第61話 思い人の初恋
レイの初恋の話はなかなかに衝撃的でした。
コサキという子に恋をしたこと。
同性に恋をしてしまった自分を認められなかったこと。
シイコという子に出会って、そんな自分を認められるようになったこと。
コサキに告白するも、ミサキにバレて迫害されたこと。
仲間だと思っていたシイコも、実は自らの思いのためにレイを陥れようとしていたこと。
学校を休むようになったこと。
両親はレイを理解しようと努めてくれたこと。
最終的にはレイは立ち直ったこと。
そんな内容を、レイはかいつまんで話してくれました。
いつもあっけらかんとしていて、怖い物など何もないというような顔をしているレイに、そんな辛い過去があったなんて。
初恋は実らないものとはいいますが、いくらなんでもこれは酷いと思いました。
「ずいぶんと酷い方たちですわね。ムカムカしてきましたわ。焼きましょう。レイ、その者たちのところに案内なさい」
「お、お供しますクレア様」
ミサキとかいう女は言わずもがな、告げ口したコサキもレイを陥れたシイコも、わたくしには同罪に思えました。
リリィ枢機卿も気持ちは同じだったのか、わたくしの言葉に同調してくれました。
「まあまあ。あの頃は美咲も家庭が荒れていたみたいでしょうがなかったんです。それに卒業した後に再会しまして、今では一緒にツチノコを探しに行く仲になりました」
「ツチノコ?」
「ああ、すみません。UMAです」
「ゆ、ゆーま?」
「ああ、すみません。忘れて下さい」
またレイが何やらよく分からないことを言い出しましたわ。
「ともかく、あの時はホント、色々と複雑な事情がごっちゃごちゃだったんです」
「何も複雑じゃないじゃないですの。そのミサキとかいう女が全ての元凶ですわ」
コサキやシイコにも問題を深くした責任があるとは思いますが、元凶は間違いなくミサキのはずです。
「それが、そうでもなくて」
「ど、どういうことですか?」
ところが、レイは意外なことを言い出しました。
「さっき言った家庭の事情に加えて、美咲は詩子のことが好きだったんです。でも、そのことを自分で認められなくて」
「そ、そうなんですの?」
「はい。私をハブったのは、詩子を取られると思ったからですね」
「う、うわー……三角関係ってやつですか」
恋愛小説や戯曲の中だけじゃありませんのね、そういうのって。
などと思っていたら、
「いえ、四角関係です」
「どういうことですの?」
「小咲は美咲のことが好きだったんですよ」
「こ、こんがらがってきました……」
レイによると、つまりこういうことのようです。
美咲→詩子
↑ ↓
小咲←零
レイが紙とペンを借りて図式化してくれました。
「ドロッドロですわね」
「そ、そうですね」
「まあ、みんな若かったんですよね……」
「あなたまだ十代半ばですわよね?」
「そんな時もありましたねぇ」
「現在進行形でしょう!?」
なに遠い目をしてますのよ。
「とにかく、その三人とはその後全員仲直りしました。一番笑ったのは小咲の本性を知った時ですね」
「コ、コサキさんにも何かあるんですか……?」
「はい。当時は小動物とか天使とか思ってた小咲なんですが、実は一番の性悪だったんではないかという話になりまして」
あれは面白かったなあなどと述懐するレイ。
「わたくしには何となく分かりますわ。コサキは自分が一番可愛いタイプでしょう?」
「クレア様、大正解です」
コサキのようなタイプはよくいます。
厳密にはコサキのような見かけのタイプは、ですが。
小動物めいた雰囲気?
はにかむような笑顔?
控えめな性格?
争い事が嫌いな平和主義?
実際にはほんっっっとうに少ないですわよ、そんな女性。
そういう擬態をする女は大抵、自分の思うとおりに相手から見くびられていたいだけですわ。
そうして手のひらで相手を転がして自分の都合のいいように話を運んでいくんですの。
地方から出て来たばかりの若い男性貴族が、中央に来て最初に浴びる洗礼でもありますわ。
「結局、小咲は美咲とくっつきました。あ、美×小じゃなくて小×美です」
「あなたは何を訳の分からないことを言っていますの」
「訳が分からないとは何ですか! カップリングの左右は重要でしょう!」
「り、理不尽に怒られましたわ……」
理由は分かりませんが、レイにとってその順番はとても大切なことのようです。
本当に意味が分かりませんけれど、彼女が真剣なのでわたくしはそれ以上何も言いませんでした。
「まあ、これが私の初恋の話です。つまらなかったでしょう?」
「そうでもないですわ」
「え、ええ。とっても参考になりました」
「そうですか?」
そんな過去の一つもあれば、誰だって性格が歪むでしょう。
レイのひねくれた性格も、そんな悲しい過去がなせる業なのだと思うと少しは許せる気がしました。
「ずいぶん、苦労したんですのね」
「そうでも。今となっては笑い話です。どうですか、リリィ様。幻滅しました?」
「い、いえ。むしろ一層好きになりました」
「あるぇー?」
むしろ今の話は口説き文句に使えるくらいじゃないですの、とわたくしは思いました。
「とにかく、初恋は実らないものですし、同性愛者の恋愛は失恋がデフォなので、打たれ強さが大切です」
「う、打たれ強さ、ですか」
「はい。お陰で私はクレア様のつれない態度でもご飯三杯はいけるほどになりました」
「レイはちょっと図太すぎると思うんですのよ!?」
さっき許せる気がすると言ったのは取り消しますわ。
やっぱりレイはもう少し素直になって、奇妙奇天烈な言動を何とかするべきです。
「クレア様の初恋は、マナリア様だったんですよね?」
「ち、違いますわよ! あれは……その、お姉様があまりに素敵でいらしたので、勘違いをしたというか」
「まあ、今は私ですもんね」
「……レイ、調子にのっているとクビにしますわよ?」
「ごめんなさい」
わたくしが咎めると、レイは素直に謝罪を述べました。
「そういえば、どうしてこんな話になったんでしたっけ?」
「わたくしたち、平民の貧しさを解決しようと教会に来たのでしたわね……」
「ま、まあ、たまには脱線もいいじゃないですか」
ふと我に返ったレイとわたくしを、リリィ様がとりなしてくれました。
「さ、先ほどのレイさんのお話に通じるものがありますが、理想と現実って違いますよね」
「どういうことですか?」
「きょ、教会も貧富の差は無くなって欲しいと考えていますし、こうするべきだという理想像はいくつかあります。でも、実際にそれが上手く機能するかというと、それは疑問と言わざるをえません」
「? 詳しく説明して頂けませんこと?」
「せ、政治は、キレイごとでは済まない、というお話です」
似たような台詞を、お父様がよく口にしています。
わたくしもここ最近までそう思っていました。
でも、かつてお母様が言っていたのです。
理想から現実へ逃げるな――と。
今のわたくしはその間で揺れ動いているように思えます。
それだけに、リリィ枢機卿の話は耳を傾ける価値があるように思えました。
「り、理屈として正しくても、政治は現実で機能しなかったら意味がありません。そして、多くの場合、現実とは理不尽なものです」
その若さで一体どんな経験をしたのでしょう。
リリィ枢機卿の言葉には、年齢以上の重みを感じました。
「リ、リリィはもう、政治はなるようにしかならないと思ってしまっています。教会は政治とは一線を画すことにしていますし」
「またぶっちゃけましたね」
「でもそれでは!」
諦めともとれるリリィ枢機卿の話に、わたくしは声を荒げてしまいました。
「それでは……民が報われません。わたくしは、理想を失いたくないですわ」
現実はきれい事では済みません。
でも、理想から現実に逃げたくないのです。
ならば、どうすればいいのでしょう。
「それなら、理想を追い続けるしかありません。理想を唱える者は、常に自らがそれを実現していかなければ」
「レイ……」
「クレア様お一人ではないのです。私も微力ながらお供致します」
「ありがとう」
と、わたくしたちがちょっといい雰囲気になったのですが、
「いちゃつくならよそでやれよ、カス」
「「……」」
「……ほ、本当にわざとじゃないんです、信じて下さい!」
「いやまあ、信じますけど」
嘘と言われても当惑するほどの罵倒癖ですわね。
「それにしても、リリィ枢機卿にはすっかりお世話になってしまいましたわね。何かお礼が出来ればいいのですが」
「そ、そんな! リリィはクレア様に教会のことを知って頂けるだけで……」
「例えば、今、リリィ様が一番困っていらっしゃることはなんですか?」
レイがなんとはなしに訊いてみました。
「こ、困っていること、ですか?」
「はい。私たちも力になって頂いたのですから、逆にリリィ様のお力になれればと思いまして」
「ふふ、嬉しいです」
「そこ、いい空気出さない」
わたくしだって暴言吐きたくなることあるんですのよ?
「そ、そうですね……。私は今、とある病気の研究をしています。異性病というのですが……」
「ああ、性別が入れ替わってしまうっていうあれですね」
その病はわたくしも聞いたことがありました。
確か罹患すると性別が反転してしまう病です。
「確か、教会が保存する月の涙という祭器の力で、効果が軽減・あるいは消滅するはずですよ」
「つ、月の涙をご存じなんですか!? 教会の特一級秘匿事項ですよ!?」
「あ」
うっかり、と言った様子でレイは口を押さえました。
もうわたくしはいい加減慣れてきたので驚きませんでした。
いえ、いつかは問い質してやろうと思ってはいるんですけれどね。
「ど、どこで月の涙のことを!?」
「あー、えーと……。ユー様に教えて頂きました」
「そ、そんなはずがありません。ユー様が異性病の解決策をご存じなら、ご自分の身体のことなんてとっくに――。あ!」
今度はリリィ枢機卿が口を塞ぐ番でした。
なんですって?
「リリィ枢機卿。今、なんと?」
「あばばば……」
「ユー様、異性病なんですか?」
レイとわたくしが問い詰めると、リリィ枢機卿はやがて諦めたように嘆息して、
「レ、レイさんは異性病の解決策をご存じのようですからお話ししますけれど、くれぐれも他言無用にお願いします。口外したら、命が危ないと思って下さい」
「分かりましたわ」
「はい」
物騒な前置きでしたが、レイもわたくしも頷きました。
観念したリリィ枢機卿は、ぽつぽつと話し始めました。
「じ、実は――」
簡単に言えば――。
ユー様は女性だったのです。
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