第64話 暗殺未遂

 ※サーラス=リリウム視点のお話です。


「ん~~~……! 疲れた~~~」

「いけませんよ、ユー様。そんなだらしない」


 クレア=フランソワたちが退出した後、椅子で大きく伸びをするユー様を私は咎めた。

 ここは王宮の謁見の間である。

 人払いをしていたため、今この場にいるのはユー様と私だけ。

 ユー様は元々誰に対しても親しみやすい態度で接する方だが、この時は気が抜けたという感じの雰囲気だった。


「分かってるよ、サーラス」

「本当に分かっていらっしゃるのですか?」

「うん。つまり、諦めろってことでしょ?」

「――!」


 言葉に詰まった私に、ユー様はニコニコとした顔で続けた。


「僕の身体の問題を解決出来るかもって言われたときは、そりゃあ期待はしたさ」

「ユー様」

「でも、解決法があれじゃあね……。王宮が認められるわけがないのは分かってる」

「……」


 ユー様は椅子に頬杖を突きながら、遠くを見るような目で言う。


「僕はこの国の第三王子だ。これまでそう育って来たし、育てて貰った恩もある。それを簡単に裏切るつもりはないよ」

「ご理解頂けて恐縮です」

「でもねぇ……」

「?」


 ユー様はまるで夢を見るかのような口調で、


「女性として生きられたらって考えるのは、悪くない妄想だったよ」

「……妄想、でよろしいのですね?」


 私は確かめるように問い詰めた。


「うん、妄想だよ。王子としての責務も柵も、何もかも放り出して女性として生きていく――それが出来たなら、どんなにかいいだろうね」

「……」


 私は直感的に悟った。

 ユー様は揺らいだ、と。


 あのレイ=テイラーという者が提示した選択肢は、あまりにも現実味がなかった。

 王宮の現状を考えれば、あり得ない。

 だからこそ。

 あり得ないからこそ、それがユー様にはとても甘美に響いたに違いなかった。

 口でどんなに否定しても、ユー様はこれからずっとその甘美な誘惑に惹かれ続けるだろう。


 もしそうなれば――。


「ユー様、くれぐれも愚かな妄執に囚われませぬよう」

「分かってるよ、サーラス。もう下がって良いよ。僕も休むから」

「……御意」


 一礼して、最後に見たユー様は、やはりどこか夢を見る乙女のような表情を浮かべていた。


 ◆◇◆◇◆


 その日の深夜。

 私は王宮にある自室――ではなく、王都の外れにある廃墟のような屋敷にいた。


「……私です。入れて下さい」


 私がそう言うやいなや、扉の鍵がかちりと外れた。

 恐らく、私がこの屋敷に近づくのをずっと観察していたのだろう。


「珍しいね、アンタ自らここにやって来るなんて」


 私を出迎えたのは、黒い仮面をつけた男だった。

 私の最高傑作――オルタだった。


 オルタは明かりを落とした室内に溶け込んでいるようだった。

 今は見えないが、周りには雑然とした広間とベッドがいくつか並んでいるはずだった。


「急用が出来ました。暗殺者を一人仕立てて下さい」

「そいつはまたホントに急だねぇ? 誰を殺る?」

「バウアー王国第三王子――ユー=バウアーを」

「……へ?」


 オルタの気が抜けたような声が聞こえた。


「おいおい、ユーはアンタが推すつもりじゃなかったのか? あの可哀想なリーシェを誑し込んで、色々悪巧みしてただろう?」

「それは全てご破算になりました。あれはもう使い物になりません。これ以上肩入れすると、私の方がダメージを受けることになります」


 確かにユーは有力なコマではあったが、今となってはもうその価値は怪しい。

 それに私にはセインという切り札がある。

 オルタの暴走で、一時は自ら手放しそうになったが。


「ふーん……? 何かあったな?」

「お前は知らなくていいことです」

「あいあい」


 おざなりに返事をして、オルタは肩をすくめた。


「で、いつ殺る?」

「できる限り早く」

「殺れってんなら明日にでも殺るけどよ、肝心の王子のスケジュールはどうなってんだよ?」

「それについては問題ありません。明日、ユーは孤児院の慰問が予定されています」

「……ハ、そいつは好都合」


 オルタには私が言わんとしたことが伝わったようです。


「なら、教会から調達した奴らでいいよな? 今すぐ用意出来んのは……こいつかねぇ?」


 オルタは傍らにあったベッドの一つを覆っていたシーツを剥がした。

 そこには一人の修道女が眠っている。


「つい先日仕入れたばかりのヤツだ。最近、王家が何やら勘づいているらしくてよ、苦労してんだぜ?」

「能書きは結構。使えるのですか?」

「まあ、そこはオレの仕込みだからな。安心してくれていい。後はアンタの入力待ちだ」

「よろしい」


 私は横たわる修道女に近づくと、その頬に触れた。

 修道女がうっすらと目を開ける。

 その瞳を見つめながら、私は暗示の魔法をかけていく。


「可愛い可愛い、我が娘。私の声が聞こえますか……?」

「……聞こえ……ます……」

「あなたにお願いがあります。聞いてくれますね……?」

「……はい……お父様……」


 修道女に標的とその殺害手段を入力していく。

 あまり厳密に指定するよりも、ある程度遊びを持たせた方がいい。

 人間という意思を持つ生き物を利用する最大の利点がここにある。


「……というわけです。分かりましたか?」

「……はい、お父様……」

「では、復唱して下さい」

「……まず――」


 修道女はきちんと計画を理解しているようだった。

 これなら多分、上手く行くだろう。


「では、後は頼みましたよ」

「へいへい。おやすみんさい」


 軽薄な声には答えず、私はその屋敷を後にした。


 ◆◇◆◇◆


 翌日の午後、王宮は大変な騒ぎになっていた。


「ユーは!? ユーは無事なのですか!?」

「落ち着いて下さい、リーシェ様。大丈夫です。王子は無事です」

「これが落ち着いていられますか! ユーは暗殺されかけたのですよ!?」


 結果から言えば、ユー王子の暗殺は失敗した。

 どこから情報が漏れたのか、精霊教会に翻意ありという密告があったらしく、王子の護衛が普段よりも強化されていたためだ。

 私は内心、舌打ちを隠せなかった。

 暗殺は初手で成功させるのが肝心だ。

 二度目からは相手も警戒するため、それが緩むまで待つのには随分と時間がかかる。


「サーラス」

「はっ」


 ロセイユが私の名を呼んだ。

 この忙しい時に何の用だ。


「犯人の目星は」

「恐れながら、まだ何も」

「精霊教会は何と?」

「下手人は何日も前から行方が分からなくなっていた、教会とは関係はない、と申しております」

「ふむ」


 ロセイユは考え込んだ。


「犯行のあった修道院を取り潰し、精霊教会に厳重な抗議を! いえ、そんな生やさしいことでは許せません!」

「落ち着け、リーシェ」

「陛下こそ、何をそんなに落ち着き払っておられるのです! 息子が暗殺未遂に遭ったのですよ!?」

「だからこそ、だ。私はなぜそれが起こったのか、これからどうすべきなのかを慎重に探らねばならん」

「何を悠長な――」


 それからしばらくはヒステリーを起こしたリーシェを宥めるのに終始した。

 最終的に彼女は貧血を起こし、侍女に付き添われて自室へと下がっていった。


「サーラス」

「はっ」

「二度目はあると思うか」


 ロセイユのその言葉は、私を微塵も疑わないものだった。

 内心ほくそ笑みつつ、私は神妙に答える。


「恐れながら、しばらくは警戒をすべきかと。ユー様だけではありません。ロッド様、セイン様も合わせて護衛の数を増やされるべきかと存じます」

「ふむ」

「また、今回の件は厳重に情報管制をかけるべきです。王室の醜聞になります」

「道理である。そのようにいたせ」

「はっ! では早速」


 護衛の者に指示を出すため、その場を辞去した。

 この愚かな王は、何も分かっていない。

 やはりこの私こそが、頂点に君臨するに相応しい。


「……サーラス、何がお前をそこまで駆り立てるのだ……」


 ロセイユが何かを呟いた気がしたが、私の耳には何も届いてこなかった。

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