第39話 心配
わたくしの知らない場所で何があったのか、お姉さまと平民が魔法で対決することになっていました。
審判役に指名されたわたくしの杞憂は、試合の終盤に現実のものとなりました。
「――
お姉様がその魔法を使った瞬間、辺りは一瞬静まりかえりました。
ありとあらゆる魔法的な反応が消滅し、レイが放とうとしていた水属性の攻撃魔法の予兆も全てかき消えました。
そして――。
「平民!」
次の瞬間、平民が全身から血を吹き出して倒れ込みました。
そのまま動かなくなった平民に、わたくしは慌てて駆け寄りました。
「平民、あなた、レイ! しっかりなさい!」
血で汚れるのも構わず、わたくしは平民の身体を抱き起こして頬を叩きました。
反応がありません。
完全に意識を失っています。
「どいて、クレア。治療するから」
「お姉様……」
背後から掛けられた声に振り向くと、お姉様が涼しい顔で立っていました。
わたくしは初めて、お姉様のことが怖いと思いました。
でも、そうこうしている間にも平民の身体からは熱が失われていきます。
ことは一刻を争いました。
「お願いしますわ! レイを助けて!」
「もちろんだとも」
お姉様は平民の身体に手をかざすと、治癒魔法をかけ始めました。
全身から流れ出していた血が、みるみるかさぶたになり、止血されていきます。
真っ青だった平民の顔も、少しずつ血色を取り戻していくようでした。
「これで大丈夫。心配はいらないよ」
「嗚呼……、レイ! 良かった……!」
レーネに続いてこの者までわたくしの元から去ってしまうのか、とわたくしは気が気ではありませんでした。
温かさを取り戻していく平民の身体を抱き直すと、安心と供に怒りがこみ上げてきました。
「やり過ぎですわ、お姉様!」
もちろん、その矛先はお姉様です。
お姉様は少し驚いた顔をしましたが、そんなことに構ってはいられません。
「お姉様と平民の力の差は明らかだったじゃありませんのよ! お姉様ならスペルブレイカーと通常の攻撃魔法で圧倒出来たはずですわ!」
「そんなことはないよ。レイは強かった」
「確かに平民も少しは使いますが、お姉様との差は歴然でしたわ! なのにドミネイターまで使うなんて――!」
お姉様のドミネイターは対魔法使いの必殺技です。
あれを使われて無事で済む魔法使いなどいないのです。
スペルブレイカーを使った時点で、ほぼ勝負は決していました。
どうあがいても、平民に勝ち目があるようには見えませんでした。
なのにお姉様は、平民にとどめを刺すような真似をなさったのです。
「お姉様は一体どういうつもりでしたの!」
「ああでもしないと、レイは止まらなかったよ。クレアには分からないのかい?」
わたくしの糾弾を平然と受け止めて、お姉様は逆にわたくしを問い詰めるような言葉を発しました。
真意が分からず、わたくしが言葉を失っていると、お姉様は更に続けます。
「レイがクレアのことを好きなことは知っているんじゃなかったのかい?」
「それは……いつもの平民の悪ふざけで……」
「レイは本気だよ。本気でクレアのことを思っている。だから彼女は最後まで諦めなかった。彼女の気持ちは真剣だったし、半端なものではなかったからね」
だからボクはドミネイターを使うしかなかった、とお姉様は言います。
「それでもこれはやり過ぎですわ! 平民の身にもしものことがあったらどうするつもりでしたの!」
「忘れたのかい? ここには魔法減衰の結界が張られてる。ドミネイターでも致命傷は与えられなかったさ。まあ、レイの魔力が高すぎて想像以上に威力が出ちゃったことは認めるけどね」
「そんな無責任なことを……!」
「随分心配するんだね、この子のことを」
「……え?」
静かな――いっそ悲しげとも取れるような複雑な声色で、お姉様はわたくしに指摘しました。
それはまるで、何か大切なものからそっと手を離すような、そんな風にわたくしには聞こえました。
わたくしは少し動揺しましたが、ひとまずそれを御しきるとお姉様に言い返しました。
「この者はわたくしの使用人です。主として、心配するのは当然でしょう」
「そうかな? 昔からクレアは使用人をそれほど重要視してはいなかったよね? 何人もの使用人をとっかえひっかえしていたし、唯一の例外はレーネくらいだった」
「そ、それは……」
「レイは特別なんだね、クレアにとって」
「そんなことは断じてありませんわ!」
わたくしは何故か恥ずかしくなって、ムキになってお姉様に言いました。
「ただの使用人に、クレアがそこまでするとは思えないよ。自分が今どんな格好してるか分かってるかい? 血で汚れてもなりふり構わずこの子を助け起こしたんだよ、クレアは」
「それは……だから……」
「使用人の主人として、かい? 今までのクレアなら、不甲斐ない使用人に愛想を尽かして、溜め息の一つでもついてこの場を去ったんじゃない?」
「……」
わたくしは次第に言うべき言葉を失っていきました。
それはつまり、お姉様が言うことが正鵠を射ていることの証左に他なりません。
わたくしが何も言えずにいると、
「もうおやめ下さい、マナリア様!」
「クレア様をいじめないで下さい!」
「あなたたち……」
観客席から飛び出してくる人影が二つ――ロレッタとピピでした。
「クレア様にはまだ時間が必要です! クレア様はまだご自分のお気持ちに気付いていらっしゃらないのです!」
「マナリア様から見ればじれったいのでしょうけれど、やり方があまりにも強引すぎます!」
ロレッタとピピはお姉様を非難するように言いました。
その声は少し震えていました。
無理もありません。
怖くないはずがないのです。
一時の苦手意識はもうなくなったようですが、今は先ほどの戦いを見た直後です。
お姉様の超常的な強さを目の当たりにすれば、恐怖を感じないはずがないのでした。
それでも、二人はわたくしを守るように、お姉様とわたくしの間に入ってくれたのでした。
「……そうか。クレアはまだその段階なんだね。それなら確かに、ボクがやり過ぎたようだ」
そう言うと、お姉様はいつもの余裕を取り戻したように見えました。
「謝るよ。ごめん、クレア。ロレッタとピピも」
「い、いえ……。というか、一体、何のこt――」
「クレア様ぁ~……!」
「大丈夫ですかぁ~……!」
ロレッタとピピはわたくしにすがりついて泣き始めてしまいました。
わたくし一人が、状況に取り残されたままです。
とりあえずわたくしは、ロレッタとピピを落ち着かせるように抱きしめました。
ああ、もう!
後で皆して着替えないとダメですわね!
「クレア」
「なんですの、お姉様?」
「いい友だちを持ったね」
「……え? ええ、それは……はい」
何が何だか分かりませんが、どうやらわたくしはロレッタとピピに救われたようです。
わたくしが肯定を示すと、お姉様は満足したように微笑みました。
「クレア様ぁ~……クレア様はご自分のペースでいいんですからねぇ~……!」
「そうですそうです~……! いくらクレア様がにぶちんでも、私たちがついていますから~……!」
「あ、ありがとうございますわ……って、ちょっと待ちなさい。一体、どういうことですのよ?」
何か聞き逃してはならないことを聞いた気がするんですのよ!?
「ほらぁ~……自覚ない~……!」
「そんなところが可愛い~……!」
「だから何の話ですのよ……!」
わたくしは二人を問い質そうとしましたが、その時、
「う……ん……?」
平民が目を覚ましました。
「レイ、レイ――!」
「……クレア、様……?」
「レイ! よかった……」
平民が目を覚ましたことで、色々なことがなあなあになってしまいました。
でも、この時のわたくしはそれで良かったのです。
平民が目を覚ましてくれたことが、本当に嬉しかったから。
それがわたくしにとってどれほど珍しいことか。
その自覚もないままに。
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