第49話 貴族であると言うこと
あっという間に出立の時は来ました。
フランソワ家の別荘までの旅路。
お父様、わたくし、ミシャ、レイの四人は三頭仕立ての馬車に揺られています。
渋るお父様を説得し、どうせ行き先は同じなのだからとレイとミシャを同乗させました。
席順は御者側にレイとわたくし、後ろ側にお父様とミシャという配置です。
親心と貴族としてのけじめから、わたくしを隣に座らせようとするお父様とわたくしとで一悶着ありましたが、最終的にはわたくしが我を通させて貰いました。
「そこで私はこう言ってやったのだよ。貴殿の言うことは絵空事だ。貴族なしに王国の政治は立ちゆかない、とね」
気持ちよさそうに喋っているのはお父様でした。
政治家らしい雄弁な語り口は聞き応えがありますが、いい加減同じ話を繰り返すのはやめて頂きたいですわ。
「お父様。その話はもううかがいましたわ。何度目だと思っていらっしゃいますの」
「うん? そうだったかい? じゃあ、別の話をしよう。これはクレアが生まれたばかりの頃の話なんだが――」
お父様はそう言うと別の話をし始めましたが、これもまたつい数分前に聞いた話です。
レイとミシャもそれには気がついているようで苦笑していますが、彼女たちにお父様を止めることは出来ません。
身分が違いすぎます。
娘であるわたくしであれば止めることも出来るのですが、わたくしとて貴族の令嬢です。
慎み深い淑女として、父親の話をそう何度も遮ったり出来るものではありません。
お父様が話すのは、ほとんどが過去にお父様が上げてきた功績の話でした。
お父様は財務大臣、つまりは国の金庫番です。
他の省庁の地位が低いという訳では決してありませんが、それでもお金の流れを抑えている役職というのは大きな影響力を持ちます。
数いる他の政治家や官僚たちが作る法案や政策も、お父様の協力なしには成立しません。
結果として、お父様はあらゆる法案や政策の成立に関わることになり、それを自分の功績と見なしている節がありました。
実際、そうなのですから、そこについては特別異論もありません。
ですが――。
「クレア。まだ若い……そして女であるお前には分からないだろうが、政治というものは理想では動かないものなのだよ」
「はあ……」
お父様の話の矛先がわたくしに向きました。
女には分からないと言われたことに、少し苛立ちを覚えます。
確かに政治の場の主役は男性貴族たちでしょうけれど、女性には女性の問題意識があるものです。
仮に女性に参政権が認められていたら、きっと有能な女性政治家だっていることでしょう。
とは言え、そんなことを口にすることが出来るはずもなく。
わたくしは助けを求めてレイの方を見ました。
「ドル様。小さい頃のクレア様はどんなでいらしたんですか?」
「それはもう、天使だったとも! この世にクレアほど愛らしい存在などなかったさ!」
すると、レイはお父様が食いつきそうな話題を自ら振って、会話の行き先を上手く逸らしてくれました。
財務大臣であり海千山千の政治家でもあるお父様ですら手玉に取るなんて、わたくしのレイはなんて有能なんですの。
わたくしが少し感動していると、ミシャがレイに言いました。
「あなた、よくドル様相手に直接会話出来るわね……」
「なんで? 未来のお義父さんだよ?」
「あなた、よくドル様相手にそんな冗談が言えるわね……」
レイの大胆な発言にあきれ顔のミシャは、どうやら疲労の色が濃いようでした。
私と違って元々は貴族だったミシャにとって、お父様という存在はやはりプレッシャーなのでしょう。
自らが平民となった今、隣に座っていること自体が恐れ多く、まして言葉を交わすなどもっての外、というのが彼女の本音ではないでしょうか。
「まあ、この私が平民に会話を許すのも、クレアが許せばこそだ。そうでなければ、そもそも馬車を同席するなどありえんよ」
「閣下とクレア様の寛大なお心に感謝いたします」
「うむ」
レイがへり下った言い方をすると、お父様は満足そうに頷いた。
それは平民の姿としてこの上なく正しいですが、わたくしは何故か少し面白くありませんでした。
「しかし、クレア。この平民とずいぶん打ち解けたようではないか。最初はあんなに嫌がっていたのにどういう風の吹き回しだね?」
「……別に今でも打ち解けたつもりはありませんわ」
これは本当です。
もう少し距離感を近づけたいと思ってはいますが、それに成功しているとは思っていません。
恋の天秤の一件からこちら、わたくしたちの間に目立った進展は何もないのです。
「そうかね? クレア、お前は貴族にしては心根が優しすぎる。憐れみをかける相手はよくよく選ぶことだ」
お父様は困った娘を諭すような声色で言いました。
恐らくお父様は親心から言っているのでしょう。
そう思うからこそ、多少煩わしくてもわたくしは異論を唱えずに頷きました。
「さもないと、また同じ過ちを繰り返すことになるからね……あの、裏切り者のオルソーのように」
お父様が、その名前を口にするまでは。
「お父様!」
「長年、取り立ててやったのに、とんでもない売女だったな、あれは。帝国と通じ王国に弓を引くなど、死罪でも生ぬるい」
まったく陛下は甘い、と毒づくお父様の顔に迷いやためらいは一切ありません。
本気で――心の底からそう思っているように聞こえました。
わたくしは喉まで出かかったあらゆる言葉を全て飲み込むのに必死でした。
理性では分かっているのです。
本来であればお父様の言うことが正しく、レーネが犯した罪は死罪でも生ぬるい大罪でしょう。
いかなる事情があれ、レーネたちは許されないことをしました。
でも、わたくしにとってレーネという存在は、そんな綺麗事などどうでもよくなるほど、掛け替えのない大切な存在なのです。
だから、わたくしは耐えました。
お父様がいかに二人を悪し様に言おうと、沈黙を守り続けるつもりでした。
ですが――。
「しかもあの女、実の兄と関係を持っていたとか。そんな者がクレアの側にいたというだけで、クレアを汚されるよう――」
「いいかげんになさって!」
レーネを蔑む言葉の数々に、とうとうわたくしは声を荒げてお父様の言葉を遮りました。
お父様は驚いたような顔をしてこちらを見ています。
わたくしの隣では、レイが頭を抱えていました。
「クレア……。お前が優しいのは分かるが、あんな者の弁護をするのは――」
「お黙りになって、お父様。それ以上、レーネのことを貶めたら、いかにお父様といえども許しませんわよ?」
なおもレーネを攻撃しようとするお父様に、わたくしは怒りを抑えられずそう詰め寄りました。
お父様が気圧されたように一瞬口をつぐみます。
わたくしは続けました。
「確かにレーネがしたことは許されることではありません。それについてはお父様の言う通りですわ。でも、彼女には彼女なりの苦悩と痛みがありましたのよ……」
実の兄を愛してしまったことで、レーネが抱えた苦しみは彼女にしか分かりません。
わたくしだって想像しか出来ないのです。
他人がそれをとやかく言うのはあまりにも身勝手ではありませんか。
「レーネは罰を受けています。もうそれ以上はよして下さい。わたくしは、今でも彼女のことを大切に思っていますの」
レーネはわたくしを裏切りました。
彼女はわたくしよりもランバートを選んだのです。
それでも。
それでも、わたくしにとってレーネは未だに大切な従者――いいえ、姉のような存在なのです。
しかし――。
「クレア、それは貴族の考え方ではない。改めなさい」
お父様は冷たい声でそう言いました。
「貴族とは人を支配するものだ。思いやりとは、人を支配するための方便であって、感傷に浸るためにあるものではない」
「わたくしは感傷に浸ってなど――!」
「なら、裏切った使用人を思いやって得られるものは何だ? 今お前が口にしたことを、他の貴族が聞いたらどうなる?」
「そ、それは――!」
わたくしは言葉に詰まりました。
これでは話になりません。
わたくしは感情にまかせて発言しましたが、お父様の言うことの根底には貴族の論理が働いています。
その二つは多くの場合、相容れません。
そして、わたくしが従うべきはどちらなのかは明らかです。
「クレア。お前が私を失望させないことを祈っている」
「……」
「返事はどうした」
「……」
「クレア」
「……はい」
わたくしはかろうじてお父様に返事をしました。
悔しさに身を引き裂かれるようでしたが、何も言い返すことは出来ません。
だって、わたくしは貴族なのですから。
これまでわたくしがわたくしとして生きてこられたのは、わたくしが貴族だったからです。
なのに、自分が望むときだけ都合良くそれを放り出すというのは、あまりにも無責任と言う他ありません。
正しいのは、お父様です。
わたくしは間違っているのでしょう。
わたくしは力なく俯きました。
その時――。
「……!」
わたくしはちらりとレイに視線を向けました。
レイがお父様からは見えない位置で、わたくしの手を握って来たのです。
その手の柔らかさと温もりに、思わず涙がこぼれそうになりました。
レイが軽く握りこんできたその手を、わたくしは強く握り返しました。
言葉にすることは出来ません。
でも、今のわたくしたちには、言葉がなくても伝わるものが確かにあるのです。
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