第51話 痛感
「それじゃあ、クレア様のご来訪を祝して……乾杯!」
「乾杯!」
「……乾杯」
「ありがとうございますわ」
メルさんの音頭で果実水の入ったコップで乾杯し、夕飯が始まりました。
彼女が腕によりを掛けたという料理の数々がテーブルに並んでいます。
焼きたてのパン、鶏肉の香草焼き、肉団子と野菜のスープ、川の水で冷やした果物がいくつか。
わたくしの基準だと少々物足りない献立ですが、恐らく平民にとってはご馳走なのでしょう。
「クレア様、どんどん食べて下さいね」
「え、ええ……」
喜色満面のメルさんにそう進められましたが、料理に手を伸ばすのには少し勇気がいりました。
「……これ、無理強いするんじゃない。クレア様、お口に合わないものは、無理して召し上がらなくても結構ですから」
レイの父――バンさんがわたくしの内心を見透かしたように取りなしてくれました。
バンさんは大柄な男性で、あまり笑わず愛想は良くないタイプのようですが、実直で誠実そうな印象です。
内心の心配に気付かれたかと思い、わたくしは慌てました。
「いえ、頂きますわ」
お肉ならばそれほどハズレはないだろうと思い、わたくしは香草焼きにフォークを伸ばしました。
大皿にどんと置かれたそれを切り分けて自分の取り皿に載せます。
一見、香ばしく焼き上げられているように見えました。
フォークで一口食べてみます。
(……う……)
不味いと言うほど不味くはありません。
ですが、決して美味しいとは言えませんでした。
香草の強い香りの下には肉の生臭さが残ってしまっています。
恐らく、締めてから時間の経った肉なのでしょう。
普段食べている鶏肉はその日の朝に締めた新鮮なものばかりなので、この違いはかなり堪えました。
塩加減もかなり薄いです。
砂糖が高価なことは当たり前ですが、平民にとっては塩も貴重なものなのかもしれません。
ですが、まさかそうと言うわけにはいきません。
「……美味しいですわ」
わたくしはそういって笑って見せました。
メルさんが嬉しそうに笑い返してきます。
「こっちのスープもぜひ召し上がって下さいね。今日は贅沢にコンソメにしましたから」
「ありがとうございます」
次に進められた肉団子のスープも、申し訳ないとは思いながら、わたくしの口には合いませんでした。
コンソメスープだと言われましたが、恐らく使っている材料があまりよくないのでしょう。
スープを澄み渡らせる作業も丁寧さが足りません。
ブルーメでこれをコンソメスープだと名乗ったりしたら、その料理人はその日の内にクビに違いありません。
ですが、わたくしは笑顔で美味しいと感想を送りつつ、全ての料理を口にしました。
正直、苦行でした。
料理一つでこんなに差があるなんて。
私が困っているのを察したのか、レレアがわたくしの手にすり寄ってきておねだりをしてくれました。
「あら、レレア。欲しいんですの?」
「あらあらあら。レレアちゃん、私のはいかが?」
メルさんの差し出した肉切れにはぷいっと顔をそむけるレレア。
「あー。レレアはクレア様の食べているものを欲しがるんだよ、母さん。クレア様、申し訳ありませんが」
「よくってよ。この子もわたくしの大切な友人ですから」
などと言いつつ、わたくしは食べられないものはレレアに食べてもらいました。
ナイスですわレレア!
「あらあらあらあら……? あまりフォークが進んでいらっしゃらないですね?」
口では美味しいと言いつつも、わたくしはあまり量を食べることが出来ませんでした。
やはり、口に合わない料理を食べるのは辛かったのです。
でも、メルさんをがっかりさせたくはありませんでした。
きっと、心を込めて作ってくれたのに違いないのですから。
「やっぱり、お口に合わなかったかしら……?」
「違うよ、お母さん。クレア様は元々食が細いの。クレア様、そろそろ果物はいかがですか? 取れたてで美味しいですよ」
レイが果物を勧めてくれました。
確かに果物ならば、普段わたくしが口にしているものと、それほど大きく味は違わないかもしれません。
「そうさせて頂きますわ。ありがとう、レイ」
わたくしは救われた気持ちでオレンジに手を伸ばし、一切れ食べてみました。
少し甘味は控えめでしたが、これなら十分に食べられます。
わたくしは果物で空腹を満たし、どうにか夕食を乗り切りました。
食後のお茶(これも出がらしのような薄さでした)を飲みながら、メルさんとバンさんに学院のことを話しました。
レイは本当に些細なことですらよく覚えていて、それを二人に面白おかしく言って聞かせました。
「それで、その時クレア様の怯えた顔と言ったら――!」
「お、怯えていませんわよ!」
「あらあらあらあら。クレア様はお化けが苦手なのですね」
学院祭の時にお化け屋敷に入った時のことをレイが話すと、メルさんはわたくしに生暖かい視線を向けてきました。
バンさんは黙って話に耳を傾けています。
「でも、そうすると、海には近づかない方がいいかもしれませんね」
「? どうしてですの?」
海が近いと聞いていたので泳ぐ機会もあるかもしれない、と新作の水着を用意していたのですが。
「……最近、海岸沿いでアンデッドが目撃されているらしい」
「お陰で漁師さんたちが困っているの」
バンさんとメルさんの話によるとこういうことです。
一週間ほど前から、海岸沿いにアンデッドが出没するようになったそうなのです。
数こそ多くないものの、それでも魔物は戦闘力のない一般人にとっては十分過ぎる脅威です。
今のところ町の自警団が数にものを言わせて駆除しているそうですが、それでもだんだんと対処しきれなくなっているとか。
「それなら、わたくしたちが退治して差し上げますわ」
話を聞いたわたくしは貴族としての義務感から、二人にそう宣言しました。
「まあまあまあまあ。でも、危険ですし、クレア様はお化けが苦手なんじゃありませんか?」
「アンデッドは魔物ですわ。お化けではありませんもの」
お化けは正体不明の怪異、アンデッドは魔物。
この二つは明確に違います。
「わたくしが来たからには、泥船に乗った気でいるといいですわ!」
「あらあらあらあら。聞きました、あなた? とても助かりますね」
食事では良いところのなかったわたくしなので、ここらでレイのご両親にカッコイイ所を見せなくては。
いえ、別に深い意味はありませんけれどね。
「さっそく明日、海岸に出てみますわ。いいですわよね、レイ?」
「私は構いませんよ。水着も着ていきましょう。ついでにクレア様の泳ぎの練習も――」
「しーっ! しーっ!」
言いかけたレイの言葉を、わたくしは慌てて遮りました。
「あらあらあらあら? クレア様、泳ぐのが苦手なんですか?」
「そ、そんなことありませんわよ? 泳げますけれど、もっと上手になりたい、というだけですの」
「それは素晴らしいですね。レイはこの町で育ちましたからお役に立てると思います。レイ、しっかりお教えするのよ?」
「うん」
慌てて誤魔化したわたくしの言葉を、メルさんは全く疑っていません。
本当にこの方、このレイの母親ですの?
純朴すぎると思うのですけれど。
「……もうこんな時間か。クレア様。もうお休みになって下さい」
「あらあらあらあら。楽しい時間はあっという間ね」
柱時計を見たバンさんが宴の終わりを促してきました。
「そうですわね。お風呂に入って休むことにしますわ」
「……む」
「ごめんなさいね、クレア様。うちにはお風呂はないのですよ」
わたくしは唖然としました。
まさか、お風呂に入れないなんて!
この家に来て何度も痛感しましたが、貴族と平民の生活というのは何から何まで違いすぎますわ。
「あ……。そ、そうですのね。分かりましたわ」
「石けんを持ってきていますから、部屋に戻ったらお拭きします」
「そう……。お願いね、レイ」
何やら微妙な空気のまま、夕飯はお開きとなってしまいました。
◆◇◆◇◆
「……。わたくし、とても恵まれていますのね」
レイに身体を拭いて貰いながら、わたくしは泣き言のようにそうこぼしました。
「やはり、料理は口に合いませんでしたか」
「……レイのお母様には申し訳なかったですけれど……。こんなに違うとは思っていませんでしたわ」
平民にとってはあれが普通――いえ、ご馳走ですらあるのです。
貴族にとっては食べるのが辛いほどのそれが。
「食べ物だけじゃありませんわ。お風呂にも入れないなんて……」
今は夏なので避暑地であるこのユークレッドにいても、それなりに汗はかきます。
それをお風呂で落とせないというのは、かなりの心労でした。
「まあ、貴族と平民は違いますよ」
レイの苦笑したような声が耳に痛いです。
「……そうですわね。それはわたくしも知っていました。でも、理解は出来ていなかったですわ」
こうして実際に平民の生活に触れたことで、ただの知識が初めて理解に変わりました。
「平民運動、というものが以前ありましたわね?」
「はい」
「あの時わたくしは、彼らの主張を馬鹿なこととしか思えませんでしたわ。でも――」
「でも?」
「こんなにも生活水準に違いがあるのなら、貴族を悪く思う者がいても不思議はありませんわね」
王立学院に通う者は貴族と接してその違いを強く感じたでしょう。
平民運動に参加していた彼らの気持ちが、わたくしは少しだけ分かるような気がしました。
しばらく黙ってわたくしの身体を拭き続けていたレイは、濡れタオルを桶に置くとわたくしにパジャマを着せながらこう言いました。
「クレア様は力のある貴族ですよね?」
「そうですわね」
「なら、クレア様が世界を変えていけばいいのではありませんか?」
「世界を……変える……?」
わたくしは最初、レイが何を言っているのか分かりませんでした。
「平民の暮らしが、今より少しでも楽になるような、そんな世界に変えていく……。クレア様なら、それは不可能ではないはずです」
「それは……でも……」
世界を変える――口にするのは簡単ですが、実現するのは容易いことではありません。
確かにわたくしは権力者の娘です。
平民や普通の貴族よりも、出来ることの範囲は広いでしょう。
ですが、今日目の当たりにしたこの格差を埋めるというのは、並大抵のことではありません。
立ちはだかる壁の高さにわたくしがおののいていると、レイはパジャマのボタンを留めながらこう言いました。
「もちろん、簡単なことではありませんし、クレア様がしなければならないことでもありません。でも、それがクレア様がしたいことなら――」
「……したいこと……?」
「はい。クレア様がそう望まれるなら、私は全力でクレア様をお手伝いします」
そう口にするレイが浮かべた微笑みには一点の曇りもなく、そしてわたくしなら出来ると心の底から信じているように見えました。
彼女がそう言ってくれると、何だか本当に出来る気がしてくるから不思議です。
落ち込んでいた気持ちが上向いていくのを感じます。
でも、わたくしは照れくさくて、
「平民のくせに生意気を言いますわね」
「クレア様のメイドですから」
「ふん……」
そんな悪態しかつけないのでした。
「さて、もう寝ましょう。明日は海ですよ」
「……そうですわね」
そう言って明かりを消すと、レイは床で寝ようとしました。
わたくしはそれが気に入りませんでした。
「どうなさいました?」
「このベッド、大きいですわね」
嘘です。
わたくしが普段使っている寮の二段ベッドと比べても狭いくらいです。
「そうでしょうか?」
「そうですの! だから……」
「だから?」
「だから……。もう!」
なんで分からないんですのよ!
「あなたもこっちで寝なさいな」
「狭いですよ?」
「いいから!」
レイの腕を引いてベッドに寝かせると、すぐにわたくしも横に入りました。
「おやすみなさいまし!」
「……おやすみなさいませ、クレア様」
全くもう。
鈍感なんですから、全く。
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