様子から察するに、どうも会話を盗み聞きしていたようです。

 この部屋は防音されているはずでしたが、一体どんな手を使ったのか。

 いえ、そんなことはどうでもいいですわね。


 部屋に入るなりつかつかと父親に詰め寄ったピピは、その肩を揺さぶりながら言いました。


「どうして黙っているんですか、お父様! 話してしまったら良いじゃないですか! 全部、アシャール侯爵に言われてやったことだって!」

「黙りなさい、ピピ」


 糾弾するピピの方も向かず、男爵は相変わらず俯いたままです。


「こんなのおかしいじゃないですか! どうしてお父様一人が罪を被らなきゃいけないんですか!? 正直に話せば罪の減免が受けられるのでしょう!? それなら全部――」

「ピピ!」

「っ……!」


 まくし立てるピピに対して、男爵は強い語調でそれを遮りました。


「話すことは出来ないんだ。私一人が罪を被る。それでいい」

「お父様……どうして……!」

「クレア様、今まで娘と仲良くして下さってありがとうございました。このような結果になりましたこと、誠に申し訳なく思います」

「男爵……それでいいんですの……?」

「はい」


 男爵は顔を上げました。

 その顔は何かを覚悟した男性のそれでした。


「お父様の馬鹿……ばかぁ……!」


 ピピはその場に泣き崩れました。

 わたくしは見ていられませんでしたが、これも仕事です。

 男爵の決意は固いようですし、証拠のことはひとまず諦め、わたくしは男爵を逮捕しようとしました。


 その時――。


「あまりいじめないで上げてくれないかな、ピピ様。男爵が黙りこくっているのは、あなたと奥様のためなんですから」


 柔らかい声が新たに応接室に響きました。

 扉の方を見ると、そこにいたのは意外な人物でした。


「クリストフ様……」

「クレア様、男爵の逮捕は少々待って頂きたい。事情は私から説明致しましょう」


 クリストフ様は一人の使用人を拘束していました。

 何かを察したらしいレイがそれを引き継ぐと、クリストフ様はゆっくりとした足取りでピピに近づき、そっと彼女を抱き起こして男爵の隣に座らせました。


「クリストフ様、どういうことですか? 父が脅されていたとか、母と私のためだとか」

「言葉通りの意味です。男爵は父――クレマン侯爵に脅されているんですよ。言うことを聞かなければ、妻と娘の命はないぞ、とね」

「――!?」


 ピピは驚きに目を見開くと、すぐに隣の父親を見ました。

 男爵は再び俯いて体を震わせています。


「そもそも変だとは思いませんでしたか? 小心者で有名な男爵が、こんな大それた犯罪を犯すなんて」

「そこはわたくしもおかしいと思っていましたわ。どう考えてもリスクにリターンが見合いませんもの」


 ピピと仲良くなって以来、男爵とも長い付き合いです。

 わたくしは彼の性格をよく知っています。

 どう考えても、こんなことに自ら首を突っ込むような人ではありません。


「全ては父の計略です。リスクだけをパトリス男爵に負わせ、自分は利益をかすめ取る――我が父ながら最低な男です」


 クリストフ様は穏やかな表情と口調で言いましたが、口にした内容は辛辣極まりないものでした。


「そこの使用人は父の手の者です。彼はもし男爵が裏切ったら、奥様とピピ、あなた方を殺害するように命令を受けています」

「――そんな……!」

「事実です。だから、パトリス様は何も言えなかったのです」


 クレマン様らしい、卑劣なやり口だと思いました。


「ピピ様、あなたのお父様は本当に立派な方ですよ。家族を人質に取られ、望まぬ人身売買に手を貸さざるをない状況でも、何とか被害者を減らそうとご尽力なさった。男爵は私と組んで捕まった人たちを秘密裏に逃す活動を行っていたのです」

「お父様が……?」

「ええ。それだけではありません。男爵は何とか父上の悪事を止めようと奔走されていました。以前話題になった新聞記者の一件も、男爵が考えた狂言です。そうですね、男爵?」

「……」

「男爵は誓って悪人ではありません。どうかお父上のことを誇りに思って上げて下さい」


 クリストフ様の言葉を受けて、ピピは男爵を見上げました。

 娘の無言の問いかけに、男爵は――。


「ピピ……黙っていてすまなかった」

「う……ううっ……わあああ……!」


 父親の無実を知ったからか、はたまた単純な安堵からか、ピピは男爵にすがりついて泣き出してしまいました。


「でも、いいんですか、クリストフ様? ばんばん自白しちゃっていますけど?」

「いいんです。父も年貢の納め時でしょう。むしろ、もっと早くこうならなければならなかった」

「ご協力に感謝しますわ、クリストフ様」

「いえ、ご苦労をお掛けします、クレア様。……男爵、あれを」

「ええ」


 クリストフ様に促された男爵は、やんわりとピピを引き剥がすと、一度部屋を出て行き、戻ってくるときには紙の束を抱えていました。


「アシャール侯爵家が人身売買に関与した証拠と、取り引きの明細です」

「――!」

「これがあれば、流石の父も言い逃れ出来ないでしょう」

「いつかこういう日が来ると信じていた甲斐がありました。クレア様、こちらをあなたに託させて頂きます」

「ええ、必ずやご期待に添える結果にして見せますわ」


 男爵から受け取った資料は、人身売買の全容を事細かに説明するものでした。


「父も見る目がありませんね。よりによってパトリス男爵に犯罪を持ちかけるなんて」

「私は小心者ですから。いざという時の備えは忘れませんよ」

「本当の小心者は、ここまで牙を研ぎません」

「それはそれ、これはこれ、です」


 そのセリフは、ピピが時々口にする口癖でした。


「ありがとうございます、男爵、クリストフ様。これでクレマン様を追い詰められます。レイ、リリィ枢機卿、いよいよチェックメイトですわよ」

「ええ、頑張りましょう、クレア様」

「は、はい!」

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