第48話 ロレッタの家出(仮)
※ピピ=バルリエ視点のお話です。
「ピピ、ピピ!」
「何ですか、お父様、騒々しい」
バカンスが始まり、実家に戻って来た私が部屋でヴァイオリンのレッスンをしていると、お父様が私を呼ぶ声が聞こえてきた。
手を止めて返事をすると、すぐに扉が開いた。
パトリス=バルリエ男爵――それが私のお父様だ。
お父様はクレア様のご実家であるフランソワ家の一派に属する財務官をしている。
有能だが要領が悪く、頭はいいが度胸がない小心者――お父様にはそんなあまりいいとは言えない評判がつきまとう。
だけど、
『言いたいヤツには言わせておけばいいのさ』
そう言って笑い飛ばせるお父様のことを、私は心から尊敬している。
「ピピ、ピピ、大変なんだよ!」
「どうしたんですか、お父様。ひとまず落ち着いて下さい」
「そうは言ってもだね!?」
「はい、お水をどうぞ」
とは言え、お父様が小心者というのは間違いのない話で、こういう情けない姿はあまり見たくないのが娘心というものである。
「ふう……。ありがとう、ピピ」
「どういたしまして。それで、どうなさったんですか?」
「そうだった。ロレッタちゃんが家出しちゃったんだよ」
「……は?」
思わず間の抜けた声が出てしまった。
ロレッタが……家出……?
「詳しく聞かせて下さい」
「うん。バカンスに入ってもロレッタちゃんがなかなか帰省してこないんで、クグレット伯爵が学院に問い合わせたらしいんだ」
「それで?」
「そうしたら寮の彼女の机の上に……」
――探さないで下さい。
そんな書き置きがあったとか。
「……まあ」
「まあ、じゃないよ、ピピ! ロレッタちゃんの身にもしものことがあったらどうするんだい!?」
「落ち着いて下さい、お父様」
「これが落ち着いていられるかって言うんだ!」
お父様は大変な取り乱しようである。
クグレット家と我がバルリエ家は家族ぐるみの付き合いがある。
お父様にとってロレッタはもう一人の娘も同然なのだ。
その娘が家出したとなれば、それは心中穏やかではいられないだろう。
「ロレッタは貴族です。平民と違ってそれほど自由に動ける立場にありません。自ずと選択肢は限られてきます」
「というと?」
「身につけているものをお金に換えたとしても、せいぜいが数日の活動資金にしかならないでしょう。ましてや貴族は召使いがいることを前提にした生活を送っています」
「ふむふむ?」
「そもそもロレッタはあまりこういうことに器用な方ではありません。恐らく彼女が次に現れるのは――」
その時、部屋をノックする音が聞こえた。
「旦那様、お嬢様、失礼致します」
「セバスチャン、今取り込み中なんだ。後にしてくれ」
「いえ、それが――」
「いいのよ、セバスチャン。彼女が来たのね?」
「はい、左様にございます」
私が促すと、家令のセバスチャンは困ったように頷いた。
「彼女? ……まさか」
「言ったでしょう、選択肢は限られているって」
そう、訪ねて来たのはロレッタだったのだ。
◆◇◆◇◆
「クレア様のバカンスを尾行しようと思うの」
年の近い者同士の方が話を聞き出しやすいだろう、ということで、ひとまずロレッタは私の部屋に通されることになった。
お父様は一刻も早くクグレット家へ連絡を入れたがっていたが、それは待って貰うことにした。
どうしてロレッタが家出なんていうことをしようと思ったのか。
それを聞き出してからでも、連絡は遅くないと思ったのだ。
「クレア様に? どうして?」
「あのレイって子、絶対怪しいじゃない!」
ロレッタの険しい顔を見て、ああ、これはダメだ、と私は思った。
「レイが怪しいのは今に始まったことじゃないでしょ。前から変人じゃないの、あの子は」
「ええ、そうね。でも私が言いたいのはそういう事じゃないの。クレア様の反応、分かるでしょ?」
「ああ……」
ロレッタの言わんとしていることは分かる。
レイという平民がクレア様に言い寄るのは随分前から続いていたことだ。
クレア様はそれを鬱陶しそうにしていた。
でも、ここ最近のクレア様がレイに向ける視線には、別の色が混ざっている。
丁度、目の前の子がクレア様に向けるそれと同じような色が。
「クレア様、絶対あの子に誑かされてる。変な間違いが起きないように、私が守って差し上げなきゃ」
「……そ、そう」
悲愴な顔をして覚悟を決めているロレッタに対して、私はこっそり溜め息をついた。
ロレッタがクレア様を慕っているのは、彼女と仲の良い娘なら誰もが知っていることだった。
気がついていないのはクレア様だけ。
恐らく、レイですら気がついているだろう。
これだけあからさまなのに、クレア様も罪作りな人だ。
「具体的にはどうするの? お金は?」
「とっておきのアクセサリーをいくつか換金したから、お金については心配ない。でも、土地勘がないからユークレッドに着いてからのことは……」
「当たって砕けろなわけね」
「そんな言い方しないでよ」
ロレッタが泣きそうな顔をした。
そんな顔しないの。
「でも、それだけじゃないでしょ、ロレッタ?」
「え?」
「実家に帰りたくないっていうのも、本音の一部なんじゃない?」
「……ピピに隠し事は出来ないか」
「お互い付き合いも長いからね」
苦笑するロレッタに、私も苦笑して見せた。
「うん、認める。正直、今は実家に帰りたくない。今の私はクレア様のことと音楽のことで手一杯だから」
「実家に帰ったら、それどころじゃなくなるもんね」
ロレッタはバウアー初の女性軍人になるという期待が掛けられている。
実家に帰れば、バカンスの間も訓練の毎日になるだろう。
「ワガママだってことは分かってる。でも、クレア様のことも音楽のことも、私にとっては凄く大切なことなんだよ」
「分かってる。ワガママだなんて思わないよ、私は。ロレッタはよくやってるよ」
「……ありがとう」
ロレッタがはにかむように笑った。
「しょうが無いから、クグレットのおじ様には私が話をつけておいてあげる」
「――! ありがとう、ピピ!」
「その代わり!」
「?」
「その代わり、私も一緒に連れて行くこと」
「ピピも来てくれるの?」
ロレッタが母親を見つけた迷子のような顔をした。
私は彼女のこの顔に弱い。
「ロレッタ一人じゃ危なっかしくて。私も私で調べたいことがあるし」
「ありがとう。正直、一人じゃ不安だったんだ」
「いいよ、友だちでしょ」
そう言いながら、何故か胸が少し痛んだ。
どうして……?
「そうと決まったら、クグレット伯爵に連絡だね!」
「うわぁ!?」
扉を開けて飛び込んできたのはお父様だった。
全く、心配性なんだから。
「お父様、立ち聞きは趣味が悪いですよ?」
「そこはそれ、これはこれ! ピピが着いていくなら心配はないと思うけど、伯爵にはちゃんと連絡しておきなさい。心配していたよ」
「……ごめんなさい」
「伯爵には私がちゃんと説明しておきますから、お父様も部屋にお戻り下さいな」
「分かった。でも、ユークレッドに行くなら、きちんと準備をして行くんだよ?」
「もちろんです」
「よろしい」
満足げに頷くと、今度こそお父様も部屋から出て行った。
「パトリス様、相変わらずだね」
「困ったお父様ですわ」
「でも私、パトリス様、好きだな。うちの頑固親父とは大違いだよ」
「そんな風に言うものじゃないって。クグレットのおじ様だっていい人だよ」
「……ごめん」
ロレッタはばつが悪そうに黒髪をかいた。
その後、私はクグレット伯爵に連絡を入れ、ロレッタを一時バルリエ家で面倒を見ること、私は着いているから安心して欲しいことなどを伝えた。
クグレット伯爵は一人娘の家出が相当堪えたと見えて、万事よろしくお願いしますとの返事だった。
「じゃあ、ピピ」
「ええ、ロレッタ」
――行きましょう、ユークレッドへ。
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