第57話 貴族の腐敗

 翌日。

 自室でわたくしはバウアー王国の政治体制についての本や新聞記事を読み漁っていました。

 やると決めたからには、出来ることから手をつけていくしかありません。

 レイとの会話で教会の施策が貧富の格差を解決する参考になるかも知れないと聞いて、わたくしはレイに教会へ行く先触れを頼みました。


 レイが退出した後、わたくしはある新聞記事に目を通していました。


「人身売買……」


 記事はさる貴族が密かに人身売買を行っていると伝えています。

 わたくしがバカンスでユークレッドへ行っていた間に出た記事で、一時、貴族界を騒がせたもののすぐに立ち消えになったとお父様にうかがいました。

 何でも、記事を書いた記者は行方不明になっており、新聞社もそれ以降、続報を一切出す様子がないとか。


「……もみ消したんですのね」


 人身売買は重罪です。

 王国も遙か昔には奴隷制度なるものがあったそうですが、今は厳重に禁止されています。

 もしもこの記事に書かれていることが本当であれば、露見した貴族はまず間違いなくお家断絶でしょう。

 それほどのスキャンダルです。

 恐らく、後ろめたいことのあるその貴族が人を使って新聞社に圧力を掛けたのでしょう。

 行方不明の記者は……どうなったか言うまでもありません。


 記事をよく読めば、その「さる貴族」が誰なのか、大体見当がつきます。

 一般の貴族では難しいでしょうけれど、わたくしはお金の流れを掌握している財務大臣の息女です。

 お金の流れは人の流れ、そして情報と権力の流れです。

 わたくしが持っている知識と記事の内容、そしてフランソワ家の者を使って行った調査を加えれば、事件の概要は何となく分かりました。


「クレマン=アシャール侯爵……本当にあなたですの……?」


 そう。

 全ての情報が確かならば、事件の首謀者は恐らくクレマン様ということになります。

 アシャール邸での対面を苦々しく思い出しました。

 あの貴族至上主義の権化とも言うべき怪物は、こんなおぞましいことに手を出してしまったのでしょうか。


「家格があれば何をしても許されるとでも……? 名門アシャール家の名が泣きますわよ……?」


 アシャール家は元々、フランソワ家と並ぶ公爵家でした。

 ですが、今のクレマン様の代になって侯爵家に格下げになったのです。

 理由は簡単です。

 ロセイユ陛下がクレマン様を権力から遠ざけようとなさったからです。


 ロセイユ陛下の意図は、今ならわたくしにも分かります。

 貴族政治の腐敗――それを解決したいのです。

 フランソワ家と違いアシャール家は後ろ暗いことが沢山あったようで、それを追求されないよう蜥蜴の尻尾切りを繰り返した結果、権勢は衰え今や爵位は公爵から侯爵になってしまいました。

 アシャール家の一派が力を大幅に減じたその一件は、ロセイユ陛下が賢王と称される一因ともなりました。


「権勢を取り戻そうとしているクレマン様には、色々と悪い噂がついて回りますが……でも、流石にこれは誤解だと思いたいですわ」


 個人的にクレマン様のことは好きになれません。

 クレマン様は貴族であるということをはき違えていると思います。

 でも、同じ貴族として、踏まえるべき最低限の矜恃は共有しているとわたくしは信じたいのでした。


「それにしても……貴族の腐敗のなんて末期的なこと」


 話はアシャール侯爵家だけにとどまりません。

 学院の講義だけでは分かりませんでしたが、多くの識者や論客が今のバウアーにおける貴族政治の問題点を指摘していました。

 わたくしがそれを知ったのは、学院の外部から取り寄せた様々な書物や新聞記事からでした。

 いくらロセイユ陛下が現状を打破しようとあがいていらっしゃっても、王立学院はまだまだ貴族のためのもの。

 そこで行われている教育の内容が保守的に偏るのは必然でした。


「まさかこれほどまでに酷いなんて」


 わたくしはお父様という理想の貴族を見て育ったので、貴族は皆、高潔な精神と使命感を持って職責を果たしていると信じ込んでいました。

 ですが、実際の貴族たちにそのような者たちはもうそれほど残っていないようです。

 いつだったか、平民運動に関わった学生が言っていた台詞を思い出します。


 ――王侯貴族なんて、平民から税を吸い上げるだけの寄生虫だ、って。


 今思い出してもはらわたが煮えくり返るような暴言です。

 でも、現実を直視すれば、彼の言ったことはあながち間違いでもないことが分かってきてしまいます。


「どうしてこんなことに……」


 ある学者はこう指摘しています――貴族政治は長く続きすぎた、と。

 緊張感のない体制は必ず腐敗します。

 貴族たちは貴族同士で権力争いに明け暮れていたものの、貴族制自体に対立勢力が長らく不在だったために、その理念を忘れてしまったのではないか、というのがその学者の考察でした。

 ちなみにこの学説を発表した後、その学者は学会から追放されています。

 今よりももっと貴族の力が強かった前国王の時代の話です。


「……わたくしの身内は……大丈夫ですわよね……?」


 ピピのバルリエ家、ロレッタのクグレット家は今のところ悪い噂を聞きません。

 ですが、バルリエ家は最近、アシャール家との結びつきを強めているようですし、クグレット家に至ってはロレッタ自身がクリストフ様の婚約者です。

 バルリエ男爵やクグレット伯爵に限って万が一はないと思いますが、力関係でいくらでも在り方を歪められてしまうのが貴族というもの。

 今のうちにピピやロレッタにひとこと言っておいた方がいいのでは、と思わなくもありません。


「まさか……お父様も、なんてことはありませんわよね?」


 尊敬するお父様にこのような疑念を持つこと自体、不敬極まりないことだと分かっています。

 ですが、平民の貧困について調べれば調べるほど、貴族たちの腐敗について知れば知るほど、わたくし自身の「当たり前」を疑う必要性を感じるのでした。


 わたくしが暗い気持ちでいると、


「だ~れだ?」

「きゃっ!?」


 脳天気な声と供に、視界が塞がれました。


「ちょっと、レイ! 何をふざけてますの!」

「いやぁ、だって。戻りましたよとお声がけしたのに、クレア様ってばくらーい顔してばかりで反応ないんですもん。寂しくて」

「え……? あ、そうでしたのね……。それは失礼しましたわ」


 レイを無視していたのであれば、非礼はわたくしにあります。

 わたくしは素直に頭を下げました。


「……ホントにどうしたんですか、クレア様。素直に謝るなんてクレア様らしくもない」

「ちょっと、それはどういうことですのよ」

「だって、いつものクレア様だったら――あら、いましたの? くらいは言いそうじゃないですか」

「……あなたの中のわたくしはどれだけ傍若無人なんですのよ」


 とはいえ、否定しきれないのが悔しいところです。


「ちょっと考え事をしていただけですわ」

「どんなことですか?」

「別に何だっていいでしょう」

「つーれーなーいー! クレア様、悩みは共有していきましょう。分かち合えば喜びは二倍、悩みは半分になるんですよ?」


 その言葉は不思議とすとんと胸に納まりました。


「……上手いこと言いますわね」

「昔、友人に教わった言葉です」

「そのご友人にお礼を言わなければなりませんわね。実は――」


 わたくしは胸につかえていたことをレイに話しました。

 クレマン様の疑惑からお父様への疑念に至るまで、洗いざらいです。


「ドル様が腐敗貴族である可能性、ですか」

「お父様に限ってそんなことはあり得ないと思うのですけれど、それを言ったら他の腐敗貴族たちについてだって、思いもしなかったことでしたわ」


 わたくしの言葉に、レイはうーんと少し考え込んで、


「これどう答えるのがいいのかなー。腐敗……腐敗かー。そうと言えばそうかもしれないけど、あれはポーズだしなあ……」


 と、何やら小さい声でぶつぶつ言い始めました。


「なに一人でぶつぶつ言っているんですのよ」

「ああ、すみません。こちらの話です。まあ、ドル様は大丈夫だと思いますよ?」

「何を根拠に?」

「そうですねぇ。根拠はクレア様でしょうか」

「わたくし?」


 わたくしはレイの言いたいことがよく分からず、先を促しました。


「クレア様みたいに性根が真っ直ぐな方をお育てになったドル様が、そんな不正を働くような方とは思えません」

「……」

「よしんば何かしら人様に言えないようなことをしていたとしても、ドル様の場合は必ず何かしらの理由があってのことだと考えた方がいいと思います」

「……随分、お父様を高く買っているんですのね?」

「そりゃあ、共犯shげふんげふん、クレア様のお父様ですから」


 レイは何か言いかけましたが、結局、そう言ってくれました。


「……そうですわよね。お父様が私利私欲で何か不正を働くことなんてありえませんわよね」

「ちなみに私は私利私欲百パーセントでクレア様にお仕えしています」

「知ってますわよ。お黙り」

「つれなーい、そこも好きー!」


 レイはそれからもふざけ倒していましたが、彼女とのやり取りのお陰で迷いが吹っ切れたことも確かです。

 悔しいですが、レイは非常にいい話し相手なのでした。


「それにしても、この新聞記事ちょっと妙ですよね」

「妙? どこがですの?」

「だって、ここまで調べ上げているなら、記者や新聞社は下手人がクレマン様だと分かっているのでしょう? 名指しですっぱ抜かないはずがないんです」

「あ……」


 言われて見れば、確かに妙です。


「確たる証拠がなくて、ぼかさざるをえなかったのではなくて?」

「それなら確たる証拠が出るまで記事自体を出しませんよ。貴族が幅を利かせている王国において、こういう記事は一撃で相手を仕留めないと自分たちがやられます」

「……なるほど」


 実際、記者が行方不明になっていることからも、レイの推論は裏付けられていました。


「ならあなたは、この記事のことをどう思って?」

「うーん、今の段階ではなんとも。でも何となく、この記事自体が作られたものっていう感じがしますね」

「作られたもの……」


 意図は分からないですけれどね、とレイは付け足しました。


「まあ、分からないことをいくら考えても仕方ないです。まずは着実に出来ることから始めましょうよ」

「そうですわね。教会へは?」

「ええ、先触れを出しておきました。明日辺り、訪ねてみましょう」

「よくってよ」


 わたくしはわたくしに出来ることをするしかありません。

 無闇に思い悩むよりも、まずは行動です。


「……わたくし、あなたに似てきたかも知れませんわね」

「へ?」

「何でもありませんわよ」


 レイは呆けたような顔をしていましたが、その間抜け面があんまりにも安心する――なんてことは、悔しいので本人には絶対に言えないのでした。

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