第63話 王宮の秘密
「僕はどうしたいか、かい?」
学院再開間際のある朝、レイとわたくしは王宮のユー様の元を訪れていました。
本来であれば王子様方に会うには指定の手順で面会を申し入れ、受理されるまでに相当の時間がかかります。
学院にいる時がむしろ例外的なのです。
ですが今回はリリィ枢機卿経由で、「ユー様の病気についてよい治療法がある」という特殊な理由をつけて申請をしたため、面会はすぐに叶いました。
表向きにはわたくしが謁見者、レイがユー様の問題を解決出来るかも知れない「医者」という位置づけでの面会です。
ユー様の問題を解決するに当り、レイはまずユー様の意志を確認したがりました。
ミシャからもある程度話を聞くことが出来たそうですが、伝聞というものは往々にして歪んで伝わるものです。
ユー様ご自身がどうお考えなのかを直に聞きたいというのがレイの言い分でした。
「選択の余地などないのですよ、ユー様」
ユー様の忌憚ない気持ちを聞きたかったので人払いを申し出たのですが、王宮全体にも関わることだけにユー様と三人だけとはいきませんでした。
監視役ということなのでしょう、サーラス宰相が同席しています。
サーラス様は私たちに向き直って続けました。
「私もお気の毒だと思いますが、ユー様には王子でいて頂かなければ困ります。事はもう、個人の意志などと言っていられる大きさではありません」
「サーラス様のお考えも分かりますわ。もちろんそれはわたくしもこのレイも承知しております」
わたくしはサーラス様の危惧をやんわりと受け止めました。
王族ともなれば、その一挙手一投足が国の行く末を左右する身。
レイには悪いですが、貴族であるわたくしにはサーラス様の言わんとすることも十分に理解出来るのでした。
「しかし、それはそれとして、ユー様ご自身が本音の所でどう思っていらっしゃるかも知っておかねば、いざ男性化が叶った後もお気持ちの部分でフォローが出来ません」
無理を続けるならばあらかじめそれなりの準備が必要だということを、わたくしはサーラス様にそれとなく示しました。
サーラス様とて優秀な貴族であり宰相です。
きちんと順序立てて、理詰めで説明すれば聞く耳は持って下さるとわたくしは信じています。
「つまりあなた方は、ユー様の性別をどちらに固定するかはともかくとして、お気持ちのケアのためにユー様の本音を聞いておきたい、と言うのですね?」
「左様にございます」
ふむ……、とサーラス様は思案するように顎に手を添えました。
物思いに耽るサーラス様はとても美しく見えます。
リリィ様に似た銀髪と赤い瞳に冷たく整った顔の造作は、貴族平民の別を問わず幅広い女性ファンがいるほどです。
美男美女を見慣れたわたくしですらそう思うのですから、平民の女性などイチコロでしょう。
幸い、レイは男性に興味がないので安心ですが。
……何が安心ですのよ、もう。
「クレアたちの言うことも一理あると思います、ユー様」
「なら、遠慮なく言ってもいいんだね?」
監視役のサーラス様が譲歩したことで、ユー様は自分の気持ちを明らかにすることにしたようでした。
「僕としては……やっぱり、戻れるなら女性に戻りたいね」
「ユー様……」
「そんな顔しないでよサーラス。仕方ないから、男性でいることは続けるさ。でもね、気持ちの部分はどうしようもないんだよ」
懸念の表情を浮かべるサーラス様に、ユー様は申し訳なさそうに言いました。
「今でも月に一度、満月の日に自分の身体に戻れているから、かろうじて心身のバランスを保っていられるんだ。これが男性の身体に完全に固定されたら、さすがに平気ではいられないと思うよ」
ユー様は飽くまでいつもの王子様的な表情を崩しませんでしたが、今の言葉には紛れもない本音が含まれているとわたくしは感じました。
「クレア、レイ、何か解決方法はあるのですか?」
サーラス様がわたくしたちに問いました。
「レイに発言の許可を頂けますか」
「構いません。私は名よりも実を取る方です」
「ありがとうございますわ。レイ」
「はい。方法は二つあります」
「聞きましょう」
レイの答えに、サーラス様が身を乗り出してきました。
「一つはこのままの状態を続けること、です」
「……それでは何の解決にもなっていないのではありませんか?」
「ユー様に男性でいて欲しいと考える王宮と、女性でありたいというユー様の願いを両立するには、今の状態が一番だと考えます」
「……もう一つの方法は?」
少し落胆した様子でサーラス様が先を促しました。
「もう一つは……ユー様を女性にする方法です」
「……あなたは私の話を聞いていましたか? すでにその選択肢はないと――」
「表向き、ユー様を廃嫡します」
「……何を言い出すのですか、あなたは」
レイは言葉を重ねます。
「ユー様を世継ぎの王子として扱い続けなければならないから、話がややこしくなるのです。ユー様をそのしがらみから解き放って差し上げれば、別にユー様の身体がどちらであろうと構わないはずです」
「王宮の恥部をさらけ出せというのですか?」
「そうではありません。廃嫡した後、ユー様はご病気になったと発表して修道院に行って頂きます。お側仕えを何人かつけ、ユー様にはそこで過ごして頂きます。行動範囲に多少の制限はつきますが、お身体に関することは全て解決出来るはずです」
「自分が何を言っているのか分かっているのですか?」
サーラス様の怜悧な声が飛んで来ました。
レイの発言は平民に許される分を明らかに越えています。
それでも、レイは発言をやめようとはしていません。
「それは……僕に一生、修道院で幽閉生活を送れと言うことかい?」
「基本的にはそうですが、幽閉ではありません。最初の内はどうしてもそうなるかもしれませんが、髪を伸ばしてお化粧をしてしまえば、高位の修道女として外へ出ることも可能なはずです。幸い、ユー様はお顔立ちが女性らしいですから」
ユー様の苦笑しつつの言葉に、レイは説明を重ねました。
多少の不便はあっても、今よりはよほどましなはずです、と。
「レイとやら、男性として身体を固定する方法は?」
「私は存じ上げません」
「……問題を解決する方法があると言うから、ユー様との謁見を特別に許可したのに、これでは何の意味もないではありませんか」
サーラス様は肩を落としました。
レイがなおも食い下がります。
「サーラス様。ユー様が本来の性別で生きられるようになることを解決と呼んではいけないのですか?」
「いけません。王宮の意志は飽くまでユー様に男性として生きて頂くことなのですから」
「王位継承者は他に二人もいるのに?」
「いいですか、レイ=テイラー。あなたは廃嫡と簡単に言いますが、本来廃嫡とは重い罪を犯した王族に課せられる刑罰なのですよ? そんなものをユー様にさせるわけにはいきません」
「今の状態を続けることの方が、ユー様にとってはよっぽど刑罰だと思います」
わたくしはこの時点でレイの様子が少しおかしいことに気がついていました。
彼女がここまで他人のことにこだわるのはとても珍しいことだったからです。
「……少し、言葉が過ぎますね。クレアならともかく、平民のあなたが王宮の暗部に口を出す必要はありません」
「ユー様にはなんの罪もないのに、リーシェ様の暴挙の尻拭いを一生させる気ですか」
「謁見は終わりです。下がりなさい」
「サーラス様!」
「……レイ、気持ちは嬉しいよ。でも、世の中にはどうにもならないことだってあるんだ」
そう言って儚げに微笑んだユー様は、今にも消えてしまいそうでした。
男性として生きることを強いられた十数年間が、ユー様から女性として生きるという選択肢を諦めさせているのです。
わたくしは潮時だ、と思いました。
「レイ、ここまでですわ。ユー様、サーラス様、ありがとうございました」
「この件に関して、次はないと思って下さい」
「……かしこまりましたわ」
レイはまだ言いたいことで一杯の様子でしたが、引きずるようにしてユー様との謁見場から退出しました。
外に出ると、雨が降り始めていました。
王宮の門で、迎えの馬車を待ちます。
わたくしは溜め息を一つ付きました。
「……レイ……あなたねぇ……」
「クレア様はあれでいいと思ってるんですか!?」
わたくしのぼやきに、レイは気色ばんで言い返してきました。
雨足が、少しずつ強くなっていきます。
「いいとは思ってませんわ。でも、ユー様も仰っていたとおり、世の中にはどうしようもないことってあるんですのよ」
「それをクレア様が仰るんですか。理想から現実に逃げ込みたくないと仰っていたのは、ただの建前ですか」
「……あなたはいつからそんな口を叩けるほど偉くなりましたの」
「偉いとか、偉くないとか関係ありません。でも、ユー様お一人も救えないようでは、平民全てを救おうとするなんて夢のまた夢です」
「レイ!」
強く咎めるわたくしの口調に、レイははっとした顔をしました。
どうやら我に返ったようです。
「……申し訳ありません」
「何を熱くなっていますの。らしくないですわよ?」
「美咲がそうだったんです。彼女……いえ、彼は別の性別で過ごすことを強要されていました」
レイの固い口調に、わたくしは言葉を失いました。
ミサキというのは、確かレイの初恋の話に出て来た子だったはずです。
「やはり今回のユー様と同じように周りの理解が得られず、無理を続けた結果……自殺しました」
「!」
レイは目を伏せていたので表情は窺えません。
ですが、わたくしには彼女が泣いていると思いました。
「彼は自分の願いが聞き届けられなかったから死んだんじゃありません。自分の願いが、周囲に迷惑を掛けるのに耐えられなくて死んだんです」
「……それは……辛いですわね」
女性として生まれ、自分が女性であることに疑問を感じたことのないわたくしには、ミサキの苦悩は想像することしか出来ません。
そしてそれもきっと、当事者のそれに比べれば遙かに生やさしいものでしかないのでしょう。
ですが、きっとレイは――レイは違ったはずです。
彼女はきっと、彼女なりに精一杯、ミサキを理解しようと努力したのではないでしょうか。
彼を理解し、支え、そしてその果てに取りこぼしてしまった親友の命。
ミサキも辛かったに違いありませんが、わたくしにとってはレイが味わった辛さの方がより痛ましく感じられました。
「美咲の場合、解決方法がありませんでした。彼は別に異性病だったわけではないからです。でも、ユー様には解決方法がちゃんとあるんです。なのに――」
「もういいですわ。いらっしゃい」
わたくしがそう言うと、レイはすがりついて来ました。
その頬が濡れていたのは、雨のせいだったのかそれとも……。
「今でも思い出すんです。お葬式の時に美咲の棺にすがりついて泣く小咲の姿を」
「そう」
「なのに、世間は……美咲の両親すらも彼を責めました。美咲が弱かったのがいけない、美咲の苦しみの方が間違っているって」
「そう」
「もう二度と、あんなことは繰り返してはいけません。亡くなってからでは遅いんです、本当に」
「そうね」
この時のレイはまるで、ぐずる赤ん坊のように弱々しく感じられました。
わたくしは彼女を支えたい一心で、彼女の冷たくなっていく体を抱きしめ続けました。
雨はいつの間にか、どしゃぶりになってわたくしたちの声をかき消すまでになっていました。
馬車が来るまで、わたくしたちはただ寄り添い合っていました。
その日、雨がやむことはありませんでした。
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