第71話 正義と信仰

 王宮の特務官室。

 壁や黒板に張り出されたいくつもの資料を眺めながら、わたくしはこれまでのことを振り返っていました。

 サッサル火山の噴火やセイン様のお生まれに関する噂で世間が持ちきりになる中、わたくしたちの捜査は順調に進みました。


 ――途中までは。


 これまでに十人以上の不正貴族を摘発し、その対象は徐々に中位、高位の貴族へと及ぼうとしていました。

 しかし、高位の貴族になればなるほど、その隠蔽工作は巧妙になっていきます。

 ある程度までは証拠を固めて突きつけられたものの、肝心の二人――サーラス様、そしてお父様に迫る証拠は見つかりません。


 そんな中、アシャール侯爵――クレマン様に関する疑惑はいよいよ大詰めという所まで来ていました。


(……とは言え、これは大スキャンダルですわ)


 わたくしはレレアの頭を撫でながら、一人ごちました。

 クレマン様が行った人身売買に関係する貴族はおよそ十人以上。

 その中にはピピの実家であるバルリエ家も含まれています。

 関与したその十数人の貴族に関しては、ほぼ証拠固めが終わっています。

 後は、クレマン様にトカゲの尻尾切りを行わせないための決定打が必要でした。


「クレア様、どうします? 今のままでもある程度の所までは追い詰めることが出来ると思いますが」


 横に座っているレイがそんなことを言います。

 わたくしは首を横に振りました。


「ある程度、では足りませんわ。確実にクレマン様を捕まえなければ、いつまた同じ事が繰り返されるか分かりません」

「で、でも、これ以上の証拠はなかなか集めるのが難しいのではないでしょうか」


 リリィ枢機卿の言うことにも一理あります。

 ロッド様から頂いた各種の財務記録、司法取引で得た各種の証言や手紙、財務諸表、その他諸々の雑証拠。

 集められる証拠はほぼ集めきったようにも思えます。

 これ以上、となれば、もう少し思い切りが必要になってくるかも知れません。


「バルリエ家に参りましょう」

「ば、バルリエ家?」

「ピピ様のご実家ですね。クレマン様の人身売買の舞台になっている領地の所有者でもあります」

「そ、そうでしたね。じゃ、じゃあ、バルリエ男爵を捕まえるんですか?」


 レイの説明を受けてリリィ枢機卿が聞いてきます。


「いいえ、パトリス男爵はまだ捕まえません」

「何故ですか?」

「パトリス男爵はクレマン様に近すぎます。今、男爵を捕まえれば、クレマン様はその罪を全て男爵にかぶせて、自分は逃げおおせるでしょう」

「や、厄介ですね」


 クレマン様は用意周到だ。

 いざという時の責任転嫁の手段など、無数にあるに違いありません。


「なら、何をしにバルリエ家へ?」

「捕まえはしませんが、秘密裏に捜査に協力して貰うのです。レイが以前言っていた、司法取引というやつですわね」

「な、なるほど!」


 先ほど述べたとおり、パトリス様はクレマン様に非常に近い貴族です。

 領地が人身売買の舞台になっていることからも、彼は有力な情報を持っている可能性が非常に高いと言えます。

 これまでに得た証拠を突きつけ、罪状減免の見返りとしてクレマン様に繋がる証拠を提出するよう交渉すれば、最後の一手を詰められるかも知れません。


「でも……、いいんですか、クレア様?」

「何がですのよ」

「バルリエ家はピピ様――クレア様のお友だちのご実家ですよ?」

「……それがどうしましたの」

「司法取引である程度罪が減免されるとはいえ、人身売買は重罪です。バルリエ家が貴族位を失うのはほぼ間違いありません」


 レイはこう言っているのです。

 親友を失うことになっても、わたくしが正義を貫けるのかどうか、と。


「わたくしがそれを分かっていないとでも?」

「……お覚悟の上でしたか」

「確かにわたくしはピピからの信頼を失うかも知れません。ですが、ピピとてバウアー貴族です。わたくしが彼女の本質を見誤っているのでなければ、彼女は運命を受け入れるでしょう」


 もちろん、彼女はわたくしを恨むかも知れません。

 それでも、わたくしはなすべきことをなさねばならないと思いました。

 ここで怖じ気づくようでは、お父様を追求することなど出来っこないのですから。


「……く、クレア様、どうしてですか?」

「リリィ枢機卿?」

「く、クレア様はどうして――ご友人の家が没落することになっても、正義を貫こうとなさるんですか?」


 リリィ枢機卿の問いを、わたくしは最初理解することが出来ませんでした。

 それはあまりにもわたくしにとって当たり前のことだったからです。


「リリィ様はこう仰りたいんだとと思います。クレア様のお立場なら、いくらでも身内に甘くなれるのに、と」

「それではわたくしたちが罪を問おうとしている不正貴族たちとなんら変わりませんもの。正義を掲げる者は、自ら正義を実践する義務がありますわ」

「……そ、その対象が、仮に実の父親になったとしても、ですか……?」

「……ええ」


 一瞬の逡巡の後、わたくしはリリィ枢機卿の言葉を肯定しました。


 これまでの捜査の結果、サーラス様とお父様が不正を行っていることはほぼ間違いありません。

 リリィ枢機卿はひょっとすると迷っているのかも知れません。

 このまま実の父親の罪を暴くことが、果たして正義なのかどうか、と。


「リリィ枢機卿。もし辛いなら、あなたは捜査から外れてもいいんですのよ?」

「……」

「あなたはもう十分に捜査に貢献して下さいました。後はレイとわたくしに任せて貰っても、誰もあなたを責めませんわ」

「……」


 リリィ枢機卿の顔には迷いが見て取れました。

 わたくしは彼女が捜査から手を引くかも知れない、と思いました。

 しかし、


「……や、やっぱり、リリィも最後までご一緒します」


 迷いを振り切るようにぶんぶんと首を強く振った後、リリィ枢機卿は決意したようにそう言いました。


「いいんですの? あなたは貴族ではありません。正義に執着する必要は――」

「り、リリィは信仰に生きる者です」


 言いかけたわたくしの言葉を、リリィ枢機卿はやんわりと遮りました。


「し、信仰とは正義や倫理を示すものだとリリィは思います。き、貴族が自らを強く律する必要があるのと同じように、信仰を持つ者もその信仰が示す生き方に殉じる必要があるとリリィは思います」


 ある意味で、貴族と精霊教徒は同じなのだ、とリリィ枢機卿は言います。


「そ、それに、リリィは違っても、お父様はバウアー貴族です。つ、つまり、お父様には正義を実践する義務があります。そ、そのお父様が自ら罪を犯しているのだとしたら、リリィこそがそれを諫めなければならないのではないでしょうか」

「リリィ枢機卿……」


 悲愴とも言える表情で決意を表明するリリィ枢機卿の手に、レレアが慰めるように頬ずりしています。

 それを見たリリィ枢機卿はふっと表情を緩めると、続けてこう言いました。


「つ、罪は裁かれなければなりません。か、神は全てを見ておいでです。お、お父様の罪をこの手で追求することも、神が与えたもうた試練なのだと、リリィは思います」


 もうそこに、先ほどのような迷いはありませんでした。

 リリィ枢機卿は決して気の強い性格ではありませんが、その本質は驚くほど潔癖で清廉です。

 レイを巡る恋敵ではあるものの、わたくしは彼女の在り方に強い共感を覚えました。


「分かりましたわ。なら、最後までご一緒して下さいな」

「は、はい!」

「レイ、証拠資料をまとめてちょうだい。それが終わり次第、バルリエ家へ向かいます」

「かしこまりました」


 辛くないと言ったら嘘になります。

 避けられるなら避けたいことです。

 ですが、わたくしが貴族である以上、もう後戻りは出来ないのです。


(ピピ、許してちょうだいとは言いませんわ。それでも、わたくしは違う生き方は出来ませんの)


 理想を体現する貴族であれ――お母様の教えを反芻しながら、わたくしはその実践がいかに痛みを伴うことかを噛みしめるのでした。

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