第42話 憧れだった人と
震える手を何とか落ち着かせて、わたくしはその部屋の扉をノックしました。
「開いてるよ、どうぞ」
「失礼しますわ」
中に入ると、そこにはプラチナブロンドの麗人が椅子に座っていました。
「ごきげんよう、お姉様」
「ごきげんよう、クレア。気分はもういいのかい?」
「ええ、お陰様で」
後で聞いた話ですが、平民を解雇したその日、わたくしはお姉様の部屋で泣きはらしたようです。
泣き疲れて眠った私を部屋まで運んでくれたのも、やはりお姉様でした。
わたくしはその時の謝罪とお礼をしに、お姉様の部屋までやって来たのでした。
お姉様は一度立ち上がってわたくしにも椅子を勧めてから、もう一度椅子に座り直しました。
「先日は大変失礼を致しましたわ。わたくしとしたことが、とんだ醜態を……」
「気にしないで、クレア。キミが泣き虫なのはよく知ってる。昔からそうだったでしょ?」
「……意地悪ですわ、お姉様」
「あはは、ごめんごめん」
お姉様は軽く笑った後、少しだけ表情を真剣なものに変えました。
「クレアをあんなに泣かせるなんて、レイは酷い娘だ」
「平民だけが一方的に悪いわけではありませんわ。あれはお互い様だったと、今は思っています」
わたくしがそう言うと、お姉様は少し驚いたような顔をして、
「……へぇ? 一日足らずで随分気持ちが落ち着いたみたいだね。あのルームメイトちゃんのお陰かな?」
「! カトリーヌと会いましたの?」
普段は誰とも会おうとしない彼女が?
「面白い子だよね。無闇に姿を隠そうとするから、力ずくでいぶり出して上げた。……そんなに怖い顔しないで、クレア。別にドミネーターを使ったわけじゃないから」
知らず、顔が険しくなっていたのか、お姉様にそう言われて表情を改めます。
「確かに、カトリーヌのお陰と言っていいかも知れません。彼女はかけがえのない親友ですわ」
「羨ましいね。ボクもそういう気が置けない友人が欲しかったな」
「お姉様なら望めばいくらでも出来るでしょう?」
「そう簡単なものじゃないさ。恋は落ちるものだってよく言うけど、友情だって授かりものの側面はあるよ」
人と人との縁は望んだからと言って必ずしも手に入るものではない、とお姉様は言いました。
「それで? クレアはどうするんだい、レイのことは?」
「……まだ分かりませんわ。迷っていますの」
「そうみたいだね。でも、レイの方はもうやる気満々らしいよ?」
「……え?」
思わず聞き返したわたくしに、お姉様は人の悪そうな笑みで、
「勝負しろ、と持ちかけられた。レイが勝ったらクレアのことは諦めろとさ」
「……また勝手なことを言っていますのね。わたくしの気持ちを置いてけぼりにして」
「そうは言うけど、彼女からしたらそうするしかないと思うよ?」
「どうしてですの?」
「だって、肝心のクレアが自分の気持ちを言わないんだもの」
わたくしは何も言えませんでした。
その通りだったからです。
「勝負の方法は恋の天秤だ。祭式に合わせて捧げ物を用意して、その重さを競うことになってる」
「お姉様はそれを受けましたの?」
「うん。面白いと思ったからね」
「……やめて頂くことは?」
「ちょっと出来ないかな。ボクにもボクの都合があるからね」
「?」
「いや、こっちの話。それについてはクレアは気にしないでいい」
よく分かりませんが、お姉様も勝負に乗り気なようです。
「お姉様たちの勝負がどうなろうと、わたくし、従うつもりはありませんわよ?」
「それは仕方ないさ。でも、ボクやレイがそれだけクレアに対して真剣なんだってことだけは酌んで欲しいね」
「……知りませんわ」
などと悪態をつくものの、お姉様や平民が浮ついた気持ちでないことを、わたくしはもう疑っていませんでした。
「クレアには申し訳ないけど、勝負するからには勝ちに行かせて貰うよ」
「どうしてわたくしに申し訳ないんですの?」
「そりゃあ、もちろん。クレアの本心がどこにあるか分かっているからさ」
「……勝手にわたくしの気持ちを決めないで頂きたいですわ」
いくら相手がお姉様であっても、人の気持ちを分かったように語られるのはいい気分ではありません。
「そうかい? 自分自身の気持ちこそ、意外と自分では分からないものだよ?」
「なら、お姉様から見たわたくしの本心とやらはどういうものですの?」
わたくしはつい、ムキになってそう聞いてしまいました。
「――悔しいけれど、あの子のことが気になって仕方がない」
「……は?」
「――認めがたいけれど、あの者のことが好k――」
「お待ちになって!? 誰があんな平民のことなんて!」
あまりにもあまりな言い方に、わたくしは思わずお姉様の言葉を遮ってしまいました。
「おや? ボクはあの子、あの者としか言ってないけど?」
「からかうのはおよしになって。今の文脈でそれ以外の取りようはないじゃありませんのよ」
「ふふ、それもそうだね」
降参、とお姉様は両手上げておどけました。
全くもう、困った方ですわ。
「言っておきますが、わたくしそんなこと思っていませんわよ?」
「そうかなあ。言葉よりも如実に顔に書いてあるけど」
「嘘ですわ!」
「あははは、それは確かに冗談だよ。でも、ボクの勘は外れてないと思うけどね?」
可笑しそうに笑いながら、お姉様はパチリとウィンクして見せます。
「お姉様、段々、あの平民に似てきましたわよ?」
「それなら、ボクのことを好きになってくれるかい?」
「またそうやっておからかいになって――」
「本気ならいいのかい?」
「……お姉様?」
不意に低くなったお姉様の声にドキリとしました。
お姉様は椅子から立ち上がると、ゆっくりとこちらに近づいて来ます。
わたくしは気圧されたように動けませんでした。
「クレアのことは好きだよ。これは嘘でも冗談でもない。もしボクが本気でキミに求愛したら、キミは応えてくれるかい?」
「お姉様……一体どうしたんですのよ。そんな、あの平民みたいなことを」
「クレアだって知ってるだろう? ボクが王宮を追われた理由」
「……」
確かに知っています。
お姉様は同性との火遊びが原因で、王宮を追われることになったのでした。
つまり、お姉様は平民と同じ同性愛者なのです。
「なら……お姉様もあの者と同じく、わたくしのことを求めて勝負に臨むということですの?」
「それは理由の半分だね」
「もう半分は?」
「それはナイショ。それはそれとして、どうだいクレア? キミはボクの思いに応えてくれる気はある?」
そう問うお姉様は、いつもの余裕の表情であるはずなのに、何故か泣いているように見えました。
少なからず動揺したわたくしでしたが、わたくしの答えは――。
「いや、いい。答えは分かってるんだ。変なことを聞いて悪かったね」
「お姉様……」
「レイが言ってなかったかい? ボクらみたいな人種にはいつものことさ。報われることの方が希なんだよ」
誰が悪いわけでもなく、強いて言えば運が悪いんだ、とお姉様は笑い飛ばしました。
「でも、勝負は勝負だからね。手を抜くつもりはないよ」
「勝っても得られるものは何もないのに?」
「あるさ。少なくとも、レイの泣き顔は見られる」
「歪んでいらっしゃいますわね、お姉様」
「嫌いになったかい?」
「いえ、お可愛らしいと思いますわ」
「ハハハ……。クレアも言うようになったね」
「お陰様で」
わたくしは椅子から立ち上がると、お姉様に礼をしました。
「そろそろ失礼しますわ」
「うん。……あ、待って、クレア」
「?」
辞去しようとしたところを呼び止められ、振り向くと、お姉様が微笑んでいらっしゃいました。
「もう一度聞くけど、クレアはレイのこと好きかい?」
「……」
わたくしははいともいいえとも言えませんでしたが、わたくしの表情からお姉様は何かを読み取ったようで、
「そっか。なら、後はレイ次第かな」
独り言のようにそう言って、今度こそわたくしを見送ったのでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます