第67話 地下牢にて

「ようやく、ですのね」


 わたくしは王宮内の地下牢獄へと続く階段を降りているところでした。

 理由は簡単、レイと面会するためです。

 彼女は今現在、ユー様に関する一連の出来事の関係者ということで取り調べを受けていて、わたくしはようやく面会を許されたのです。


 牢獄へと続く階段は数メートル置きに灯された頼りない灯りしかなく、薄暗く足下もおぼつきません。

 わたくしは案内の者に続いてゆっくりとそこを降りていきます。

 普段大抵のことには動じないレイも、流石にこんな場所に閉じ込められていれば気が滅入っていることでしょう。


「着きました、クレア様」

「ありがとう。外してちょうだい」

「はっ……その……」

「何ですの?」

「ドル様によろしくお伝え下さい。レイ=テイラーに手荒なことは一切していない、と」

「!」


 案内の兵士は敬礼をすると下がっていきました。

 ……何ですのよ。

 お父様、しっかり手を回して下さっていたんですのね。


 わたくしが牢へと近づくと、レイはすぐに気がついたようでした。

 想像していたよりもずっと元気そうです。

 わたくしはほっとしたのを押し隠しつつレイに声をかけることにしました。


「思ったよりも顔色がいいですわね」

「クレア様が来て下さいましたからね」


 一週間ぶりに会った挨拶がこれです。

 こんな状況にあっても、レイはレイということのようです。

 たった七日間しか離れていないのに、もっととても長い時間引き離されていたような気がします。

 久しぶりに会うレイは心なしか嬉しそうに見えました。


「牢屋暮らしはどうでしたの?」

「お陰様で、それほど酷い目には遭いませんでした」


 レイ曰く、取り調べはそれほど苛烈なものにはならなかったということです。

 牢に入れられ行動の自由こそなくなったものの、拷問などは一切なく、聴取はもっぱら言葉による聴き取りだけだったようです。

 これはユー様を初めとする関係者が全て口裏を合わせていたことが大きいでしょう。

 ユー様は自分が全て指示したと言っていますし、リリィ枢機卿やわたくしもそのように証言しました。

 ロッド様やセイン様も同じです。

 なにより、理由は分からないのですが、ロセイユ陛下が味方してくれていて、王宮内のほとんどがレイの味方となっているのでした。


 これならすぐにでも釈放されそうですわね、などと、わたくしが油断していると、


「まあ、食事に毒を盛られたりはしましたけどね」

「は!?」


 耳を疑うような発言が飛び出しました。

 レイによれば、リーシェ王妃の一派による報復だろうとのこと。

 今回の件で一番ダメージが大きかったのはリーシェ様です。

 悲願だったユー様の王位継承をまるまる潰されたのですから、彼女が受けた傷は大きいどころではないかも知れません。

 報復の一つや二つしたくもなろうというものでしょう。

 そのこと自体に驚きはなかったのですが、まさか毒を盛るまでしていたなんて。

 幸い、レイは用心して全ての食べ物を検分して、解毒魔法をかけていたらしく、難を逃れたとのことです。

 解毒に使う魔法杖もお父様の口利きだったとか。

 お父様、流石ですわ。


「よく無事でしたわね……」

「美咲のおかげです」


 レイがよく分からないことを言い出しました。

 ミサキというのは確か、レイの初恋の話に出て来た鼻持ちならない女性のことではなかったでしょうか。

 レイは彼女と和解したとは言っていましたが。

 ミサキが抱える性別違和の悩みについて心の底から嘆いたレイを思うと、その和解は本物ではあったのでしょう。

 ですが、確かミサキは自ら命を絶ったはず。


「ミサキの……? どういうことですの?」

「夢を見たんです」


 牢に入れられたその日の夜、ミサキが枕元に立ったのだ、とレイは言いました。


『相変わらず、度しがたいお人好しね、アンタは』


 そんな彼女らしい憎まれ口を叩きながら。


『でも、よくやったわ。少しすっとした。同じ悩みを持つ子を救ってくれてありがとう』


 枕元のミサキはそうやって不器用に笑ったそうな。


『間抜け面してんじゃないわよ。食事には気を付けなさい』


 それだけ言うと、レイが何か返事をする間もなく、彼女は消えてしまったのだといいます。

 不思議な話です。


「そんなことがあるんですのね」

「まあ、私の願望が作り出した幻なんでしょうけれどね」


 幻だとは言いながらも、レイは嬉しそうでした。


「にしても……だから言ったじゃないですの。危険だって」

「ホントですねー」


 今回のレイの悪巧みに当たって、一番反対したのは他でもないこのわたくしです。

 ミサキの件をだしにされて結局説得されてしまいましたが、最後まで納得はしませんでした。

 下手をすれば王宮を敵に回すことになるのです。

 王侯貴族の世界の恐ろしさを、肌で知っているわたくしが反対するのは当然のことでした。


「ここにいると、外のことが全然分からないんですよ。その後どうなりました?」

「概ねあなたの思惑通りですわ」


 わたくしはレイに奉納舞の後起きたことを説明しました。

 まず、ユー様は修道院へ送られました。

 既に述べた通り、王宮は事実と異なる説明をしており、名目上は病気療養のためということになっています。

 ですが、事はもう王宮の手を離れていると言っていいでしょう。

 ユー様が自由の身になるのも、きっとそう遠い先の話ではありません。


「ユー様から言づてを預かっていますわ。『ありがとう。このお礼はいつか必ず』だそうですわ」

「そうですか。身体のことはどうなりました?」

「やはり少し騒ぎになりましたわね。事情を知るものは、満月の夜の一時的なものと思っていたようですもの」


 奉納舞の時にユー様の身体が女性化していたのは、あの日が満月だったからというだけではなかったのです。

 月の涙を使って異性病を完治させていたからなのでした。

 月の涙を持ち出すには、枢機卿以上の身分の者二人以上が許可を出す必要がありましたが、リリィ枢機卿とユー様ご自身の二人に協力して貰ったので問題はありませんでした。

 リリィ様も取り調べを受けましたが、ユー様の頼みで断れなかったと説明しています。

 これもレイの計画に基づくユー様の指示です。


「リリィ様も身分のある方ですから、王室もそう簡単に罰することは出来ないようですわね」

「ミシャはどうしてます?」

「ご両親を説得中ですわ」


 ミシャは学院を辞めてユー様のいる修道院に行きたいようですが、さすがに実家に止められています。

 ミシャは究めて優秀な学生です。

 ユール家とすればその将来に期待していたわけですから、それをなげうって修道院に入ってしまうのは惜しいと考えているのでしょう。

 もっとも、ユール家には優秀な跡継ぎが他にもいますから、娘の好きにさせたらどうか、と母親はミシャの味方をしてくれているようです。

 修道院のユー様から「側にいて欲しい」と請われていることも大きいでしょう。


「ご両親も、これまでミシャには散々苦労を掛けていたようですから、あまり強く出られないみたいですわよ」

「そうですか」


 わたくしの見る限り、ミシャはずっとユー様を慕っていました。

 ミシャの悲願が叶うのも時間の問題でしょう。


「クレア様はどうでした?」

「わたくしは特に何も。せいぜい使用人が捕らえられて、ばつが悪い思いをしているくらいですわ」


 などと強がっていますが、この七日間は想像以上に堪えました。

 レイが酷い目に遭わされていないかと気が気ではありませんでした。

 まだ率直にそう口にしたことはありませんが、わたくしにとってレイの存在がこんなに大きくなっていたのか、と自分でも驚くほどです。

 お母様の時の二の舞にならなくて、本当に良かったですわ。


「それだけですか? 寂しいとか恋しいとかは?」

「どれだけ自信家ですの、あなたは」


 内心を見透かされたようなことを言われて動揺したのを押し隠しながら、わたくしは悪態をつきました。

 レイは「分かっていますよ」とばかりにニヤニヤ笑っています。

 ホント性格の悪いこと。


「ドル様は何か仰ってました?」

「それが何も」


 わたくしは首を傾げました。


「てっきり、レイをクビにされるかと思っていたのですけれど、そんな話もありませんし……。あなた、一体お父様のどんな弱みを握っていますの?」

「そんなんじゃないですよ。ただドル様の器が大きいだけです」


 などとレイは言っていますが、二人の間には絶対に何かあります。

 レイもお父様も何も話してくれないので、わたくしは仲間はずれにされたようで少し寂しい気持ちになります。

 いつか話してくれるのでしょうか。


 などとしばらく話し込んでいると、牢番がやって来ました。


「クレア様。申し訳ございませんが、取り調べの時間です」

「これ以上何を取り調べるといいますの? このものはユー様に命じられただけともう分かったでしょう」


 言外に早く解放なさいと滲ませたのですが、返ってきたのは意外な答えでした。


「それが……。ロセイユ陛下自ら取り調べをなさるということで……」

「陛下が?」


 どういうことでしょう。

 てっきり、ロセイユ陛下はレイの味方だと思っていたのですが。


「とにかく、今日はお帰り下さい」

「仕方ありませんわね。また来ますわ」


 わたくしは後ろ髪を引かれる思いで牢を後にしました。


 ◆◇◆◇◆


 その夜、寮の部屋で。


「と言うわけで、リーシェ様に宣戦布告されましたので受けて立とうと思います」

「料理に毒くらいじゃせいぜい警告だよー。杖が持ち込まれてるの、リーシェ様が知らないわけないじゃないのさー」

「ですが、わたくしのレイにあんなことを!」

「どうどう。落ち着いてー」


 でも、そんな怒りも長くは続きませんでした。

 わたくしはこの時予想もしていなかったのです。

 レイが王立学院籍を剥奪され、陛下の特務官に任命されることになるなんて。

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