第69話 価値観の相違
「レイ=テイラー。お前、オレの妃になるつもりはあるか?」
あまりに突飛な発言に、レイもリリィ枢機卿も、そしてわたくしも硬直してしまいました。
求婚……それも平民であるレイに対して?
混乱する頭を何とか整理して、わたくしはロッド様の真意を問い質すことにしました。
「正気ですの、ロッド様!?」
それでも、わたくしの問いかけはほとんど悲鳴じみていたと思います。
「へ、平民を、王族に加えると仰るんですか!?」
「そうだが?」
リリィ枢機卿の問いにも、ロッド様は平然と応じました。
レイはどうかと見れば、珍しく真面目な顔で考え込んでいます。
無理もありません。
王族からの突然の求婚です。
混乱しない方が無理というものでしょう。
レイはしばらく考え込んでから口を開きました。
「一応、おうかがいしますが、からかっていらっしゃいます?」
「いや、本気だ」
「はあ……。一体、私のどこがお気に召しました?」
「性格と……あとは能力だな。お前のことは以前から大したヤツだと思っていた」
ロッド様が楽しそうに言いました。
対するレイは……表情が読み取れない複雑な顔です。
「私、何かしましたっけ?」
「学院襲撃を未然に防ぎ、セインの毒を治療し、オルソー家の断絶を救い、マナリアに一泡吹かせ、ユークレッドの幽霊船騒ぎを解決した」
ロッド様は非常に正確にレイの手柄を把握していました。
こうして列挙されてみると、レイの能力が非凡なことがよく分かります。
身分などよりも能力や面白さを重視するロッド様なら、確かにレイのような女性を選ぶかも知れません。
でも、レイはわたくしのものなのに――。
「いえ、それほとんどクレア様の手柄なんですが……」
「そうなのか、クレア?」
ふいに名前を呼ばれて我に返りました。
動揺している自分を自覚してさらに動揺しそうになりましたが、わたくしは必死で立て直してロッド様の問いに答えました。
「いえ。レイの尽力によるものですわ」
確かに彼女一人ではなしえなかったことが多かったように思います。
ですが同時に、彼女なしではなしえなかったことであることもまた事実。
悔しいですし認めるのも怖いですが、彼女の成し遂げてきた成果は正当に評価されるべきだとわたくしは思いました。
――仮にそれで、彼女がわたくしから離れていくとしても。
「決定的だったのはユーの一件だ。王宮が長年抱えていた難問を、お前は見事に解決して見せた」
「あれも私一人の手柄ではないのですが……」
「謙遜はよせ。中心にいたのはお前だと言うことは分かっている」
ロッド様の言う通りです。
レイがいなければ、ユー様は未だに望まない性別での生活を余儀なくされていたことでしょう。
「オレの伴侶となるべきは、つまらん深窓の令嬢などではなく、お前のような女傑が相応しい」
わたくしは二人が並んでいる様を思い浮かべてみました。
王となったロッド様と王妃となったレイ。
不思議と、その姿は簡単に想像出来ました。
「で、どうだ?」
ロッド様がからかうような調子で問いますが、その目は全く笑っていません。
ロッド様は本気です。
「どうって、普通にお断りいたしますが」
「ちょっと、レイ!?」
わたくしは動転しました。
まさかレイが断るとは思っていなかったからです。
平民が王族に名を連ねるなど前代未聞ですが、平民にとってはこの上ない名誉のはず。
清貧生活に甘んじているレイのご両親だって、大喜びするはずでした。
それを断るなんて!
「あなた、自分が何を言っているか分かっていますの!?」
「何って、求婚されたからお断りを――」
「王妃になれるかもしれないんですのよ!?」
「ええ、別になりたくないですもん」
普段とまるで変わらない、まるで宿題の手伝いをこわれて断るかのような軽い調子でレイは言います。
この子、何を言っていますの!
「望んでも得られない栄誉ですのよ!?」
「私にとっては栄誉じゃありません」
「どうして!」
「だって、私が好きなのはクレア様ですもん」
いえ、話はもうそういう問題ではないでしょう。
あなたがわたくしに好意を寄せてくれていることは分かっているつもりです。
ですが、結婚は別でしょう?
結婚は家と家の関わり合いです。
そこに個人の好悪など差し挟む余地はないはずなのです。
「ふはっはっは! そうだよな! お前ならそう言うよな!」
ロッド様が机を叩きながら、心底おかしそうに笑いました。
「クレア。レイにとってお前と一緒にいることは、王族との結婚よりも価値があることらしいぞ?」
求婚を断られたというのに、ロッド様は面白がるようにわたくしに言いました。
わたくしは真っ青になりながら、どうにかこの貴重な縁談がご破算にならないように話を続けました。
「ご無礼は平に。この者も突然のことで混乱しているのです。落ち着けばきっとロッド様のお気持ちに応えようと思うはずです」
「いえ、私はいたって冷静で――」
「お願いですから、あなたはちょっと黙っていらして」
レイを黙らせつつ、わたくしはロッド様への取りなしを続けます。
レイは事の重要性を分かっていません。
これは平民同士の惚れた腫れたとは全く別次元の話です。
王族からの求婚を平民が袖にしたなどと知られたら、自分の娘を王妃に据えたがっている他の貴族が黙っていません。
ここぞとばかりに攻撃の対象にしてくることは間違いないでしょう。
ロッド様にその気がなくても、不敬罪がどうとか言われるに決まっています。
聡明なロッド様のことでしょうから、その辺りのことには睨みを利かせるでしょうけれど、表だっての動きはそれで潰せても、闇討ちや暗殺までは防げません。
レイにとって一番いいのは、求婚を受けてロッド様の庇護下に入ってしまうことです。
「ロッド様。どうかこのご縁談、この場限りになさらないで下さい」
「もちろんだ。レイがどう思おうと、オレの気持ちは変わらんからな」
「ありがとうございます。ではこのお話は改めて」
「ああ」
「行きますわよ、レイ、リリィ枢機卿」
そう言うと、わたくしはレイとリリィ枢機卿を引き連れてロッド様の部屋を辞去しました。
「ちょ、ちょっと、クレア様」
「……」
レイが何やら非難がましい目を向けてきましたが、わたくしは思い切り睨み付けてそれを黙らせました。
わたくしが再び口を開いたのは、リリィ枢機卿と別れて帰りの馬車に乗ってからのことでした。
「レイ……。ふざけるのも大概になさいな」
わたくしはレイを真剣に咎める口調で言いました。
「ふざけてるって、何がですか?」
「決まっているでしょう! ロッド様の求婚を拒否したことですわ!」
この期に及んでまだ茶化すつもりかと思うと、わたくしはつい言葉がきつくなるのを抑えられませんでした。
「いえ、だって、好きでもない人と結婚出来ないでしょう」
「結婚はあなた一人の問題ではありませんのよ!? あなたが王室に嫁げば、ご両親のお喜びはいかばかりか……」
ロイヤルファミリーの一員になれば、当然、その家族にも国庫から支度金その他の名目でお金が支給されます。
いえ、お金という実利的な面を除いても、大変な栄誉です。
自分達の娘が王族の一員となる――ご両親にとって、それ以上の喜びがあるでしょうか。
「でも、多分ですが、両親も私の選択を支持してくれると思いますよ?」
レイはのほほんとそんなことを言う。
そういうことではありません。
レイは何も分かっていません。
「それはそうでしょう。あなたのご両親は素敵な方々ですからね。でも、あなたはそれに甘えていいんですの? お父様やお母様を喜ばせたいとは思いませんの?」
「それは……」
レイは結婚をあまりにも個人的な事に矮小化し過ぎています。
少しでもいい相手と結婚して、ご両親を喜ばせたいとは思わないのでしょうか。
王族からのプロポーズを蹴るなど、これ以上ない親不孝です。
「でも、クレア様。私はクレア様以外の誰とも結婚したくないんです」
レイの声は真剣なものでした。
王族との結婚よりもわたくしを選ぶと聞いて、心がぐらつくのを感じましたが必死に自制心を保ちます。
「レイ、よくお聞きなさい」
わたくしはレイを何とか説得しようと語気を強めました。
「あなたがわたくしを慕ってくれているのは分かりました。そのことは素直に嬉しいと思います。でも、結婚は話が別ですわ」
「別じゃないですよ」
「いいえ。恋愛はある程度自由にすればいいでしょう。でも、結婚は個人の意志でするものではありませんわ」
「クレア様……」
「ロッド様の求婚をお受けなさい。別に結婚したからといって、わたくしとの縁が切れてしまうわけではありませんわ。むしろ、王族と上級貴族なら、今よりも懇意になることだって――」
「クレア様!」
レイに強く言葉を遮られ、わたくしは思わず口をつぐみました。
ひょっとしたら初めてではないでしょうか。
彼女がわたくしの話を遮るなんてことは。
「私にとって、結婚は恋愛と同じくらい……いえ、恋愛以上に個人的なことです」
「レイ……」
「なんと言われようと、私はクレア様以外の方と結婚するつもりはありません」
正面から目を見つめられてそう言われて、わたくしは一瞬、幸せな妄想に襲われました。
レイと二人で思い合って暮らし、時々、カトリーヌやミシャ、そしてレーネが訪れてくる生活を想像してしまったのです。
ピピやロレッタとも一緒に買い物に出かけたり。
リリィ枢機卿も時々ちょっかいをかけに来るかも知れませんわね。
仕方がないから、彼女は愛人の地位くらいは……いえ、何を考えているんですのわたくしは。
そんな都合の良いことは起こりえません。
現実をきちんと見据えなければ。
わたくしはレイとの価値観の乖離を自覚しました。
平民にとって結婚とはそれほどまでに個人的なものなのでしょうか。
ですが、長い目で見れば絶対にわたくしの言うことが正しいはずです。
「レイ、よく考えなさい。同性同士では結婚は出来ないんですのよ?」
「なら、私は一生結婚しません。それだけのことです」
「わたくしが誰かと結婚しても?」
「……はい」
わたくしはフランソワ家の一人娘です。
わたくしがレイをどう思っているにせよ、必ず高位の貴族との政略結婚が待っています。
それをわたくしは理不尽だとは思いません。
結婚とはそういうものなのですから。
レイはそれでもいい、と言います。
王族との結婚を蹴ってまで。
「……あなたのこと、最近では少し理解出来るつもりでおりましたの」
「ありがとうございます」
「でも――」
わたくしはこう続けました。
「あなたのこと、また分からなくなりましたわ」
わたくしの一言に傷ついた顔をしたレイを見るのは、とても辛いことでした。
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