第七章 頼もしいレイとわたくし
第68話 嫌疑
「冗談じゃありませんわ!」
日も落ちた後の学院寮。
魔力の灯りがともる中、わたくしの大きな声が部屋を震わせました。
机の上のレレアが身をすくめるように小さくなります。
牢から解放されたレイが持って来たのは、とんでもない話でした。
まず、レイの学院籍を解き、ロセイユ陛下直属の特務官に任命し、リリィ枢機卿やわたくしもそれを補佐せよとのこと。
これについては驚きもありましたが、まだ許容できる話です。
ただの平民に過ぎないレイの出世を喜びこそすれ、反対する理由は何もありません。
問題はレイが命じられた貴族の不正調査の対象にお父様が含まれていることでした。
「お父様が不正!? そんな馬鹿な話があるわけがありませんわ!!」
お父様は理想的なバウアー貴族です。
金庫番としてバウアーにその身を捧げて来たというのに、こんな汚名を着せられるのはあまりにもあまり。
「まあまあ、まだ疑いがあるというだけですし」
レイはそう言いますが、あのロセイユ陛下が疑いレベルでそんなことを不用意に言うとは思えません。
陛下は恐らく何らかの確信をもってお父様を疑っているはずでした。
「そんな疑いを掛けるだけで陛下の正気を疑います! フランソワ家は代々王国の金庫を厳粛に預かって来たのです。それが不正などと!」
バカンスで貴族制度に疑問を抱いて以来、わたくしは貴族たちの腐敗について学んできました。
そして、調べていく内に実際に不正を働いていそうな貴族の情報も掴んでいます。
ですが、お父様は違います。
違う……はずなのです。
「で、でも、クレア様、これは逆にチャンスかもしれません」
激昂するわたくしの剣幕に怯えつつも、そう言ったのはリリィ枢機卿でした。
彼女は偶然わたくしの部屋に遊びに来ていて、ちょうどレイの報告を一緒に聞くことになったのです。
「チャンスって、どういうことですの、リリィ枢機卿?」
「リ、リリィもお父様がそのような不正をしているとは信じたくありません。ですから、リリィたちでお父様たちの潔白を証明すればいいのではないか、と思います」
リリィ枢機卿の言うことはとても前向きでした。
確かにわたくしたちでお父様たちの潔白を証明出来るならば、それに越したことはありません。
ですが、何かがあることを証明するのに比べて、何かがないことを証明するのは難しいものです。
わたくしは嫌疑を掛けられたお父様たちが、なし崩し的に罰せられることを危惧しました。
「お、お父様たちに掛かっているのは、どのような不正の疑いなのですか?」
「それが、私もまだ詳しくはうかがっていないのです。陛下はロッド様に聞くようにと仰っていました」
「でしたらうかがいに参りましょう」
一体、どのような荒唐無稽な話がまかり通っているのか、わたくしは一刻も早く確認したいと思いました。
しかし、
「さすがに今日はもう遅いですよ。明日になればクレア様やリリィ様宛の辞令も下るでしょうから、それを待って改めてうかがいましょう」
「……歯がゆいですわね」
レイに止められてしまいました。
わたくしが取り乱しつつあるからか、レイはとても冷静です。
いえ、彼女はいつも冷静ですが。
「大体、どうしてリリィ枢機卿まで巻き込んでいますの、あなたは」
「え? いや、だって、サーラス様のことも調べるのであれば、リリィ様にも協力を――」
「事の重大性が分かっていませんのね。この国の有力者の内情を探るということは、それ相応の危険が伴うということですのよ?」
下級貴族たちならまだしも、サーラス様やお父様たち上級貴族を調べるということはそういうことです。
お父様たちはこの国の権力者なのです。
万一、お父様たちに後ろ暗いことがあったなら、それをもみ消そうとするはず。
その手段は必ずしも不正を追及する者の命を保証しません。
「リ、リリィも水属性魔法の使い手です。きっとお役に立てます」
「危険すぎますわ。そもそも、レイの護衛にはわたしがおります」
わたくしとて火の高適性魔法使い。
そんじょそこらの腕自慢には負けません。
「で、でも、リリィは心配なんです!」
「杞憂ですわよ」
「ふ、二人っきりになったらクレア様がレイさんに何をするか!」
「そっちですの!?」
むしろ心配するなら、レイがわたくしに、でしょう!?
「え? なにかしてくれるんですかクレア様?」
「しませんわよ!?」
「なんでですか!!」
「なんでもなにもありませんわよ!」
「レ、レイさんに手を出さない!? 正気なんですか!?」
「ああ、もう、面倒くさいですわね、あなたたち二人とも!!」
何だかこういうやり取りも久しぶりな感じがしますわね。
このところ、色々立て込んでいましたから。
空気が緩んだのを敏感に感じ取っているのか、レレアも心なしか嬉しそうです。
「仕方がありませんからリリィ枢機卿の同行も認めますけれど、くれぐれも注意をなさって下さいまし」
「も、もちろんです」
「レイもですわよ?」
「はーい」
そんなやり取りをして、その日はお開きとなりました。
◆◇◆◇◆
明くる日の放課後、私たちはさっそく王宮のロッド様を訪ねました。
「お、来たな」
ロッド様の部屋はさすがは王族という印象で、趣味の良い高級調度に囲まれた広い部屋でした。
室内は暖色系の色使いでまとめられています。
わたくしの自室もそこそこのものと自負していますが、それでもこの部屋には及ばないでしょう。
教会で清貧な生活を送っているリリィ枢機卿は、目に毒なのか居心地が悪そうにしています。
レイが平然としているのは、大物なのかそれとも別の理由なのか。
「オレは回りくどいことは嫌いだからさっさと用件を済ませるぞ。サーラスとドルは不正に財を蓄えている」
そう切り出したロッド様の言い方は、容疑ではなく断定でした。
日頃からそういう所のあるロッド様でしたが、この時ばかりはうんうんと頷いてばかりもいられません。
「お言葉ですがロッド様。そのようなことを仰るからには、何か決定的な証拠があるのですわよね?」
冷静にね、と昨晩カトリーヌに言い含められたわたくしは、ロッド様に根拠を問いました。
「いや、ない」
「な、ないんですか?」
リリィ枢機卿が拍子抜けしたような声を出しました。
それはそうでしょう。
根拠もなしに疑いをかけるのは、言いがかりとなんら変わりがありません。
「まあ、待て。ないのは決定的な物証だけだ。状況証拠ならいくらでもある」
そう言うと、ロッド様はこれまで彼が捜査した調書を見せて下さいました。
「サーラスもドルも頭が回る。そう簡単には尻尾をつかませちゃくれない。言葉にしたり書面に残したりはせずに、部下や周りの者が忖度して勝手に動くんだ」
ロッド様が示した資料には、サーラス様やお父様の周りで少なくない金が消えていると示唆されていました。
中には具体的な容疑と名前が挙がっている貴族もいますが、直接お父様たちに繋がる証拠はないようです。
「ここに名前がある者から捕まえればいいのではありませんの?」
ここに至ってもまだ、わたくしはお父様の無罪を信じて疑っていません。
飽くまで嫌疑を晴らすために、わたくしはロッド様に問いました。
「実際に手を汚すのは確かにこいつらだが、こいつらをいくら取り締まっても意味がない。トカゲの尻尾切りで終わるだけだ」
実際に何人か捕まえてもみたんだがな、とロッド様は言います。
「で、どうするんだ?」
ロッド様が挑戦的な光を湛えた目でレイに問いかけました。
「陛下にも話しましたが、まずはロッド様の仰る枝葉の部分から取りかかります」
「ほう?」
「この資料、写しを頂いても?」
「そう言うと思って用意させてある。持って行け」
ロッド様が卓上の鈴を鳴らすと、側仕えの者が紙の束を持って来ました。
レイがそれを受け取ります。
「ではロッド様。私たちはこれで」
「ああ、ちょっと待てレイ=テイラー」
部屋を辞そうとしたレイを、ロッド様がなぜかフルネームで呼び止めました。
レイが嫌そうな顔で振り返ります。
「何でしょうか?」
「いや、何でもないことなんだが、一応、今のうちに訊いておこうと思ってな」
ロッド様が珍しく言いよどんだ。
なんだというのでしょう?
「なんだか、私、ものすごくうかがいたくないんですが」
「そう言うな」
「帰っていいですか?」
「オレの用件が済んだらな」
そうして、ロッド様は言ったのです。
「レイ=テイラー。お前、オレの妃になるつもりはあるか?」
それは紛れもないプロポーズでした。
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