第44話 とっさの一言
アモルの祭式の当日。
「ちょーっと待った!」
今まさにお姉様の口づけを受けようとしていたその時、それに待ったを掛ける声がありました。
皆の視線が声の方に向きます。
わたくしもそちらを見て、そして呆然としました。
声の主は平民でした。
そこに驚きはありません。
驚いたのは平民の格好です。
彼女は全身傷だらけでした。
「レイ、遅いわよ」
「いや、ちょっと手間取っちゃってさ」
平民は、はらはらしたと言わんばかりのミシャに軽く謝ってから、お姉様とわたくしの間に割って入って来ました。
お姉様はふん、と小さく鼻を鳴らしてから、
「逃げ出したわけじゃなかったんだね。そこだけは認めよう」
「だーれが逃げますか。絶対に負けないって言ったでしょう?」
お行儀悪く舌を出してお姉様を威嚇しつつ、平民はわたくしの手を引いてお姉様から距離を離しました。
繋がれた手の温もりに戸惑いながら、わたくしは色々な思いのこもった目を平民に向けました。
「あなた……」
「クレア様、安心して下さい。こんなヤツにクレア様は渡しませんから」
そう宣言する平民は、顔にもいくつも傷を作っていましたが、それでも何故か晴れ晴れとした表情でした。
「そう言われても、もう勝負はついてるよ。キミがどんな供物を持ってきたか知らないけど、ボクの供物はフロースの花だ。これ以上の供物はないんだろう?」
そう言って、お姉様は光を放つ花を掲げました。
そうなのです。
お姉様はもう最高の供物を用意しているのです。
「例えキミがフロースの花を持ってきたとしても、それなら早い者勝ちだ。勝者はボクで動かな――」
「私の供物はこれです」
お姉様の言葉を遮って、平民はポーチから「それ」を取り出しました。
「それは……枝?」
わたくしは見たままを呟きました。
平民が供物だというそれは、どうみてもただの木の枝でした。
わたくしはがっかりした自分を自覚し、初めて彼女に何か秘策があるのかと期待していたことを知りました。
「そんなものしか手に入らなかったのかい?」
「いいえ、これをずっと探していたんです」
平民は何故か自信たっぷりですが、周りの目は白いものばかり。
それはそうでしょう。
供物としての格は、見た目からも歴然です。
「捧げてみれば分かりますよ」
さあ、と平民はお姉様を促しました。
捧げてしまえば後戻りは出来ません。
止めるなら今ではないか、とわたくしは迷いましたが、平民はわたくしを安心させるように力強く頷きました。
「いいとも。なら捧げてみようじゃないか」
そう言うと、お姉様は恋の天秤の前に進み出ました。
古めかしくも気品のある造りの天秤は、まさに神が遣わした神器に相応しい貫禄を備えていました。
「では、ボクから。我が心の内を、神の裁きの下に」
お姉様は戯曲を演じるかのような仕草でアモルの詩の一節をそらんじると、フロースの花をうやうやしく天秤に捧げました。
天秤に捧げられた花は一層まばゆい光を放ちます。
伝説に謳われるだけあって、天秤が大きく傾きました。
「次は私ですね。捧げます」
平民の方はと言えば、何のこだわりも見せずに無造作に枝を天秤に載せました。
天秤は――ぴくりともしません。
「やっぱり、ボクの勝――」
お姉様がそう言いかけたその時、辺りに地鳴りが響き渡りました。
「地震!?」
揺れに備えて皆が地面に伏せますが、やがて気がつきました。
地面は少しも揺れていません。
揺れているのは、恋の天秤だったのです。
「なんだ?」
誰かが怪訝な声を上げました。
見ると、枝から新芽が芽生えています。
それだけではありません。
次々に根が生やした枝はみるみる生長し、瞬く間に大樹となって天秤を傾けました。
「フロースの花が負けた……? この枝は……一体……?」
呆然と呟くお姉様に、平民は言いました。
「連理の枝、と言います」
平民の話によると、これはこの近くの森に棲むモンスターが落とすアイテムなのだそうです。
入手難易度は極めて高く、手に入れるのにとても苦労したとか。
平民はこれを手に入れるために、こんなに傷だらけになるまで頑張ってくれたのでした。
「フロースの花が最も重い供物じゃなかったのか……?」
「今まで知られていたものの中では、確かにフロースの花が一番です。でも、それより重い供物があったってことですよ」
得意げにそう言うと、平民は今度はわたくしに向き直りました。
「クレア様」
「……?」
あまりの展開にまだ呆然としていたわたくしは、平民の声で我に返りました。
平民は傷だらけの顔を乱暴に拭った後、最低限の身なりを整えてこう言いました。
「ホントはこんな勝負どうだっていいんです」
「え……?」
それは……わたくしのことなどどうでもいいということ……?
わたくしは不安になりましたが、レイはこう続けました。
「私には物語のような恋は出来ません。ご存じの通り、茶化さないと大事なことすら言えなかったりします」
でも、と彼女は続けました。
「たとえ神様の天秤に認められなくても、それでもあなたを愛します。誰に負けようとも、それでもずっとあなただけを愛し続けます。だから――」
平民はわたくしの前に跪いて、手を取ると――。
「メイドではなく、私をあなたのパートナーにして下さいませんか?」
物語の一節ではなく平民自身の言葉で、彼女は初めてわたくしに愛されることを望みました。
そのことが、わたくしには堪らなく嬉しかったのです。
「……あなたって人は……」
理由の分からない涙が浮かんできました。
悲しくはありません。
むしろ、わたくしの心はとても温かなものに満たされていました。
彼女の問いに答えましょう。
そうしてまた、わたくしの隣を彼女に歩いて貰いましょう――そう思った矢先のこと。
「あっはっは! いやー、負けた負けた!」
いい雰囲気になりかけた所に、お姉様の屈託のない笑い声が響き渡りました。
「マナリア様。今、いいところなんですから空気読んで下さいよ」
「やだ。やっぱりボク、キミがいい。最高だよ」
不満そうに言う平民に、お姉様はそう言うとハグをしたのです。
わたくしは驚きに目を見開きました。
「ちょっ、マナリア様」
「やー、いいないいなとは思ってたけど、まさかこれほどまでとはね。うんうん、キミこそボクの伴侶に相応しい」
ちょ、お姉様、今なんて……?
「お、お姉様、それはどういうことですの……?」
「やー、ごめんね、クレア。ボクの目的は最初っからレイだったんだよ。レイの反応が楽しくて、ついクレアをつついていじめちゃった」
てへ、とお姉様は舌を出して笑いました。
お姉様の目的が……平民……?
じゃあ、つまり、お姉様が仰っていた目的の半分というのは、彼女のことだったのでしょうか。
それはダメ。
ダメです。
何がダメなのか分かりませんが、とにかくダメです。
「ちょっと、マナリア様。離して下さい」
「やだ。このままスースに連れて帰る」
お姉様と平民が仲良くじゃれています。
わたくしは段々腹が立って来ました。
「お断りです!」
「うんうん、嫌がるところがまた一段と可愛らしいね。そんなキミが好きだよ」
そう言うと、なんとお姉様は平民に――レイに口づけをしようとしました。
わたくしは、もう我慢の限界でした。
「ちょ、やめ――」
「ダメーーー!!!」
わたくしは二人の間に入って両手で二人を押しのけると、あらん限りの声で叫びました。
「レイはわたくしのものよ! わたくしのものを取らないで!」
自分が何を言ったのか、その意味は遅れてわたくしの頭に浸透してきました。
あばばば!?
わたくしってば何を口走りましたの!?
「ク、クレア様……?」
レイがおずおず、といった様子で声を掛けてきます。
わたくしは顔が真っ赤になるのを感じました。
「ち、違いますわ! 今のはそういう意味じゃなくて――!」
「クレア様ー!!!」
レイがわたくしに抱きついてきました。
暑苦しいし、うざったい――でも、ちょっぴり嬉しいとわたくしは思いました。
もちろん、そんなことはおくびにも出さず、悪態をつくのがわたくしです。
「ちょっと、お離しなさい!」
「嫌です! 愛してます、クレア様!」
「私は嫌いですわよ! はーなーしーなーさい!」
「わたくしのものって言ったじゃないですか!」
「うるさいですわ! 忘れなさい!」
レイと一緒にじゃれ合います。
こういうことも、何日ぶりかと思いました。
「マナリア様、失礼ですけれど、勝負あったと思いますよ?」
「うーん、そうみたいだねー」
お姉様とミシャが、わたくしたちのじゃれ合いを見て何事か話しています。
でも、わたくしは嬉しさと照れくささでそれどころではありませんでした。
「はーなーしーなーさい!」
「いーやーでーす!」
以前と同じようなやりとり。
でも、わたくしの胸の内側は以前とは比べものにならないほど、温かく満たされていました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます