第五章 気の利かないレイとわたくし

第46話 出立の前に

 バカンスのためにユークレッドへとたつ数日前、わたくしはレイとともに城下町へとやって来ました。

 何でも出立前にやるべき事があるとかで、わたくしは寮の部屋で待っていろと言われたのですが、無理を言って着いてきたのです。

 どうして、ですって?

 ふ、ふん、ちょっとした気まぐれですわよ。

 決して、ロッド様たちにけしかけられた「あの話」がちらついているとか、そんな浮ついた話じゃないんですからね!


「どこへ行きますの?」


 甲斐甲斐しく日傘を差してくれるレイに向かって、わたくしは素っ気なく問いかけました。

 恋の天秤の一件以降、何となくレイとの距離感を計りかねているわたくしは、ついつい言い方がきつくなってしまうのでした。


「バカンスの前に、ちょっと野暮用を済ませておかないといけないのです」

「野暮用?」

「本当にささいなことですよ。なんというか……厄介ごとを未然に防いでおくというか」

「よく分かりませんわね」


 わたくしが首を傾げていると、レイはくすりと笑いました。

 なんですのよ。

 どうしてただの笑顔にこんなにドキドキしなければなりませんのよ、もう。


「それにしても、どういう風の吹き回しですか? 私の私用についてくるなんて」


 レイに問われ、わたくしはぎくりとしました。


「……別に。特に意味はありませんわ。なんとなく外の風に当たりたかったんですのよ」


 わたくしはわざと愛想なくそう言うと、ぷいっとそっぽを向いて見せました。

 ううう……違うんですのよ、そうじゃなくて、そうじゃなくて!


「でも、クレア様、普段は暑いのは嫌だって、日の当たる場所嫌がるじゃないですか」


 レイの言うことはもっともです。

 これまでのわたくしであれば暑さや日差しを嫌って、「一人で行ってきなさいな」とでも言いそうなものです。

 客観的に見ると、こうしてレイにくっついてくることには違和感しかないのでした。


「い・い・か・ら! あなたはさっさと用向きを済ませなさいな!」

「はあ……」


 わたくしが誤魔化すように先を急がせると、レイは最初こそ怪訝な顔をしていましたが、やがて思い直したように笑顔になりました。

 ……ふう。

 誤魔化せたのかしら?


「それで、どこに行きますの?」

「もうつきますよ。……ここです」


 そう言ってわたくしたちが足を止めたのは、一軒の建物の前でした。

 見たところ商家のようですが、規模はそれほどではありません。

 貴族が使うような上級商家ではなく、どちらかというと平民向けという感じの佇まいでした。


「トゥル商会……? 何か買い物ですの?」

「いえ、そういう訳ではないのです。ここの主人に少し話がありまして」

「ふうん……? まあ、いいですわ。入るなら早く入りますわよ。ここは暑くて敵いませんわ」

「だから学院でお待ち頂ければ――」

「は・や・く!」

「はい」


 また話を蒸し返されそうになったので、わたくしはさっさと建物の中に入ってしまうことにしました。


「いらっしゃいま……せ!? こ、これはこれは、クレア様。このような場所にどのような御用向きで……?」


 人の良さそうな老店主はわたくしのことを知っていたようで、わたくしの姿を見ると慌てたように店の奥から迎えに出て来ました。


「用があるのはわたくしではありませんわ。ほら、レイ。さっさと用事を済ませなさいな」


 二人にそう言うと、わたくしは店の隅にあったソファに腰を沈めました。

 何とはなしに、部屋の中を観察します。

 外から見たとおり、やはりここは平民向けの商家のようです。

 今わたくしが腰掛けているような応接用のソファこそあるものの、内密の商談に対応するような個室があるわけでもないようです。

 これではフランソワ家のような大貴族でなくても、貴族なら落ち着いて商談が出来ません。


「……こんなところに何の用があるのかしら」


 店主と話をするレイの様子からして、どうも二人は顔なじみのようです。

 ただの使用人であり一学生でしかないレイが商人とどのような付き合いがあるのかは知りませんが、商談をしているレイは真剣そのものでした。


「ふふ、なんですのよ、そんな顔も出来るんじゃないですのよ」


 わたくしといる時は緩みきっているレイの表情は、今はキリリとしていてなかなかカッコイイと思えました。

 元々、見目は悪くないのです、彼女は。

 ただ、その言動が残念極まりないだけで。


「それにしても……ずいぶんと打ち解けている様子ですわね」


 時おり談笑を交えて話すその親しげな様子に、わたくしは何となく苛立ちを覚えます。


「異性にそう容易く気を許すものではなくてよ、レイ」


 年齢差こそあれ、そこは男と女。

 何かの拍子に間違いが起きないとも限りません。

 嫉妬などという低俗な感情ではありません。

 レイに変な虫が付いたらいけませんから。

 そう、これは雇い主としての義務感から来る感情です。


「それにしても、レイってば気が利きませんわね」


 このわたくしが暑さを押して出かけようと言っているのですから、もう少しこう……こう……ねえ?

 べ、べべべ、別にデートがどうとかそういうのでなくても、もうちょっとエスコートしてくれるとか。


「そもそも、デートってよく分からないんですのよね」


 もちろん、社交の経験は沢山あるので、貴族同士の交際についてならそれなりに知識はあるつもりです。

 博物館での芸術鑑賞や音楽会での音楽鑑賞、サロンでの食事を兼ねた談笑などはその代表格でしょう。

 ですがそれは貴族同士のお付き合いの話です。

 レイとわたくしは平民と貴族。

 平民と貴族のお付き合いのノウハウなど、聞いたこともありません。


「そう言えば、カトリーヌから借りた本がありましたわね」


 わたくしはそれをポーチから取り出しつつ、昨晩の出来事を思い出していました。


 ◆◇◆◇◆


「平民とどう付き合ったらいいか分からない友だちがいるー?」

「そ、そうなんですのよ」


 わたくしは飽くまで友人の話として、平民との付き合い方が分からない者がいる、とカトリーヌに相談しました。


「……へー、ふーん、ほーう?」

「な、なんですのよ……」


 ベッドの二階ではなく、わたくしのベッドで寝っ転がりながら本を読んでいるカトリーヌは、何故かニヤニヤしています。


「それはクレアちゃんの友だちの話なんだよねー?」

「そ、そうですわ」

「参考までにそのお友だちと相手の特徴を聞いてもいーい?」

「そうですわねぇ」


 わたくしは少し考えて、


「わたくしの友人はそこそこ位の高い貴族ですわ。気が強くて素直になれない、不器用なへそ曲がりですの」

「ふむふむー?」

「相手の子は変わり者ですわね。友人が貴族なことに少しも気後れせず、ぐいぐいくるタイプですわ。友人はその相手に対して最近複雑な気持ちになっているのです」

「クレアちゃんが自分をちゃんと客観視出来てることに驚きだよー」

「友人の話だと言っているでしょう!?」

「……まあ、いいけどさー」


 こほん、とカトリーヌは一つ咳払いして、


「クレアちゃんはあんまり小説とか読まない方?」

「いいえ、そこそこ読みますわよ?」

「でも、読むジャンルに偏りがありそー。恋愛小説はあんまり読まないでしょー?」

「どうして分かったんですの?」

「貴族と平民の身分差のある恋なんて、恋愛小説の王道だもん」

「そうなんですの?」


 この世にはまだまだわたくしの知らないことがありますわね。


「そう言うカトリーヌは何を読んでいますの?」

「これ? これは……ジャンルはなんだろー……。小説には違いないんだけどー」

「ちょっとお貸しなさいな。なになに? 双子エスケープ?」

「あ、ちょっと、クレアちゃん」


 カトリーヌが読んでいた小説は平民姉妹の日常を綴った物語でした。

 ドラマチックな起伏こそ少ないですが、ゆるい姉妹二人のやり取りが妙に味わいのある不思議な小説です。


「返してよ、クレアちゃん。まだ読んでる途中なんだからー」

「この姉妹、なんだか親近感がわきますわ」

「気のせいだと思うから返してよー」

「いえ、しばらくお借りしますわ」

「まだ半分しか読んでないんだよー。横暴だよー」

「野外課題、一緒に行ったことにしてレポート書いて上げますわよ」

「それ二巻だよー。一巻はこれだからこっち持って行きなよー」


 ◆◇◆◇◆


 というわけでここにあるのがその第一巻なのです。


「なるほど、お家デート……そういうのもあるんですのね」


 確かにこれならうるさい外野に邪魔されませんし、レイも妙に気を使わなくて済みますわね。

 良いアイディアかもしれません。


 と、そこでレイと店主の商談が終わったようでした。

 わたくしは本を畳んで立ち上がります。


「用事は終わりまして?」

「ええ、ひとまず。ハンスさん、これで失礼しますね」

「ああ、また来ておくれ」

「クレア様、帰りましょう」

「ごきげんよう」


 わたくしたちは外に出ました。

 レイがすかさず日傘を差してくれます。

 悪くないですわ。


「門限までまだだいぶありますわね。わたくしお腹がすきましたわ」

「寮に帰れば、私が何か作りますよ?」


 それとなく外食していこうと誘ったのに、レイはそのことに全く気付く様子がありません。


「……鈍感」

「はい?」

「何でもありませんわ。はいはい、帰りましょう。帰ればいいんですのよね!」


 何となく面白くなくて、わたくしはレイを置いてつかつかと歩き始めました。


「クレア様、お肌が焼けてしまいます」

「いいんですのよ、そんなこと!」

「よくありません。クレア様の珠のお肌にシミでも出来たらどうするんですか」


 慌てたように言いながら追いついてくるレイを振り返ると、わたくしはこう問いました。


「……そうしたら、わたくしのことを嫌いになるんですの?」

「ありえません」


 即答でした。

 恐らくレイにとってはよく分からない唐突な問いだったに違いありませんのに、その答えに微塵も迷いはありませんでした。


「そう……ふーん……」


 思わず緩みそうになる口元を必死でこらえながら、わたくしは湧き上がる喜びを噛みしめました。

 なのに、


「クレア様、今日はなんか変じゃないですか?」


 レイったら、そんなことを言うのです。


「誰のせいだと思ってますの!」

「えええ……」


 わたくしが思わず言い返すと、レイは何か理不尽なことを言われたような顔をしました。

 全く、顔をしかめたいのはこっちですのに。


「さっさと帰りますわよ! 帰ったらクレームブリュレを作りなさい!」

「はぁ……」


 ひとまず、それで許してあげますわ。


「……でも、せっかくのお出かけでしたのに」

「何か仰いました?」

「レイのバカって言いましたのよ!」


 ◆◇◆◇◆


「それで、クレア様。なんで私の部屋で読書しているんですか?」

「うるさいですわね。こういうのが最近の流行りなのですわ」

「そうなの? ミシャ?」

「……私に聞かないでよ」

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