第65話 疑心暗鬼
※ミシャ=ユール視点のお話です。
王都に帰って来て早々、とんでもないことが起きた。
レイとクレア様にユー様の秘密がバレた……ことではない。
ユー様が暗殺未遂に遭ったのだ。
王室の醜聞なので公には伏せられていたが、私は実家経由で事の子細を知った。
レイにも説明したとおり、ユール家は今でもユー様の秘密維持の一端を担っているのだ。
事件はユー様がとある修道院を慰問した際に起こった。
その日たまたま修道院を訪れていた元修道女が、突然ユー様に襲いかかったという。
凶器は短剣で、刀身には毒が塗られていたらしい。
毒の名前は――カンタレラ。
ルイさんが使った新型ではなく、セイン様殺害未遂の時に使われた旧型だったようだ。
毒物の種類から事件には帝国の関与が疑われている。
だが、修道女は事件後何も覚えていないと供述しており、事件の全容はまだ明らかになっていない。
関係者の証言のうちいくつかに、私は気になることがあった。
ひとつ、事件の実行犯には精神操作のようなものを受けた兆候がある。
ふたつ、その実行犯は元々物静かな子だったのに、その日は急に明るくなって別人のようだった。
みっつ、同じ人物とは思えないほど、まるで手練れのような身のこなしでユー様に襲いかかった。
これらはどれも事件が起きた修道院や捜査に当たっている軍の関係者の証言だが、私はこれを聞いてふと思い当たることがあったのだ。
――私の身近に、これらに符合する人物がいる。
誰かなんて考えるまでもない。
私の親友――レイ=テイラーのことだ。
入学式の朝の前後で、彼女はまるで別人になってしまった。
元々彼女はぼんやりとした物静かな性格で、頭の回転こそ速かったものの今のように学業優秀ではなかったし、礼儀作法も普通の平民のそれだった。
彼女が編入生の首席だったのはその魔法力が飛び抜けていたからであって、学問や礼儀作法はさほどではなかったはずなのだ。
それが今は学業では同学年でも五指に入るほどだし、礼法も平民にしてはあまりにもきちんとし過ぎている。
性格だってやけに積極的になったし、特にクレア様に対するアプローチはとても同一人物とは思えなかった。
「……まさかレイも?」
そんながないと思いながらも、疑念は消えない。
気のせいで済ますには、あまりにも条件が揃いすぎている。
レイはユー様とも距離が近い。
レイの方にその気はなさそうな素振りだが、それだってユー様の天邪鬼な性格を踏まえた上での演技かも知れないのだ。
「でも……レイが刺客なら、ユー様を狙うチャンスはこれまでにもいくらでもあったはず」
学院に通っている者たちは氏素性が明らかな者たちばかりなので、学院外に比べるとユー様に対する警備は手薄だ。
レイがその気なら、今回の事件よりもよほど狙いやすいはずなのだ。
「……それを言ったら、今回の事件だってどうして今ってことになるわね」
ユー様を狙う者に何か事情の変化があったのかもしれない。
彼――いや、彼女を早々に亡き者にする、そんな理由が生まれたという可能性はある。
なら、レイだって。
「軍に通報……するべきかしら」
ユー様のためを思うならば、それが一番安全だ。
最悪、私の勘ぐりすぎだったとしても、疑いが晴れればレイは解放されるだろう。
私が彼女に嫌われるだけで済む。
などと考えていると、
「ただいまー」
レイが部屋に戻ってきた。
少し疲れた顔をしている。
メイド服を着ている所を見ると、クレア様のところからの帰りなのだろう。
いつの間にか日はとっぷりと暮れていた。
「……おかえりなさい」
「寝るー」
「ちょっと、レイ。着替えてから寝なさいよ」
「疲れたからいい……」
そのままレイはベッドに突っ伏して眠ってしまった。
「……」
私に重大な疑念を抱かれていることも知らないで、のんきなものだ。
「この子、どれだけ私に対して無防備なのかしら……」
レイのあどけない寝顔を見ていると密告しようという気は徐々に失せ、もう少し様子を見ようという気持ちが強くなった。
「信じたい……けど、確かめる必要はあるわね」
私は眠っているレイを着替えさせるために、彼女のクローゼットを開いたのだった。
◆◇◆◇◆
レイの疑念を晴らす機会は思いのほか早く訪れた。
「ねー、ミシャ」
「なに?」
夜の寮の自室。
机に向かって書き物をしていた私に、レイが声を掛けてきた。
「出家する気はない?」
「……は?」
思わず、と言った様子でレイの方を振り向く。
レイはベッドに寝転んで目だけをこちらに向けていた。
「突然、何を言い出すのよ」
「ない?」
「ある訳ないでしょ」
「そっかー」
私はレイの発言の意図が読めなかった。
抱えている疑念もあって、彼女とどう接したらいいか考えあぐねてしまう。
ひとまず、聞き流すことにした。
「でもさ、もしそうしたら、ユー様と一緒になれるとしたらどう?」
「……どういうことよ」
「気になる?」
そのまま書き物を続けようとしたのだが、これはもう無理だと悟った。
ユー様の名前が出たことで、私の注意はもう完全にレイの方に向いている。
「レイ、あなた何を考えているの?」
「親友の幸せ」
「誤魔化さないで」
「誤魔化してなんかいないんだけどね」
レイがよっこらっしょ、と年寄りのようなかけ声をかけながら身体を起こした。
「ユー様の身体のこと、何とか出来るかも知れないの」
「どうやって」
「身体のことは、前に話したとおりだけど?」
レイがクレア様と一緒に、ユー様の秘密について知ったことはもう聞いた。
異性病が教会の祭具を使えば治せることも。
だが、問題はそこではない。
「そうじゃなくて、王宮はどう説得するつもりよ?」
「説得は、しないよ」
「は?」
私は耳を疑った。
王宮を説得せずに、一体どうやってユー様の望みを叶えるというのか。
「それでどうやって何とかするのよ」
「ショック療法」
「……またろくでもないことを考えていそうね」
「人聞きが悪いなあ」
そうは言うが、このレイがショック療法と形容するような方法が、まっとうな方法であるはずがないと思う。
「実はね――」
レイはそのショック療法とやらの概要を説明してくれた。
奉納舞の本番でユー様が女性であることを暴露し、国民たちに周知してしまうことで既成事実化を図るというものだった。
「あなた……なんてこと考えるのよ」
「でも、これしかないと思うんだよね」
「あなたが関与していることがバレたら、処刑ものよ?」
「そこは上手くやるよ」
「……」
私の中に相反する二つの思いが生まれる。
レイを信じたいという気持ちと、彼女を信じ切れない疑念だ。
「あなたはどうしてそこまでしてくれるの?」
「言ったじゃない。親友のためだって」
「それは半分以上、嘘よね?」
「そんなことないってば」
「嘘よ。あなた、私のこと親友だなんて思ってないわ」
だって、あなたは変わってしまった。
私の言葉にレイは少し面白くなさそうな顔をした。
「なんでそんなこと言うの?」
「あなたが私の知るレイ=テイラーじゃないからよ」
この際、正面から疑念をぶつけてみようと思った。
それで私が害されるなら、私もそれまでの女だったということだ。
私の質問に、レイは目に見えてうろたえた。
……これは、もしかして。
「な、何を言ってるの、ミシャ」
「学院に入学した日よね、多分。あなたがあなたじゃなくなったのは」
「!」
何か思い当たることがあるのだろう。
レイの顔には図星と書いてある。
「それまでのあなたは、変わってはいたけれど、それでも普通の平民娘の範囲内だった。でも、あの日からのあなたは、明らかに別人だわ」
私はさらに踏み込んでいく。
「最初は環境の違いでノイローゼにでもなっているのかと思ったわ。でも、どうもそういう訳ではなさそうだし、一向に元に戻る気配がない。きっと、あなたは別人になってしまった」
「ミシャ、自分が何言ってるか分かってる?」
「自分でも馬鹿なことを言ってるっていう自覚はあるわよ。でも、そうとしか考えられないもの」
自分でも私はおかしな事を言っていると思う。
でも、私のこの推論は何かしらの真実の一端を捉えているはずだと思った。
「ねえ、あなたは誰? 私の親友だったレイ=テイラーはどこへ行ったの?」
私の問いに対して、レイは苦しそうな表情を浮かべた。
「私は……レイ=テイラーだよ」
「……それがあなたの答え? なら、申し訳ないけど、あなたの話には乗れない。ユー様を危険にさらすのもやめて貰うわ」
そう言うと、レイは一つ大きく溜め息をついて、諦めたような表情になった。
「分かった。降参。でも、信じて貰えるとはとても思えない」
「それは私が判断する事よ」
「……そうだね。じゃあ、話す。荒唐無稽に聞こえるかも知れないけど、私は真実を話すよ」
「そうして」
レイが語った内容は、驚くべきものだった。
彼女には別の世界の人間だった記憶があること。
この世界は恐らく、その別世界のゲームの舞台であること。
レイはそのゲームのヒロインとして転生したこと。
クレア様を救うために、この世界で奮闘を続けていること。
荒唐無稽にも思える話だったが、私はとりあえず最後まで話を遮らずに聞いた。
「この世界がゲーム? とやらの舞台……」
「信じて貰える?」
「……正直、話が突飛すぎて難しいわ。あなたのいた世界は、この世界よりもずっと文明が進んでいるのね?」
それから私は、レイの話に対して疑問に思ったことを彼女にぶつけた。
レイの説明は所々難しくて理解出来ないところもあったが、概ね矛盾なく一貫性のあるものだった。
「……じゃあ、あなたは、レイ=テイラーであってレイ=テイラーじゃない、ということなのね」
「そうなるかな。私は確かにレイ=テイラーとしての記憶もあるけど、元の私が混ざっちゃったから、それでミシャには別人に見えてるんだと思う」
「……」
それから私は、少し考え込むように口をつぐんだ。
この話を信じるべきか。
いや、信じていいのか。
迷いはしたが、彼女の話の中には看過出来ない部分があった。
「この世界ではその内、革命が起きるのね?」
「うん」
「それが起きたら、王室は消滅してしまう」
「そう」
「……そう。なら私の答えは決まっているわ」
私は居住まいを正して、レイに向き直った。
「あなたに協力するわ。あなたの言うことを信じる」
私がそう言うと、レイはベッドに崩れ落ちてしまった。
「ちょ、ちょっと、レイ」
「よかったぁ……」
「そんなに緊張していたの?」
「そりゃそうだよ。私のことを信じて貰えなかったら、私、完全に頭のおかしい人だもん」
「それもそうね」
私はでも、と続けた。
「あなたの言葉はこれまでの色んなことにつじつまが合うわ」
「例えば?」
「テストの成績とか。あなた、あんなに勉強が出来る子じゃなかったもの」
「うわー、不名誉な信じられ方だー」
「他にもあるわ。ナー帝国の毒を解毒したこと」
「カンタレラだね。うん、あれはホント転生者でよかったと思ったよ」
カンタレラの成分は誰も知らなかった。
それなのに、レイはセイン様を冒したそれを解毒して見せた。
「でもまあ、信じて貰えて良かった。ミシャって意外と頭柔らかいんだね」
「意外とって何よ。それに、あなたの話って、むしろこの世界の人間にはそこまで全く信じられない話ではないと思うわよ?」
「どういうこと?」
「あなたの世界にはカガク……だったかしら。それがあるから転生という事柄が非カガク的っていう発想になるのでしょうけれど、この世界にはその非カガク的なものの最たるものである魔法があるでしょう?」
「……ああ」
「実際、この世界には精霊の迷い子っていう言い伝えもあるから」
「あー、そうだったね」
精霊の迷い子というのは、この世界に古くからある言い伝えだ。
この世界には時々、どこから来たのか分からない人間が現れることがある。
そして、その人間は特別な力を有しているのだ。
「あなたもそうだったでしょう?」
「うん」
彼女の精霊の迷い子としての能力は、その非凡な魔法能力だろうと思う。
「まあ、これで色々と納得出来たわ。話してくれてありがとう、レイ」
「私もちょっとすっきりした。どきどきしたけどね」
「そうなの? それじゃあ、ご両親の時は大変だったでしょう?」
「へ?」
「へって……。まさかあなた、ご両親にはまだこの話していないの?」
「してないよ?」
あっけらかんと言うレイに、私は頭を抱えるほかなかった。
「あなた、そういうことはまず真っ先にご両親に説明するべきでしょう」
「そ、そう?」
「そうよ。帰省の時に何か言われなかった?」
「うーん……特に」
「……言われてみれば、レイのご両親も大らかな方たちだったわね」
そのうちちゃんと説明なさいよ、と私はレイに釘を刺しておいた。
「ちょっと夜更かしになったわね。明日も奉納舞の練習でしょう? 大丈夫?」
「うん。今日は自分に安眠をかけて寝るよ」
「朝は起こしてあげるからそうするといいわ。おやすみなさい」
「おやすみ」
ランプの灯を落として、ベッドに横になった。
レイへの疑念はほぼ晴れたと言っていい。
むしろ彼女はユー様の状況を改善してくれる味方だ。
(……疑ってごめんなさいね、レイ)
変質してしまったのだという彼女は、まだ私を親友と思ってくれているだろうか。
そうだといいなと思いながら、やがて私の意識は睡魔によって奥深くに沈められていくのだった。
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