第40話 すれ違い
「……行け」
平民はストーンキャノンの魔法で魔物を黙々と打ち倒しています。
魔物たちは爆発四散して、後には魔法石だけが残りました。
それを面倒くさそうに拾う平民の顔に浮かんでいるのは、無でした。
いつも表情豊かだった平民の顔からは、何も読み取ることが出来ません。
「……」
お姉様と平民の勝負から数日が経ちました。
学院はアモルの祭式に向けての準備を進めています。
具体的には、祭式の式場周辺の魔物の駆除をしています。
恋の天秤には魔法石が使われているので、それにつられて魔物が集まってくるのです。
そのため、毎年祭式の前には学院生が総出で魔物を狩ることになっています。
本来、魔物の討伐は軍の仕事なのですが、何しろ数が多いため学院生も駆り出されるのでした。
幸い、式場周辺の魔物はそれほど強くないため、学院生でも倒すことが出来ます。
とはいえ、この時期の学院生はまだ魔物との戦闘に慣れないわたくしたち一年生もいるので、一年生はチームを組んで駆除に回ります。
わたくしはお姉様と平民とのチームでした。
「あなた、ちょっと無理しすぎじゃありませんの?」
淡々と魔物を屠り続ける平民が心配で、わたくしはそう声を掛けました。
「いえ、大丈夫です」
平民は感情の読めない顔でそっけなくそう答えると、次の獲物を求めて茂みをかき分け始めました。
そこには不定形の魔物――グリーンスライムがいました。
グリーンスライムは草に紛れて暮らす温厚な魔物で、放って置いてもそれほど害はありません。
ですが――。
「……」
平民はもう一度ストーンキャノンを放ち、それを容赦無く倒しました。
核を打ち抜かれたスライムがどろどろと土に還っていきます。
わたくしはそれを見てぞっとしました。
レレアそっくりなグリーンスライムを、ああも無慈悲に殺してしまえるものでしょうか。
そういえば、最近のレレアは平民ではなくミシャといることが多いようです。
「おやおや、荒れてるねえ」
からかうような声はお姉様のものです。
お姉様はわたくしの肩に手を回し、平民の方をにまにまと見つめています。
「ちょっと、お姉様。今は戦闘時ですのよ?」
「大丈夫さ。ボクら三人がそろっていて、この辺りの魔物に負けるわけがない」
それは確かに慢心ではなく、絶対の自信でしょう。
事実、お姉様なら仮に一人であっても、この辺りの魔物に負けることはないはずでした。
「でも、この者はまだ病み上がりですのよ?」
わたくしが心配しているのは平民のことでした。
目の前で真っ赤な血を流して倒れ伏したあの時の事を、わたくしはまだ忘れられずにいました。
それに、あの日から平民はどこか様子がおかしいのです。
上の空というか、変によそよそしいというか。
「私は大丈夫です」
「でも……」
今も平民の態度はそっけないものばかりです。
以前ならわたくしが声を掛けるだけで、飼い犬が尻尾を振っているかのようだったのが、今はにこりともしません。
これで大丈夫と言われて、はいそうですかと頷けるほど、わたくしは単純ではないのです。
「ほらほら、クレア。手が止まってるよ」
「え、ええ」
「ほら、あそこにラージワスプがいる。クレアなら問題なく駆除できるだろう?」
「……」
お姉様がエスコートするようにわたくしを促しました。
お姉様はお姉様で、何故かわたくしを平民からできる限り引き離そうとしているようでした。
とはいえ、魔物の駆除はわたくしたちに課せられた仕事です。
わたくしはもやもやする気持ちを抑えて、魔物狩りに集中しました。
平民が側にいないことに気がついたのは、それからしばらくしてのことでした。
◆◇◆◇◆
「ちょっとあなた」
その日の魔物狩りが一段落した後、わたくしは平民を呼び止めました。
平民は一瞬とても嫌そうな顔をしましたが、仕方なくといった体でこちらにやって来ます。
「なんでしょう、クレア様」
「あなたは私の使用人でしょう。使用人が主の元を離れてどうしますの」
今日一日、平民はチーム編成をほぼ無視し、一人で駆除作業に当たっていました。
わたくしに仕える使用人が、そんなことでは困るのです。
「いいじゃないですか。マナリア様がいらっしゃれば、クレア様をお守りするには十分なはずです」
「そういうことを言ってるんじゃありませんわ。私に仕えるのはあなたの仕事だと言っているんですのよ」
戦力が十分とか不十分とか、そういう問題ではありません。
これはけじめの問題であり、彼女の職責に関する問題です。
「申し訳ありませんでした」
平民は一応謝罪を口にしていますが、その態度に謝意はあまり見られません。
むしろ、意識は別の所にあるように見えました。
わたくしはいつもの癖で、それを咎めました。
「何が悪かったか、本当に分かっていますの? 大体、病み上がりの身で単独行動など、危険極まりないですわ」
本心では、平民のことが心配だったのです。
大きな怪我をしたばかりで、様子もおかしい。
本当は本調子ではないのではないか、無理を重ねているのではないか、と気が気ではありませんでした。
でも、それを素直に言えるほど、わたくしは出来た人間でもないわけで。
「別にあなたのことを心配してる訳じゃありませんけれど、使用人に死なれたら寝覚めが悪――」
「申し訳ありませんでした。以後、気を付けます」
平民は最初こそ大人しく聞いていましたが、次第に耐えきれなくなったのか、うるさそうに会話を終わらせるとその場を去ろうとしました。
気がつくと、わたくしはその手を掴んでいました。
「お姉様との勝負以降、あなた変ですわよ? 一体、何があったんですの」
「……別に何も」
「嘘おっしゃい。これまでうるさいくらいわたくしに絡んできましたのに、ここ数日すっかりなりを潜めているじゃありませんの」
平民の様子がおかしくなったのは、お姉様との勝負からです。
わたくしの関心を引こうと必死だった彼女が、今は目も合わせてくれません。
のらりくらいとはぐらかそうとする平民を問い詰めると、彼女はとうとう白状しました。
「あの勝負は、クレア様を賭けたものだったんですよ」
「は?」
平民は仕方なく、といった様子で勝負に至ったいきさつを説明しました。
わたくしを巡ってお姉様と対立したこと、お姉様の挑発に乗ったこと、それがあの魔法勝負だったこと。
話を聞いている内に、わたくしははらわたが煮えくり返る思いがしてきました。
「という訳で、私にはもうクレア様のお隣にいる資格がないんです」
「何を勝手なことを言っていますの!」
投げやりに説明を終えた平民を、わたくしは怒鳴りつけました。
「わたくしを賭けて勝負? 何を考えていますの! わたくしはものじゃありませんのよ!? それを勝手に……」
確かに、物語や戯曲の中には女性を巡って殿方が争うようなものもあります。
あるいはそれは、女性の自尊心を擽るものなのかもしれません。
ですが、わたくしは常日頃からそれに疑問を持っていたのです。
女性の気持ちはどうなるのだろう、と。
当人の気持ちを無視して、殿方たちの勝ち負けだけで将来を決めるのは、あまりにも理不尽ではないでしょうか。
だからこそ、自分自身がその状況に置かれて憤慨してしまったのです。
正直に言えば、わたくしは少し我を失っていました。
平民が暴言を吐いたのは、そんな時でした。
「そうですか? 良い気分なんじゃありませんか? マナリア様のような素敵な方に求められて」
平民らしからぬ、持って回った皮肉めいた言い方。
わたくしを侮蔑するようなその言葉に、わたくしは完全に堪忍袋の緒が切れてしまいました。
「訂正なさい。使用人が主に向かってなんたる暴言を吐くんですの。これだから平民の使用人は……」
わたくしは矢継ぎ早に平民を貶めるような言葉を吐きました。
悔しかったのです。
今までどんな時もわたくしのことを尊重してくれた彼女が、こうしてわたくしをその他大勢のように扱ってくることが。
平民はどれだけわたくしをからかっても、その尊厳を疑うようなことは言いませんでした。
今の彼女の発言は、それを完全に飛び越える発言でした。
でも、わたくしがもし、もっと冷静だったなら気がつけたはずなのです。
この時平民が辛そうな顔をしていたことに。
彼女だって苦しんでいたことに。
そうして、事態は最悪の方向に動きます。
「じゃあ、私、やめます」
「……なんですって?」
「クレア様のメイドをやめます。平民の私には向いていないのでしょう」
わたくしは耳を疑いました。
辞める?
このわたくしのメイドを?
――ああ、そう。
そうなのね。
やっぱり、あなたもそうなんですのね。
自分でも驚くほど、心が死んでいくのが分かりました。
そこからのことは、まるで他人事のようでした。
「……本気で言っていますの?」
「はい」
「わたくしの使用人をやめたいんですのね?」
「はい」
そう返事をした時の平民は、どんな顔をしていたか。
自分のことでいっぱいいっぱいだったわたくしは、もう覚えていません。
「そう……分かりましたわ」
わたくしはかろうじて考えをまとめると、彼女の主として最後の勤めを果たそうとしました。
「クレア様?」
「給金は本日までの分を日割りで計算し、後ほど払いますから取りに来るように」
いくら仕事を辞めるとはいえ、契約は契約です。
行われた労働に対する対価は相応に支払われなければなりません。
わたくしはフランソワ家の一人娘として恥ずかしくないよう、最後まで振る舞おうと思いました。
「色々と不満はありましたが、これまでよく仕えてくれました。フランソワ家の令嬢として、御礼を申し上げますわ」
淑女らしく、これまでの彼女の奉仕に労いの言葉を掛けられたでしょうか。
自信はありませんが、わたくしは精一杯微笑もうと努力しました。
成功したかどうかは分かりません。
「これまでありがとう、テイラーさん」
限界だ、と思いました。
お母様とは別れも言えず、レーネすらもバウアーから去り、今またこうして平民もわたくしの元から去ろうとしています。
もう、耐えられない、と思いました。
視界がにじみます。
でも、大丈夫。
大丈夫なはずですわ。
慣れていますもの。
平民の前で、涙など見せてやるものですか。
「クレアさ――」
「もうお行きになって? 今までわがままを言って申し訳ありませんでしたわね。テイラーさんのこれからに幸いがありますことを」
わたくしは、もう自分が何を喋っているのかもよく分かりませんでした。
淑女として、フランソワ家の娘として叩き込まれたことが、わたくしの身体を勝手に動かしていました。
「……失礼します」
平民の声が聞こえた気がします。
でも、わたくしにはそれももう、どうでもいいことでした。
「あなたも、わたくしを一人にするんですのね……。嘘つき」
思わず口から漏れたそれは、わたくしの中の最も弱い部分が言わせたことでした。
でも、この時のわたくしには、自分がそんな言葉を発したことさえもう分からなかったのです。
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