第41話 糸と絆

「クレアちゃーん」

「……」

「クレアちゃーん?」

「……」

「ダメだこりゃ。完全にやられちゃってるやー」


 カトリーヌののんきな声も、わたくしの耳にはほとんど届いていませんでした。


 ここは寮の自室です。

 平民に暇を出した後、わたくしはどこをどう歩いたのか分かりませんが、気がつくと自室まで戻って来ていました。

 この時のわたくしはしばらく気がつかなかったのですが、いつの間にか日付が変わって翌日になっていたようです。


 部屋に戻ってきたわたくしを見て、カトリーヌが目を丸くしていたのをかろうじて覚えていますが、その後のことはよく分かりません。

 わたくしは何もする気も起きず、制服さえ着替えないまま、布団にくるまって丸くなっているのでした。


「……」


 失望された。

 見限られた。

 捨てられた。


 ――そんな言葉たちが頭の中をぐるぐる回っています。


 事実、この時のわたくしはそう言って差し支えない状況だったと思います。

 なんども布団の中で寝返りを打ち、心因性の寝苦しさに身もだえしていました。


「クレアちゃん、変な所で打たれ弱いからなー。これだけダメージ受けてるってことは、あの平民ちゃんのことかなー?」


 平民という言葉だけが妙に耳に残りました。

 平民……もうあなたをそう呼ぶことはないのでしょうね。


「うーん、話を聞きたいけど、完全に蓑虫になっちゃってるしなー。どうしたものかー」


 大切な人は皆、わたくしの元を去って行きます。

 もういやです。

 こんなことは沢山です。


 こんなことならいっそ――。


「あれ? 平民ちゃん? レイちゃんとか言ったっけ? どうしたのさ急に?」


 思考が危険な方向に行きかけたとき、カトリーヌのその声にわたくしは飛び起きました。


「平民!?」

「やっと起きた。おはよう、クレアちゃん。まだ夜だけど」


 ドアの方を見ると、そこに平民はおらず、悪戯っぽく笑うカトリーヌが車椅子に乗っていました。


「騙すような真似をしてごめんね、クレアちゃん。でも、こうでもしないと、クレアちゃん話も聞いてくれなさそうだったから」

「……話すことなんて、何もありませんわ」


 そう、ただわたくしという人間が愛想を尽かされただけ。

 今までが奇跡のようなものだったのです。

 わたくしのような人間に、あんな好意を向けられる資格などなかったというだけの話ですわ。


「ほらー、またそうやって自己完結するー。もうちょっと冷静になろうよー。多分だけど、まだ何にも終わってないと思うよー?」

「……」

「とにかく、何があったか話してみてー。きっと何か力になれるからさー」


 わたくしの普段とは違う様子に気付いてはいるでしょうに、カトリーヌは飽くまでいつも通りでした。


「……どうせあなたもいずれはいなくなるんでしょう?」


 後から考えれば弱音以外の何ものでもないわたくしのそのセリフに、カトリーヌは笑って、


「そりゃーねー。ウチはこんな体だもん。ずっとそばにいるのは無理だよー」

「あ……」

「でも、出来るだけ長く傍にはいたいかなー」

「……ごめんなさい」

「良いよ良いよー。はい、飴ちゃん」


 カトリーヌはそう言うと、キャンディポットから例の飴を取り出して、わたくしに寄越してきました。

 味は苦手ですが、リコリスの花の香りは、不思議と私の心を落ち着かせてくれました。


「……平民を解雇しましたの」


 わたくしはぽつぽつとカトリーヌにこれまでの経緯を説明しました。

 ところどころ思いが溢れて言葉にならないところもありましたが、カトリーヌは時々頷きながら辛抱強く耳を傾けてくれました。


「――ということですの」

「そっかー……。辛かったねー。クレアちゃんも平民ちゃんもー」

「平民も……?」

「そうだよー? あれだね、きっかけはマナリア様だろうけど、根本的な原因は二人の相手への接し方にあるねー」

「???」


 わたくしはカトリーヌに説明を求めました。


「ねぇ、クレアちゃん。クレアちゃんはさ、ちょっと人間関係に贅沢すぎると思うよー?」

「贅沢?」

「うん。普通はね、いくら待ってたって、向こうから誰かが近づいて来てくれることなんて、そうそうないんだよー?」


 カトリーヌが言うには、わたくしは人間関係に受け身過ぎる、とのことでした。


「平民ちゃんを思い出してごらんよー? クレアちゃんが引くくらいの勢いでクレアちゃんを求めてくれたでしょー?」

「あの平民は別にわたくしを求めてたわけでは――」

「シャラップ! こんな大事な話をしてるときに、余計なことを言ってる場合じゃないでしょー?」


 カトリーヌはわたくしの泣き言を切って捨てました。


「……続きを」

「ちょっと過激ではあったけど、人間関係の在り方としては平民ちゃんの方がずっと健全だよー? 人は求めて来ない相手を求めたりはなかなか出来ないもん」

「あれが健全……?」

「そうだよー?」


 カトリーヌは車椅子を移動させて刺繍道具の場所まで行くと、そこから刺繍糸を取り出してこちらに見せました。


「普通の糸はこうやって力を入れて引っ張ると、切れちゃうよねー?」


 カトリーヌが糸を両側から引っ張ると、刺繍糸は儚く切れてしまいました。


「でもね、絆は違う。絆って言うのは逆で、両方が力一杯引っ張らないと切れちゃうものなんだよー。だから、平民ちゃんがそうしてたように、クレアちゃんもそうしなきゃいけなかった」


 絆を維持したい、強めたいと思うならね、とカトリーヌは言います。


「……でも、いくら後悔してももう遅いですわ。わたくしと平民はもう終わってしまいましたもの」

「まだ始まってもいないよ!」


 滅多に聞かないカトリーヌの大声に、わたくしは驚いてしまいました。

 カトリーヌはこちらも珍しい怒ったような顔で続けます。


「いーい? クレアちゃんと平民ちゃんがしたのはただのケンカだよー。雇用関係云々なんて、また契約し直せばいいだけじゃなーい」

「そんなに簡単じゃありませんわ。貴族には体面というものが――」

「それは今のクレアちゃんと平民ちゃんの関係にとって、それほど重要なことー?」

「……」


 貴族にとって、体面は決して軽いものではありません。

 でも、今のわたくしにとっては、あの平民との関係を修復することの方が、遙かに大切に思えました。


「腐っても一応、ウチも貴族だから体面の重要性は分かってるつもりだよ。でも、あの平民ちゃんとの関係は大事にした方が絶対いい。ここであの子を失ったら、今度こそクレアちゃん立ち直れないと思う」

「そんな大げさな――」

「大げさなもんか。クレアちゃんは気付かないふりしてるけど、レーネちゃんがいなくなった今、あの平民ちゃんの存在がどれだけ大きいと思ってるのさ」

「……」


 そうでしょうか。

 あの者の存在は、わたくしにとってそんなに重要なのでしょうか。


「カトリーヌ、わたくし、どうしたらいいと思いまして……?」

「それはクレアちゃんが自分で答えを出さなきゃ。冷たく聞こえるかも知れないけど、そこで甘えちゃダメだよ。自分にとって大事な人は、自分の力で繋ぎ止めなきゃ」


 誰かに頼るのは自分の最善を尽くしてからね、とカトリーヌは言います。


「……」

「うん。クレアちゃん、さっきよりはいい顔になって来たねー。少しは立ち直ったー?」

「……分かりませんわ。でも、さっきまでのように、不貞寝していじけているだけでは、何も解決しないことだけは確かですわ」

「そうだね。うんうん。いつもの強気なクレアちゃんが戻って来て、お姉さんは嬉しいよー」

「誰がお姉さんですのよ」 

「たはは」


 悪態をついて見せますが、カトリーヌの言葉とマイペースさに、わたくしは救われたような気持ちになりました。


「ありがとうございますわ、カトリーヌ」

「どういたしまして。これくらいお安いご用だよ。友だちじゃない」

「違いますわ」

「あ、あれ?」


 カトリーヌがずっこけたようにおどけました。

 わたくしは少し笑って、


「カトリーヌは親友ですもの」

「そう来たかー。早速、実践できてるね、絆を引っ張るのー?」

「ええ、飲み込みは早い方ですのよ」

「違いないやー」


 とは言え、具体的にどうすればいいのかはまだ分かりません。


 分かりませんが、もう闇雲に悲観的になるのは終わりにしよう――そう思えるようになったのでした。

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