第58話 小さな枢機卿
古バウアー王朝形式の荘厳な彫刻がなされた石造りの門をくぐり、レイとわたくしはそこに足を踏み入れました。
建物の中をランプと燭台の明かりが煌々と照らし出しています
白い壁はバウアーのあちこちにある治療院とも似ていますが、ここの壁の風合いから積み重なった歴史を感じます。
わたくしたちがやって来たのはバウアー大聖堂です。
精霊教会は世界各地に支部がありますが、本部はここバウアーの王都にあります。
精霊教以外の宗教も一応存在しますが、その多くも精霊教から枝分かれしたものなので、純粋な異教というのはごくわずかです。
多くの人から信仰を集める宗教の総本山ということで、建物はとても立派です。
バウアーの王宮には流石に及びませんが、わたくしの実家よりも大きいでしょう。
清貧を旨とする精霊教の中においてすらこの規模なのですから、精霊教会の権勢がどれほどなのかが窺い知れるというものです。
さて、いつまでも観光気分ではいられません。
わたくしたちは目的があって来たのですから。
「来てみたはいいものの、どこで話を聞けばいいのかしら」
「あ、それなら受付に言えば係の方が応対して下さるそうですよ?」
先触れを出した時に教えて貰いました、とレイが言います。
全くもう、分かっていませんわね。
「正規の手順では教会の聞かせたい話を聞かされるだけですわよ。わたくしが知りたいのは、生の教会の姿ですの」
そう言うと、わたくしは受付を通り過ぎて奥へと進みました。
レイが慌てて追いかけてきます。
「そうは仰いますが、それならどうなさるんですか? 教会内にも書物の類いはあるでしょうが、勝手に閲覧できるとも思えませんよ?」
「別に書物に頼る必要はありませんわ。その辺にいる人に話を聞けばよいのです。あ、ちょっと、そこのあなた――」
入り口を過ぎて礼拝堂に出ると、わたくしはそこで祈りを捧げている修道女に声を掛けました。
その小さな肩がびくりと震えます。
「!? な、なんでしょうか……?」
修道女は急に声を掛けられて驚いたのか、どこか齧歯類を思わせるような怯えた表情で答えました。
黒いウィンプルに銀髪に赤い瞳を隠した、なかなかの美少女です。
「ちょっとこの教会のことについて伺いたいんですの。お時間はありまして?」
「あ……え、えっと……今は礼拝の時間ですので……」
「それなら、終わるまで待ちますわ」
わたくしは修道女の隣に座ると、礼拝堂の中を観察しながら時間を潰すことにしました。
その過程で、レイがやれやれという顔をしながら隣に腰を下ろすのが見えました。
なんですのよ。
「え、えっと……その……」
「なんですの」
「ひぅ! ご、ごめんなさい……」
修道女が何かを言いかけたのでわたくしが先を促すと、彼女は首をすくめてそう言いました。
「別にあなた何も悪いことしてないじゃありませんの」
「……す、すみません」
「ほらまた。とにかく、お祈りを済ませてちょうだいな。わたくしたちはここで待たせて頂きますわ」
「……は……はい……」
修道女は、一瞬ちらりとレイ方を見ました。
レイは無言で首を振ります。
だから何なんですのよ。
「……」
お祈りを再開した修道女は最初こそわたくしたちのことを気にしていましたが、次第に祈ることに集中し始めたようでした。
先ほどまでの小動物めいたおびえは影を潜め、ひたむきに祈るその姿はなかなかに神秘的と言えます。
それはいいのですけれど、レイ、あなたねぇ。
「何を見とれていますの」
確かにこの修道女は可憐で愛らしいですが、よりによってわたくしが隣にいる時にそんな視線を送るなんて。
「いえ、別に見とれては……はっ!? ジェラシーですか!? クレア様、ジェラりました!?」
「何を言っていますのよ!? 別にジェラってませんわよ! っていうか、ジェラるってなんですのよ!?」
またレイが世迷い言を言い始めたので、わたくしがそれを咎めていると、
「礼拝堂では静かにしろ、タコ」
と、少女に暴言で注意されました。
わたくしは耳を疑いましたが、今のセリフは確実に隣の少女から聞こえてきました。
「えっと……?」
「あっ! そ、その……ごめんなさい……! リリィ、時々変な口調が混ざってしまうことがあって……」
リリィと名乗ったその修道女は、レイの戸惑いに慌てて弁解しました。
変な口調というか、完全に罵倒だった気がしますけれど……。
それにしても、リリィ……?
「リリィ……? どこかで聞いたことがあるような……。まあいいですわ。それで、お祈りは終わりましたの?」
「は、はい。お待たせしました」
リリィは居住まいを正しました。
「わたくし、教会の制度について伺いたいんですの。最初は概略で結構ですので、お話しして頂ける?」
「きょ、教会の……制度、ですか? それでしたら、受付から広報担当に言って頂ければ……」
「わたくしが知りたいのは教会が見せたい教会の姿ではなく、現状の問題点も含めた生の教会の姿ですのよ」
「は、はあ……?」
リリィは戸惑うような表情をしています。
わたくしの意図が分からないようでした。
「私からもお願いします。クレア様は平民の貧困をどうにかしたいと考えておいでなのです」
「ひ、貧困を……?」
「はい。そのためには、教会の仕組みが手がかりになるのでは、と」
「……な、なるほど、それは確かに一理ありそうですね。リリィでよろしければお力になりたいと思います。ところで――」
レイのかみ砕いた説明にようやく納得の色を見せたリリィは、今度はレイをまじまじと見つめました。
「リ、リリィはどこかであなたにお目に掛かったことがありますか……?」
「実は私も、リリィさんとはどこかでお会いしたことがある気がするんですよね」
などと言い合う二人を、わたくしはイライラしながら見守っていましたが、とうとうこらえきれずに、
「……使い古された口説き文句ですわね」
と言ってしまいました。
「!? ち、違います! リリィはそんなつもりでは決して……!」
「そうですよ。私にはクレア様しか見えていませんよ? あ、ジェラりました? 今度こそジェラりましたよね?」
「ジェラってませんわよ!? だからいい加減、そのどこの言葉だか分からない言葉を言うのはやめて下さらない!?」
再びの軽口にまた抗弁していると、
「だから礼拝堂では静かにって言ってんだろ、ボケナス」
「……」
「……」
「あわわわ……す、すみません……」
再びの罵倒。
どう考えてもうっかりのレベルを越えていますが、本人に悪気はないようです。
「リリィ様、どうされました?」
通りかかった身なりのいい年配の男性が、わたくしたちの様子を見て声を掛けてきました。
リリィ……様?
「あ、ローナ司教。こちらの方が教会について知りたいと仰るので、お話しさせて頂こうと思っていました」
「そのような雑事は、リリィ様のなさることではありません」
「で、でも、貴族の方……それも財務大臣のご息女に興味を持って頂けることなんて、滅多にありませんし」
そこまで聞いて、わたくしはようやく気がつきました。
サーラス宰相と同じ髪、同じ瞳の色。
一般の修道女とは違う刺繍を施された修道服。
そしてリリィという名前。
彼女は――。
「も、申し遅れました。リリィの名前はリリィ=リリウム。バウアー王国宰相サーラス=リリウムの娘にして、精霊教会の枢機卿をさせて頂いております」
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