第56話 義務と責任

「クレアちゃん、飴ちょうだーい」

「はいはい」


 寮の自室。

 カトリーヌがいつものようにわたくしのベッドで寝っ転がりながら、好物の飴を要求しています。

 わたくしは考え事をしていたので気もそぞろでしたがそれは隠して、もう随分と中身の少なくなったキャンディポットからリコリスの飴を渡しました。

 ありがと、と言いつつカトリーヌは小説を読みふけっています。

 わたくしは机に戻り、また物思いに沈もうとしました。


「クレアちゃん、双子エスケープの三巻取ってー」

「もう、仕方ありませんわね」

「……クレアちゃん、肩揉んでー」

「これっきりですわよ」

「……」


 ベッドに移ってカトリーヌの華奢な肩を揉みながら、思い返すのはユークレッドの町の出来事でした。


「クレアちゃん、正座」

「え?」

「何があったの? 言って」

「ど、どうしましたのよ、急に」


 いつの間にかカトリーヌは身体を起こしていました。

 真面目な顔でわたくしの目をじっと見つめています。

 その時になってわたくしは自分が何をしているか、今更ながらに気がつきました。


「クレアちゃんがこんなにほいほいウチの言うこと聞いてくれるわけがないもん。絶対、何かあったに決まってるー」

「そ、そんなこと……」

「なーい?」

「……」


 どうやら、彼女に隠し通すのは無理のようです。

 わたくしは大人しく白状することにしました。


「……わたくし、貧困というものを知りましたのよ」

「……続けて?」


 わたくしの言葉にカトリーヌは一瞬驚いたような顔をしましたが、すぐに先を促してきました。


「これまでも、その言葉自体は知っていましたし、理解したつもりでいました」

「うん」

「でも実際は、わたくしはそれを我がこととしてはちゃんと理解出来ていなかったことに気がついたのです」


 わたくしはユークレッドの町で起こった出来事について、カトリーヌに打ち明けました。

 別荘への帰省。

 レイの家でのショック。

 アンデッド騒ぎ。

 幽霊船での決戦。

 事の真相は闇に葬ったこと。

 それを口外しないことも言い含めて。


「事件後もユークレッドの町をレイと歩きました。そうしたら、これまで見えていなかったことが見えるようになったのです」


 親がいない子どもたちが寄り集まって生きている孤児院。

 高齢の体に鞭打ちながら必死に働いている農夫。

 腕の先を失って無気力に座り込んでいる、廃業した元冒険者。


 救いの手が伸ばされることもなく、それでも彼らは懸命に生きようとしていました。


「平民運動の際、わたくしは路上で物乞いをしている子どもを見かけました。その時わたくしは……子どもたちを汚らわしいと思ってしまいました」

「後悔してるの?」

「ええ。なんと傲慢だったのだろう、と。何て世間知らずだったのだろう、と今なら思います」


 わたくしは彼らがああなったのは自己責任だろうと思っていたのです。

 彼らはなるべくしてああなった、怠けているから貧しいのだと。


 でも、そうではない、そうではないのです。


「レイが色々説明してくれました。望んで貧しくなる者などいない、貧困は誰もが"陥る"ものなのだと」


 孤児院の子どもたちが親を失ったことに、何の責任があるでしょう。

 農夫のように歳を重ねるのは人間なら避けられないことです。

 怪我をして仕事を続けられなくなったあの冒険者に、何の咎があるでしょうか。


 わたくしはそんな罪なき弱者たちを……切り捨てることしかしていませんでした。


「わたくしは……自分が恥ずかしいですわ」

「クレアちゃん……」


 カトリーヌが手を握ってくれました。

 温かいその手の温もりで、わたくしは少しだけ気持ちを落ち着かせることが出来ました。


「落ち込んでばかりはいられません。わたくしは間違っていました。だから、正さなければなりません」

「どうするのー?」

「王国から貧困をなくしたいと思います」

「……それは……とても難しいと思うよー?」

「それでもやらなければならないのです。フランソワ家の……ドル=フランソワとミリア=フランソワの娘として」


 レーネが思い出させてくれたお母様の言葉があります。


『いいですか、クレア? 貴族たる者、理想を諦め現実に甘んじるようではいけませんよ? フランソワ家の者であるならば、常に理想を掲げて自らそれを実践して行きなさい』


 貧困の深刻さを知った今、問題の解決が簡単であるとは思いません。

 でも、だからと言ってそこから目を背けていては、フランソワ家の息女の名が廃ります。

 わたくしは貴族です。

 貴族であるならば、平民たちの生活には責任があります。

 彼ら彼女らがよりよい人生を送ることが出来るようにするのが、わたくしに課せられた使命であるはずです。


 そこを忘れてしまえば、わたくしはあのクレマン様となんら変わらない存在になってしまうでしょう。

 平民を――弱者をただ虐げ、搾取するだけの存在に。

 それだけは絶対に嫌だとわたくしは思います。


「クレアちゃん……成長したねー」

「……え?」


 ふと気付くと、カトリーヌがとても穏やかな表情でわたくしのことを見つめていました。

 まるで新しいことが出来るようになった娘を見る母親のような顔でした。


「ちょっとカトリーヌ、その生暖かい視線はなんですのよ」

「いやーだって、あのクレアちゃんがさー」


 わたくしが何だって言うんですのよ。


「レイちゃんのお陰もあるんだろうけど、貴族の身でそれだけのことを考えられる人は、今すごく少ないと思うよー?」

「そ、そうかしら……」

「そうだよー。でもそれは、クレアちゃんの仲間が少ないっていうことでもあるよー?」


 貴族は腐敗している、と平民運動家たちが言っていた意味が、今では少しだけ分かります。


「なるほど……いよいよ難しい問題ということですわね」

「たじろいじゃうー?」

「むしろ燃えますわ」

「それでこそクレアちゃんだよー」


 そう言うと、カトリーヌは急に抱きついてきました。


「ちょっとカトリーヌ、暑苦しいですわ」

「えへへ、だって嬉しいんだもーん。クレアちゃんがまた一つ賢くなってー」

「わたくしは前から賢いですわよ!」

「知ってるー。でも、今はもっと聡明だよー」

「お、おだてたって何も出ませんわよ!」

「ううん、本心」


 そこまで言うと、カトリーヌは身体を離しました。

 そして、


「クレアちゃんなら出来るよ、きっと。応援してる」


 そう言って破顔するのでした。


「ふん、当たり前ですわ。このわたくしを誰だと思っていますの」

「そういうとこは変わらないで欲しいなー」

「どういう所ですのよ!?」

「そういうとこー」

「むきー!」


 などとじゃれながら、わたくしはカトリーヌのことについて考えていました。


(きっと……今まで歯がゆい思いをさせていましたのね、わたくしは)


 カトリーヌは元平民です。

 彼女からすれば、わたくしがようやく気がついたようなことはずっと前から自明だったに違いないのです。

 わたくしの未熟さ、傲慢さを、彼女が気がつかないはずがないのでした。


(それでも、カトリーヌはわたくしを見限らなかった)


 わたくしはそれに応えなければならない、と思いました。


「カトリーヌ」

「うん?」

「見ていてちょうだいね」

「もちろんだよー」


 やるべきことはたくさんある。

 まずは現状を知ることから始めよう、とわたくしは明日からの算段をしながら、カトリーヌに笑い返すのでした。

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