第66話 待った

 レイの企ては上手く行きました。


 奉納舞の場で自らの性別と王位継承権の放棄を明らかにしたことで、今やユー様が女性であると言うことは周知の事実となっています。

 王室の一部は事態を収拾しようと、ユー様のあの発言は異性病にかかったことによる一時的な錯乱ということにしたいようですが、まあ無理でしょう。

 ユー様はどう見ても正気でしたし、言動も毅然としていました。

 あれを錯乱と呼んでなかったことにするには、目撃者が多すぎます。

 もしかすると、レイはここまで読んでいたのかも知れません。


 とはいえ問題は王家の暗部に関することです。

 いくらユー様を始めとする関係者が口裏を合わせていると言っても、レイが完全に無罪放免になるかどうかは誰にも分かりません。

 まして今回レイは王宮――特にリーシェ様の意向に明確に背きました。

 投獄されている間に何をされるか分かったものではありません。


「ですから、お父様の力でレイが釈放されるよう、働きかけて頂きたいのですわ」


 わたくしが今いるのは、フランソワ家の屋敷にあるお父様の書斎でした。

 お父様はパイプをふかしながら、わたくしの話にじっと耳を傾けています。


「リーシェ様は怖い方です。これまでにもユー様絡みで何人もの貴族が失脚させられています。そんな方が何もせず黙っているはずがありません。レイが危険です」


 ユー様が放棄した王位継承権は第三位。

 三人の王子の中では一番下でした。

 ですが、リーシェ様がユー様の王位継承にご執心だったのは周知の事実。

 王子様方の中で一番勢力が強いのは第一王子であるロッド様ですが、その最たる敵が誰かと言えば、それは王妃であるリーシェ様なのです。

 リーシェ様は直接手を汚すことはしませんが、これまでにもロッド様勢力の力を削ぐためにあの手この手を尽くしてきました。

 そんな彼女がこのまま黙って諦めるとは到底思えません。


 とにかく、わたくしはレイのことが心配で堪らなかったのです。

 ですがお父様は、


「お前の心配は杞憂だと言っておこう。あの娘は敏い。私の手が届かぬ所でも、上手く自衛するであろうよ」


 と、ぷかりと煙を吐き出す始末。


「そんな悠長な! もしものことがあったらどうするのです!」

「もしもとは?」

「それは……例えば秘密裏に消されてしまうとか」


 リーシェ様はこの国の王妃です。

 そんなことはいくらでも出来ます。


「あの娘は我がフランソワ家の使用人だ。いくらリーシェ様でもそんなことをすれば、我が家と明確に対立することくらい分かるはずだ」

「そうでしょうか。使用人の一人や二人、とやかく言うはずがないと思っていらっしゃるかも知れませんわ」


 悲しいことに、王侯貴族にとって平民の使用人の価値などその程度のものなのです。


「クレア、お前は少し心配しすぎだ」

「でも!」

「とにかく、レイは大丈夫だ。もう下がりなさい」

「お父様……」

「……」


 お父様はもうそれ以上取り合うつもりがないようでした。


「失礼しますわ」


 落胆を隠せぬまま、わたくしは書斎を後にしました。


 ◆◇◆◇◆


「レイが心配ですわ」

「クレア様……」

「……」


 レイ以外の臨時の使用人を雇う気にもならず、わたくしはロレッタとピピのお茶会にお邪魔してお茶を頂いていました。

 嘆くわたくしに二人は心配げな視線を送ってきます。

 主不在の間、預かっているレレアもどこか不安そうです。


「お優しいですね、クレア様は。使用人一人にもそんなに気を配るなんて」

「……何だかんだで優秀なんですのよ、レイは。そうそう代えの利く人材ではありませんの」

「……」


 などと言いますが、本音ではもうレイのことをただの使用人とは思っていません。

 彼女はもうわたくしにとって掛け替えのない存在となっているのでした。

 とはいえ、二人の前でそれを素直に言えるはずもなく。

 わたくしは飽くまで有能な使用人を心配する体を貫きました。


「お気持ちを強く持って下さいね、クレア様。あの平民のことです。ちょっとやそっとのことじゃびくともしませんよ」

「そう思いたいのですけれどね」

「……」


 ふと、わたくしは気がつきました。

 先ほどから言葉を発しているのはロレッタとわたくしばかり。

 ピピはどこか上の空で、しかも表情があまり優れないように見えます。


「ピピ、どうかしまして?」

「あ……いえ、何でもありません。ぼうっとしてしまって申し訳ございません」

「それはいいですけれど、何か悩み事があるならば、うかがいましてよ? わたくしたちの仲じゃありませんのよ」


 確かに今はわたくしもレイのことが心配で堪りませんが、だからと言って友人たちのことをおざなりにするつもりはありません。


「……実は……」


 ピピは何かを言いかけましたが、そのまま黙り込んでしまいました。


「ピピ?」

「……いえ、やっぱりやめておきます。今はクレア様も大変な時。話せる時期がきましたら、相談に乗って下さい」

「分かりましたわ。その時が来たら遠慮なく言ってちょうだいね」

「はい」


 そう言うと、ピピは弱々しい笑みを浮かべました。

 今思いおこすと、この時ピピは実家に関する大変な悩みを抱えていたのです。

 わたくしは口ではこう言いつつ、自分のことで手一杯で、ピピの悩みに十分耳を傾けることが出来なかったのでした。


 ◆◇◆◇◆


「それは心配だねー」

「でしょう?」


 夜の寮。

 珍しくまだ灯りが灯されている時間帯に、カトリーヌとわたくしは自室でお茶をしていました。

 カトリーヌはいつもの飴を舐めています。

 どうでもいいのですが、飴とお茶って食べ合わせが悪いんじゃありませんこと?


「でも、クレアちゃん。心配なのは分かるけど、あんまり無茶したらダメだよー? それはきっと、レイちゃんの立場をますます悪くするからー」

「……でも、心配なんですのよ。レイにもしものことがあったらと考えると、いても立ってもいられないんですわ」


 前にレイのことを話したときは素直に言えませんでしたが、今はわたくしも弱っていて取り繕う余裕もありません。

 わたくしは素直にレイのことが心配だとカトリーヌに打ち明けました。

 カトリーヌもそんなわたくしのことが分かるのか、無闇に茶々を入れるような真似はしませんでした。


「確かに心配は心配だけど、今は静観しているしかないと思うなー。噂だと王宮全体はともかく、ロセイユ陛下は今回の件を荒立てるつもりはないみたいだし、多分、それほど酷いことにはならないよー」

「……そうだと良いですわ」


 暗い気持ちで紅茶を飲みます。

 アシャール家御用達の高級品ですが、味は全く分かりませんでした。


「……そっかー。ミリア様のことを思い出しちゃうんだねー」

「……あなたのそういう鋭すぎるところ、あんまり好きじゃありませんわ」

「たはは、ごめん」


 カトリーヌの言葉は図星でした。

 そう。

 わたくしは今、トラウマを刺激されているのです。

 十分に思いを通わせられないまま分かれることになったお母様との別離と同じように、思いを伝えられないままレイと死別させられてしまうのでは、と。


「確かにそれだと、様子見なんて悠長な気持ちにはなれないかー」

「わたくしも考えすぎだとは分かっているんですのよ。でも、こればっかりはどうにもなりませんの」

「うーん、そっかー」


 わたくしの吐露に、カトリーヌは腕を組んで考え込みました。

 しばらく、沈黙が流れました。


「うーん。でもやっぱり、レイちゃんを大切に思うなら、なおさら表立った動きは控えるべきかもねー」

「どうしてですの?」

「クレアちゃんがロッド様派だからだよー」


 わたくしがよく分からないでいると、それを察したのかカトリーヌが続けます。


「クレアちゃんにとってレイちゃんが重要な人物だとリーシェ様に知られたら、リーシェ様は確実にレイちゃんに危害を加えようとしてくると思う。それこそ、嫌がらせを越えたレベルで」

「……ああ、そういうことですの」


 つまりこういうことです。

 リーシェ様はユー様派、わたくしのフランソワ家はロッド様派の筆頭です。

 ほとんどその目はなくなったとはいえ、リーシェ様は恐らくユー様の王位継承を諦めていないはず。

 ロッド様派の筆頭であるフランソワ家のわたくしにダメージを与えられるなら、喜々としてそれを実行するでしょう。

 そう言う意味でも、今はみだりに動くべきではない、とカトリーヌは言っているのです。


「ですが、リーシェ様もお父様と敵対することは避けたいのでは?」

「うん。だから今のところはユー様とドル様を刺激しすぎないように、正攻法での糾弾に留めているんだと思うよー。でも、レイちゃんがドル様やクレアちゃんにとっての重要人物と悟られたら、もっと思い切った手段――例えば暗殺なんかを考えるんじゃないかなー」

「!?」

「だから、今はちょっと図に乗っている厄介な平民程度に思わせておいた方が安全だろうねー。ドル様が表立って動かないのも、レイちゃんが重要な人だと悟られない為だと思うよー?」


 まさか……お父様はそこまで考えて……?


「じゃあどうしてお父様はわたくしに教えてくださらないのかしら……」

「そりゃあレイちゃんと仲良しのクレアちゃんが平然としてたら逆に怪しいもん。そわそわさせておく方が自然だよー」

「なるほど……って、別に仲良しではありませんわ!!」

「もうそういうのは良いよー」


 照れ隠しもカトリーヌにはもう通じないようで。


「……もどかしいですわね」

「クレアちゃん、じっとしてるの苦手だもんねー」

「人聞きの悪いこと言わないでちょうだい」

「や、褒めてるんだよー。クレアちゃんは行動の人だからさー」


 などと話が一段落したとき、扉をノックする音が聞こえました。


「失礼致します。お嬢様方、まだ起きていらっしゃったのですか」

「あはは。ごめんねー、エマ」


 カトリーヌの使用人であるエマでした。


「もうお休み下さい。夜更かしは体に毒にございます」

「えー、もうちょっとー」

「ダメです」


 エマは燭台の火を消してしまいました。


「ちょっと、エマ。あなたもう少し主人の顔を立てなさいな。使用人でしょう?」

「使用人であるからこそ、主人の健康管理も仕事の内でございます」

「……この――」

「まあまあまあ!」


 少し険悪な雰囲気になりつつあったわたくしとエマの間に、カトリーヌが割って入りました。


「こんなこと言ってるけどー、エマにも良いとこあるんだよー、クレアちゃん」

「?」

「お嬢様」


 無邪気に笑うカトリーヌが何か言おうとするのを、エマが窘めます。

 しかし、カトリーヌは構わずに続けました。


「ほら、前にクレアちゃんがくれた車椅子あるでしょー?」

「ええ」

「あれ、以前ここにいたランバートさんから貰ったことにするよう、エマが動いてくれたんだ」

「……ちょっと、エマ」

「……」


 わたくしは気色ばみましたが、エマは涼しい顔です。


「あ、違う違う。ほら、あれをそのままクレアちゃんから貰ったことにしてたら、絶対お父様に取り上げられちゃうからさー。エマがランバートさんに頭を下げて、彼の試作品っていうことにしてくれてたんだよー」

「ああ、なるほど。そういうことでしたの」


 確かに政治的に敵対している相手から贈答品を受けたとなれば、クレマン様はいい顔をしないでしょう。

 それを考えれば、エマの対応は実に適確だった言えます。


「エマ、どうして弁解しませんでしたの。危うく誤解するところでしたわ」

「必要ございませんでしたので」

「ね? 素直じゃないけど、良いとこあるんだよー、エマも」


 そう言ってカトリーヌは嬉しそうに笑いました。

 カトリーヌとエマの関係は眉をひそめるようなものだと思い込んでいましたが、案外、この主従にはこの主従なりの信頼関係があるのかもしれない、とわたくしは思い直しました。


 結局、その夜のお茶会はそれでお開きになりました。


 お父様を始め何人もが「今は迂闊に動くな」というので、わたくしは仕方なくそうすることにしました。

 それだけなら返って反発したかもしれませんが、カトリーヌが理を説いて諭してくれたので、少しは気持ちも落ち着きました。


「レイ……どうか無事でいて……」


 それは本当に、心からの願いでした。

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