第54話 それぞれの死の重さ

 幽霊船内部に突入したわたくしたちの前に立ち塞がったのは、レイの幼馴染のルイでした。

 帝国に唆されたのでしょう。

 生きながらアンデットと化した彼を、レイの策によって無数の銀の剣が貫きます。

 何者に誑かされたか知りませんが、大切な人を裏切るなんて愚かなことを――などと思ったわたくしでしたが、


「……ありがとう。あぁ……。あいつら、金返さなかったこと、恨むかなあ……」


 彼の最期の言葉に、私の頭はしんと冷えたのでした。


 ◆◇◆◇◆


「本当に行くんですか、クレア様?」

「当たり前でしょう。わたくしたちが伝えないで、他の誰が伝えますのよ」


 気乗りしない様子のレイを引き連れてわたくしが向かっているのは、幽霊船騒動の黒幕だったルイの実家でした。

 ルイがつけ込まれた弱みとなった、病床の母親がいるはずです。

 彼の最期を、私は彼女に伝える義務があると思いました。


 確かにルイがしたことは間違っていました。

 帝国に踊らされていたとはいえ、彼のしたことで犠牲者が出ています。

 でも、わたくしはだからと言って、ルイに情状酌量の余地がないとは思えません。

 母親の命を救いたい――その思いは私には痛いほど分かります。

 お母様が事故に遭った時、もしもわたくしに選択の余地があったなら――帝国に魂を売り渡すことで、お母様の命が助かると言われたなら、わたくしは確実にその誘いに乗ったことでしょう。


「彼の死は、いずれ誰かが伝えますよ。聞けばルイのお母さんはまだ病状が完治してないとか。時間をおいた方がいいと思いません?」

「誰か、ではダメですのよ。母を思い、最後は仲間に謝罪を口にして逝ったあの男性のことを、看取ったわたくしたちが伝えないでどうするんですの」


 そう言うと、レイは何故か苦い顔をして、


「……クレア様は貴族ですね」

「? どういうことですの?」

「いえ、分からなければいいんです」


 この時、レイが何を言わんとしていたのか、わたくしが悟るのはもう少し先のことです。


 ルイの自宅はユークレッドの町のはずれにひっそりと建っていました。

 平民基準でもあまり裕福とは言えそうもない小さな家で、建物のあちこちに傷みが見られました。

 手入れする人がいないのか、庭も荒れ放題です。


 そんな様子を横目で見ながら、わたくしはドアをノックしました。

 入るように促されたので、わたくしとレイはドアをくぐりました。


「まあまあ、レイちゃん。お久しぶりね」


 レイの姿を認めると、ルイの母親――オフリアさんは柔和な笑顔を浮かべました。

 まだ病が完治していないらしいというレイの話は本当のようで、血色が少し悪く手足も枯れ木のように痩せ細っていました。


 ちなみにオフリアさんを驚かせないよう、レレアは連れてきていません。

 ギルドにいる友人の手伝いらしいメルさんにくっついて、レレアは冒険者ギルドです。

 先日の防衛戦で活躍した彼女は冒険者の中でも人気者になっているらしく、彼らの酒盛りに参加しているのだとか。


「横になったままでごめんなさいね。少し体調が優れないの。たいしたことないんだけど……」

「いいえ、おばさま。そのままで結構ですわ」


 咳き込むオフリアさんにわたくしは駆け寄ってそう言いました。

 少しでも楽になるよう、背中をさすります。

 無理をさせてはいけない、と思いました。


「あら、お嬢さんはどなた? レイちゃんのお友だちかしら?」

「いえ、違いま――」

「ええ、そうですわ、おばさま。クレアと申しますの。ルイさんともお友だちでしてよ?」


 わたくしは嘘をつきました。

 貴族であると身分を明かせば、オフリアさんはきっと気を遣うと思ったのです。

 わたくしは彼女ができる限りリラックス出来るよう、努めて柔らかく笑顔を浮かべました。


「まあ、ルイとも? 私に薬を渡してくれたのを最後に、ずいぶん顔を見ていないの。あの子は元気?」


 ぱっと表情を輝かせたオフリアさんの言葉に、わたくしは一瞬凍り付いてしまいました。

 それだけで分かったからです。

 彼女がどれだけルイのことを愛してるかが。

 病床の身でありながら、自分のことよりも彼のことを案じているということが。


 でも、わたくしは伝えなければなりません。

 自分なりの信念に準じて散った、あの優しくも強い男性のことを。


「ルイさんは……お亡くなりになりましたわ」


 わたくしは告げるべき事を、はっきりと告げました。


「そんな……。そんな、嘘でしょう……?」


 オフリアさんは最初冗談だと思ったのか、苦笑してわたくしの言葉を拒絶しました。

 でもわたくしの表情から、それが厳然たる事実だということをやがて認識したようでした。

 しばらく、沈黙が流れました。

 それは長いようにも短いようにも感じられましたが、母親が息子の死を受け入れるにはあまりにも短い時間だったでしょう。


「……あの子は……どうして死んでしまったの……?」


 オフリアさんは今にも消え入りそうな声で、それでもなんとかそれだけ問いかけてきました。


「ルイさんは――」


 わたくしは一瞬、せめて母親には真実を伝えるべきか、とも思ったのですが、オフリアさんの様子を見て即座に考え直しました。


「ルイさんは、町を襲った幽霊船を退治するために、仲間を守って亡くなりました」


 わたくしが口にしたのは、今回の件の真相を隠蔽するカバーストーリーです。

 レイは大反対しましたが、わたくしはこの筋書きで行くことを押し通しました。

 真相を知る者は、レイとミシャとわたくしのみ。

 お父様は何かしら気付いている様子でしたが、報告した時には「そうか」と言われただけで、深く聞かれはしませんでした。


「ルイさんはとても勇敢でした。彼がいなければ、この町に甚大な被害が出たでしょう」


 そう言って、わたくしはオフリアさんの手を握りました。

 細くて弱々しい手は震えていました。

 わたくしは彼女が息子の死に誇りを持てることを祈って続けます。


「ルイさんは、この町を救った英雄です」


 わたくしがそう言うと、オフリアさんはしばらく、表情の読めない呆然としたような、何かを考えているような顔をしました。


「そう……、そう……。泣き虫だったあの子が、そんな立派なことをしたの……」


 オフリアさんはやがて微笑みを浮かべました。

 わたくしはこれでルイも浮かばれる、と思いました。


 でも、それは大いなる間違いだったのです。


「でも……それでも、泣き虫のままでもいいから……私の元に帰ってきて欲しかったわ」


 オフリアさんはそう吐露すると、嗚咽をかみ殺して泣き続けました。


◆◇◆◇◆


「平民の死は貴族の死とは違うのですわね」


 数日後。

 ルイの葬儀の帰り道、わたくしは弱音を吐くようにそうこぼしました。


「どんなところが違うとお感じになりましたか?」


 わたくしが落ち込んでいることを察してくれているのでしょうか。

 レイは穏やかな口調でそう聞いてきました。


「貴族は戦で討ち死にしたら盛大に弔われますが、ルイは実家の小さな庭に埋められて、粗末な墓標と小さな花束だけ。あまりにも悲しすぎますわ」


 貴族と平民では死の意味すら違うのか、と葬儀の間中、わたくしは愕然とした気持ちでいました。


「ルイはまだ恵まれている方です。お墓があるだけましなんですよ。もっと貧しい平民や行き倒れは、共同埋葬場所に埋められて終わりです」

「……」


 レイは厳しい現実を語りました。

 それは葬儀ではない、とわたくしは思いました。

 それはもう、ただの「処理」ではありませんか。


「死ぬことに誉れを見いだすのは貴族の特権だと私は思います。平民の中にもいないことはないですが、多くの場合、死は悲しくて惨めなものです」

「……?」


 わたくしはそこで初めて、レイがわたくしにではなく、自分自身に言い聞かせているようであることに気がつきました。


「レイ、あなたどうかしましたの? 何やら落ち込んでいるように見えますわよ?」

「……いえ、全然。帰ったらクレア様でどう遊ぼうか、妄想が捗っていただけで――」

「誤魔化すのはおやめなさい。そろそろあなたとも短くないつきあいですわ。本気かそうでないかの区別くらいつきますのよ」

「……すみません」


 レイはふうっと一つ大きく息を吐くと、ゆっくり話し始めた。


「私、ルイのこと何とも思っていませんでした。言い寄られていたときも、戦った時も、彼を殺した時でさえも」

「それが?」

「……初めて、人を殺しました」

「……!」

「ルイがしたことが許されるとは思いません。でも、その命を断ち切って、オフリアさんをあんなに泣かせたのは、紛れもない私なんです」


 わたくしはレイが弱音を吐く所を久しぶりに見ました。

 お姉様とのいざこざ以来のことではないでしょうか。


「レイ……」

「ルイ、最期笑ってました。心残りだって沢山あったはずなんです。お母さんのこと、仲間のこと、これからのこと――でも、私が終わらせてしまいました……!」

「レイ」


 わたくしは堪らなくなって、彼女を抱き寄せました。

 抱きしめると、彼女は震えていました。


「レイ、よくお聞きなさい」

「……はい」

「まず、ルイを殺めたのはあなた一人じゃあありません。わたくしとミシャもですわ。だから、あなた一人で何でも背負い込もうとするのはおよしなさい」

「でも――!」

「わたくしたちがしたことは、スティレットですわ」

「……スティレット?」


 スティレット――「慈悲の一撃」との異名を持つその剣は、瀕死の相手を楽にするのに使われたと言います。


「カンタレラを服用した彼は、遅かれ早かれ人の身ではなくなっていました。それでも、ルイは最期に母と友人のことを気に掛けながら死ねた。人である内に死ねたのです」


 人を殺めたことを美化するつもりはありませんが、あれは介錯であったとわたくしは思います。


「……そうでしょうか」

「ええ。そう考えても自分のことが許せないのであれば、彼のことを忘れないことです」

「忘れない?」

「そうですわ。ルイという人がいたこと。あなたを慕い、母親を愛し、仲間を気遣う優しい男性がいたことを、ずっと覚えていましょう」

「……」

「そして、彼の命を摘み取ってしまったことも。あなたの罪、わたくしが半分引き受けてあげますわ。償いましょう。わたくしたちが死ぬまで」

「……クレア様」


 レイは泣いてはいませんでした。

 でも、涙を見せずとも、彼女が深く後悔しルイの死を悼んでいることは分かりました。

 わたくしはレイを抱きしめながら、彼女にもこんな弱い部分があるのだということを感じていました。


 この日、わたくしたちは一つの罪を二人で分かち合うことになったのでした。


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