第55話 手段と信念

 ※ピピ=バルリエ視点のお話です。


「~~~~~~っ!」

「はい、そこまで。十分間休憩です、ピピ様」

「はあっ! ……はあっ、はあっ、はあっ……」


 空気の振動を制御する魔法を広範囲に拡大し続けること十数分。

 ミシャの合図で制御を打ち切ると、途端に疲労感が襲ってきた。

 身体を激しく動かしたわけでもないのに、滝のように汗が流れ落ちる。


「ピピ様、これを」

「……はぁ、はぁ……。ありがとう、ミシャ」


 ミシャが渡してくれたタオルで汗を拭いながら、私はスカートが汚れるのも構わずに地面に腰を下ろした。


 ここはユール家の庭である。

 ユール家は没落貴族なので庭は広いけれど、花壇などは置かれていない。

 整える職人を雇うお金がないのだろう。


 そんなユール家のだだっ広い庭で、私は魔法の稽古をミシャにつけて貰っていた。


「だいぶ広く風魔法を広げられるようになって来ましたね」

「ええ、ミシャのアドバイスのお陰よ。本当にありがとう」

「いえ、ユール家も助かっていますから。私などが家庭教師なんて」


 そう。

 私はミシャに魔法の家庭教師を頼んだのだ。

 私の魔法適性は風の中適性。

 今まではオーソドックスな風の刃を中心にした戦闘スタイルだったのだが、これだけではダメだと思った。


(ロレッタにあんな顔、もう二度とさせたくない)


 浜辺での戦いはロレッタにとってだけでなく、私にとっても衝撃的な出来事だった。

 私はロレッタの護衛として動いていたけれど、本当はロレッタの方がずっと強い。

 私にはロレッタのように大規模な兵を指揮する能力も無いので、せめてロレッタの足手まといにならないように、自分の魔法を磨いておこうと思ったのだ。


(だって……ロレッタ、泣いてた)


 自分の力が及ばず、兵たちを死なせてしまったことを心から悔やんでいた。

 もしも私にもっと力があったなら、ロレッタにあんな顔をさせることはなかったかもしれない。

 仮にあの場にいたのが私ではなくミシャだったら、実際、戦闘はもっと楽になっていただろう。


 それほどまでに、ミシャのセイレーンは凄い。

 教えを請う際に改めて見せて貰ったが、とにかく圧倒的だった。

 特筆すべきはその効果範囲だ。

 セイレーンは空気の伝播を利用して発動するため、空気さえあれば魔力の及ぶ限り範囲を広げることが出来る。

 彼女があの浜辺にいたならば、恐らくアンデッドを二桁単位で殲滅出来ていたことだろう。


(ミシャと同じ事が出来るとは思わないけれど……せめてもっと強くなりたい)


 そう思って、私はミシャに教えを請うことを決めたのだ。


「よし、休憩終わり。次は何をすればいい?」

「そうですね……。範囲はだいぶ広がったのでこれは今後も続けて頂くとして、次は制御の精密さでしょうか」

「ふむふむ」

「的を用意するので、私が指した的だけに風の刃を当てて下さい」

「分かった」


 ミシャは学院でも魔法の授業で使っているような的を庭の反対側に並べた。

 距離はおよそ五十メートルほど。

 今の私にとって、遠くもないが近くもない距離だ。


「一番」

「えいっ!」

「四番」

「はあっ!」

「九番」

「せいっ!」

「二番」

「たあっ!」


 ミシャの指示に従い、次々と的に風で作った刃を当てていく。


「次です。二番と八番」

「やあっ!」

「四番と十番」

「とりゃあっ!」

「三番と五番」

「うりゃあっ!」


 段々と要求が難しくなっていくので、私は必死でそれについていく。

 だが、指示される的の数が三枚になると、私は要求通りに的に当てることがほとんど出来なくなってしまった。


「課題は制御力のようですね」

「はあっ……はあっ……。うん……そうみたい……」


 魔力の効果範囲を広げるのは比較的スムーズにステップアップ出来た。

 でも、制御力の方はかなり難しく感じる。

 試しにミシャにお手本を見せて貰ったが、彼女は三個どころか一個から十個までのランダムな指定であっても、適確に的を射貫いていた。


「凄い……」

「これでも特待生枠での入学ですから」


 ミシャの魔法が凄いことは知っていたつもりだけれど、ここまで露骨に自分と差を見せつけられるとやっぱり凹む。


「制御力をつけるいい練習方法はない?」

「そうですね……。ないことはないのですが……」

「なに? 教えて!」


 私の催促にミシャは少し躊躇いを見せた。


「何か問題があるの?」

「ええと、問題というか、信念や価値観の問題と申しますか」

「とりあえず、言ってみてよ。採用するかどうかは私が判断するから」

「……そうですね。楽器を使うというのはどうでしょう?」


 楽器?


「ピピ様のヴァイオリンの腕前は存じています。ヴァカンス直前のコンサートで、音楽会への招待状を獲得されましたよね?」

「ええ」


 学院の創立記念祭でロレッタが獲得したように、私もまた秋の音楽祭へ招待されることが決まった。

 決まった日はロレッタと一緒に飛び上がって喜んだものである。


「つまり、ピピ様にとってヴァイオリンはもう、身体の一部と言っても過言でないほどに精密に動かすことが出来る楽器なわけです」

「それと魔法がどう結びつくの?」

「魔道具の一部には、楽器型のものもあるのです」

「!」


 それはつまり――。


「楽器を武器として使う……そういうことね?」

「はい」


 合点がいった。

 魔法の制御が難しいのは、イメージを反映させる作業が曖昧で抽象的だからだ。

 もしそこを具体化出来るのであれば、かなりの改善が期待出来るだろう。

 まして私にとってヴァイオリンは手足よりも繊細に操れる対象だ。

 その効果は計り知れない。


「問題は、それをピピ様ご自身が許容できるか、ということなのです」

「……そうね」


 私にとってヴァイオリンが持つ意味は特別だ。

 音を魔法に利用するくらいは許容範囲だと思えるが、ヴァイオリンの演奏を戦いに用いるとなるとかなり抵抗感がある。

 その辺りを割り切れる人もたくさんいるだろうが、私にとってヴァイオリンはなんというか、荒事の対極にある存在なのだ。


 これは決して綺麗事ではない。

 感性というのは演奏に如実に表れる。

 ヴァイオリンで戦うことを許容したときに、演奏の方にどんな影響が現れるか分からない。

 念話を発明したといわれる有名な風の魔法使いは元々著名な歌手でもあったのだが、音声を魔法に使ったことで歌えなくなってしまったという逸話が残っている。


「個人的にはオススメしません。芸術と争い事は分けておくのが無難です」

「……そうね、私もそう思う」

「なら別の方法を――」

「思うけど、一応、その方法も教えてくれる? もしもの時に備えておきたいの」

「……分かりました」


 実際に使うかどうかは別として、知識として知っておくことは悪いことではないはずだ。

 私はミシャから楽器魔道具の工房と、楽器で魔法を制御する際のコツを教わった。


「ありがとう、ミシャ」

「いえ、お役に立てているかどうか」

「凄く助かってるわ。少なくとも、前より強くなっている実感があるもの」


 少しでも前進があれば、達成感を感じられる。

 無力感に苛まれていたあの日から比べれば、格段の進歩だ。


「ピピ様は本当にロレッタ様のことがお好きなんですね」

「……何よ、悪い?」


 苦笑するミシャに向かって、私は悪態をついた。

 彼女には教えを請うに当たって、きっかけとなった出来事や動機について打ち明けている。

 そうでなければ、私の切実さが伝わらないと思ったからだ。


「いえ、全く。むしろ、羨ましく思います」

「あなたはどうなの、ミシャ? ユー様のために強くなろうとは思わないの?」

「……」


 ミシャは何も答えずに苦笑するだけだった。

 私が打ち明けたからと言って、彼女も心の内を明かさなければならないという道理はない。

 でも、何となく面白くなかった。


「まあ、いいわ。練習を続けましょう」

「はい」


 私はまた魔法の効果範囲を広げる練習を始めた。

 目を閉じて集中する。


「……ピピ様もレイも、羨ましいです」


 そんな呟きが聞こえた気がしたが、それは私の気のせいだったのだろうか。


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