第70話 罪
「それで? レイちゃんとは仲直り出来たのー?」
「ええ、それはまあ」
トンプソン男爵家の監査を終えた日の夜。
レイが帰った後の寮の部屋で、わたくしはいつものようにカトリーヌと就寝前の雑談をしていました。
カトリーヌはもうベッドに入り、わたくしはドレッサーの前に座っています。
「正確には仲直りというか……問題の先延ばしに過ぎないのかも知れませんけれど」
トンプソン男爵家を調べる直前に、レイとはひとまず結婚の話題を棚上げすることにしました。
「別にいいと思うよー? 時間でしか解決出来ないことだってあるもん。あ、クレアちゃん、飴取ってー?」
「また分かったような分からないようなことを……。ちゃんと後で歯を磨くんですのよ?」
「分かってるってー」
わたくしはカトリーヌの机の上にあるキャンディポットからいつものように飴を取り出しました。
「だいぶ減りましたわね。これであと三個しかありませんわ」
「美味しいからねー。これでも大事に食べたんだけどー」
飴を手渡すと、カトリーヌは嬉しそうな顔で受け取ってそれを口に放り込みました。
わたくしも自分のベッドに入ります。
「まあ、レイちゃんとの問題はそれでいいとしてー」
「……いいのかしら」
「いいとして!」
「はいはい、何ですの?」
「肝心の腐敗貴族の調査はどうなったのー?」
「……まあ、トンプソン男爵家は黒でしたわ」
男爵の家で帳簿をレイが調べ、ロッド様から頂いた資料と照らし合わせて矛盾を突きつけると、男爵は自ら罪を認めました。
さらに、レイが司法取引なるものを持ち出すと、イェール伯爵家との繋がりも判明しました。
レイがあんなに切れ者だったとは知らなかったので、わたくしはとても驚いています。
途中のミト○ーモンごっこなる謎の茶番劇は、説明を受けて一瞬納得しかけましたが、今振り返るとやはりよく分かりません。
「ふんふん、それで?」
「それで、とは?」
「クレアちゃん……長い付き合いなんだから、誤魔化すのは無理だって分かってるでしょー?」
「……」
「他に分かったことがあるんだよねー?」
「……悪い知らせが一つありますわ」
本当は帰ってすぐ話すつもりだったのですが、何ぶん内容が内容なので今まで切り出せずにいました。
カトリーヌはレイたちがいる間は姿を隠してしまうということも、理由の一つではありますが。
「聞かせてー?」
「……トンプソン男爵家から押収した資料の中に、アシャール侯爵家に関する記述がありました」
「……それは、どんなー?」
語調こそ普段と変わりませんが、ベッドの上から降ってくる声には僅かな震えがありました。
わたくしはためらいを覚えましたが、彼女も貴族の娘――けじめのつけ方は知っているはずでした。
「アシャール侯爵はバルリエ男爵家と組んで人身売買を行っている疑いがあります」
「……」
上のベッドからの反応は、重たい沈黙でした。
トンプソン男爵が持っていたのは、バルリエ男爵からの手紙です。
そこには売り買いする人間の人数をもっと減らすようにという、バルリエ男爵――ピピのお父様であるパトリス様からの苦情とクリストフ様もそれを支持している旨が記載されていました。
もちろん、これだけではクレマン様を追い落とすには足りません。
下手につつけば、パトリス様が蜥蜴の尻尾切りにあって終わりでしょう。
ですが、状況証拠としては十分過ぎるものでした。
「お義父様は……捕まるのかな」
「人身売買は言い訳の余地のない重罪。逃すわけにはいきませんわ。必ず捕まえます」
「……そっか」
上のベッドで寝返りを打つ気配がありました。
わたくしは忸怩たる思いで続けます。
「カトリーヌ、あなたはこのことを知っていたんですの?」
「んーん、全然。でも、義兄様は知ってたんだねー。知らなかったのはウチだけかー」
「お察ししますわ」
「ありがとー」
こんな言葉だけの慰めが何になるでしょう。
カトリーヌの境遇を思うと、やりきれませんでした。
「あなたについては、できる限り減刑の嘆願をするつもりですわ」
「そんなの、いいよー」
「いいわけありませんわ! だって、あなたは何もしてないじゃありませんの!」
「……何もしてない、かー」
「……カトリーヌ?」
突然、自嘲的になった口調が不安になって、わたくしはベッドから起き上がると上のベッドの様子を覗き込みました。
カトリーヌは背中を向けて寝ているので、その表情は窺い知れません。
「まさか、あなたも人身売買に何か関わっているんですの?」
「んーん、それについては本当に無関係」
「だったら――」
「でも、ある意味でそれよりも重い罪を犯してるから、ウチ」
「それは……一体……?」
わたくしが問うと、カトリーヌはごろりと寝返りを打ちました。
やっと見えるようになった彼女の顔は、いつもと同じようなのほほんとしたもの――ではありませんでした。
「カトリーヌ……あなた何て顔をしてますのよ」
「……たはは、やっぱり酷いー?」
「顔が真っ青ですわ」
口調はそのままでしたが、明らかにそれは無理をしたものでした。
表情は青ざめ、視線も落ち着きなく右往左往しています。
あのカトリーヌがここまで取り乱すなんて一体――?
「ねぇ、クレアちゃん」
「なんですのよ」
「クレアちゃんはやり直したい過去ってあるー?」
「……突然なんですのよ」
わたくしはカトリーヌの質問の意図を測りかねました。
「いいから答えてー」
「……そりゃあありますわ。たくさん」
「一番を挙げるならー?」
「分かりきってる質問をしないで欲しいですわ」
「……だよね」
お母様と和解出来ずに死別したこと――わたくしにとっての一番辛い過去の思い出です。
「ウチもね、やり直したい過去があるんだー」
「……それは?」
「今は秘密ー。いずれちゃんと答えるよー」
「……そう」
でも、なぜ今、このタイミングでその話を?
彼女が抱える罪とは。
そしてやり直したい過去とは何なのでしょう。
「……色々、精算する時が来たんだと思う。お義父様も、お義兄様も……そしてウチも」
「カトリーヌ……」
「クレアちゃん、捜査に手を抜かないでね。減刑嘆願もいらない。裁かれるべきが裁かれるように取り計らって」
「……分かりましたわ」
わたくしはそう答えました。
そう答えるしかありませんでした。
なぜなら、カトリーヌがあまりにも思い詰めた顔をしていたからです。
その表情を一言で表わすなら――悲愴。
もしもわたくしが違う答えを返していたなら、それだけで崩れ落ちてしまいそうな、そんな危うさを感じました。
長年付き合ってきた姉妹のような彼女に、こんな一面があったなんて私は知りませんでした。
でも、わたくしは一つ嘘をつきました。
彼女のことを諦めるなんていうこと、わたくしには出来っこないのですから。
「お願いねー」
そう言って、カトリーヌはもう一度寝返りを打つと、すうすうと寝息を立て始めました。
最後の一言だけは、もういつもの彼女でした。
わたくしも自分のベッドに戻ります。
「……」
誰にだって隠したい秘密の一つや二つあるでしょう。
でも、カトリーヌが抱えるそれは、明らかに異質で途方もなく重いもののように思えました。
「ねぇ、カトリーヌ」
「……」
完全に眠ってしまったのか、頭上への呼びかけにいらえはありません。
でも、わたくしは構わずに言葉を続けました。
「あなたが何を抱えているのか、わたくしは知りません。でも、それはわたくしと分かち合うことは出来ませんの?」
「……」
聞こえて来るのは寝息だけ。
「レイが言っていたんですの。分かち合えば喜びは二倍、悩みは半分になるって。あなたが抱えるその重荷を、分けて貰うことは出来ませんの?」
「……」
やはり答えはありません。
どうやら完全に寝てしまったようです。
わたくしの頭も、徐々に睡魔に冒されていきました。
「カトリーヌ……あなたとわたくしは……本当の姉妹の……ように……」
意識が深く沈み込んでいきます。
まどろみの底に落ちていく意識の中で、その言葉はわたくしには届きませんでした。
「その役割はレイちゃんに譲るね。ウチには……その資格がないから」
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