第36話 優しいお茶会

「それじゃあ、改めて。同級生としてよろしくね、クレア」

「もちろんですわ、お姉様!」


 講義を終えると、わたくしはお姉様を連れていつもの東屋にやって来ました。

 ピピとロレッタは遠慮したようですが、平民は平然と着いてきています。

 全くもう。

 お姉様と水入らずの時間を過ごしたいと思いましたのに、空気の読めない人ですわね。


 お姉様を改めて見ると、やはり端正なお顔立ちをしていらっしゃいます。

 今の時代の女性に多いロングヘアではなく、かと言って男性っぽくもないショートカット。

 プラチナブロンドの髪の毛は艶やかで、太陽を弾いて輝いて見えます。

 猫を思わせるような悪戯っぽい表情には、王族らしい余裕が見て取れます。


 お姉様はわたくしに挨拶をした後、平民にも目を向けました。


「レイもよろしく」

「はあ……」

「ちょっと、平民。お姉様がお声を掛けて下さっているんですのよ? もっと嬉しそうな顔をなさいな」


 三王子方に対する態度といい、この平民は王族に対する不敬が過ぎると思いますわ。


「クレア様が声を掛けて下さる方が、百倍嬉しいので」

「……言ってなさい」


 この平民はどこまでもふざけるつもりしかないようです。

 机の上のレレアも少し呆れているように見えます。

 困った人ですわ。


「ねぇ、レーネ……あ……」


 いつものように左側に向かってそう言いかけて、その相手がもうここにはいないことに気がつきました。

 お姉様は不思議そうな顔をし、平民は何か痛ましいものを見るような顔になります。


「レーネって……クレアのお付きの子だったよね? そういえば彼女はどうしたんだい? 姿が見えないようだけど」

「レーネは……やむにやまれぬ事情があって、使用人を辞めたんですの」

「……そう……」


 わたくしはレーネが去ったいきさつを上手く説明出来ませんでした。

 彼女のことはまだわたくしにとって過去のことに出来ない傷です。

 お姉様も何となくそれを察したのか、それ以上深くは聞いてきませんでした。


「そうだ。バウアーに来る途中でアパラチアにも寄ったんだけど、そこで面白いお店を見つけてね。変わった菓子を出すんだ」


 お姉様は空気を変えようとなさったのか、そんな風に話題をすり替えました。


「へぇ、どんなお菓子ですか?」


 平民もそれに乗っかります。

 彼女もわたくしに気を遣ってくれているのかしら。

 ……この平民に限って、それはないでしょうね。


 お菓子というワードにレレアも反応を示します。

 本当に食いしん坊ですわね、この子。


「わたくしも知りたいですわ」

「そう言うと思って、菓子職人に一つその店の菓子を覚えさせてあるよ。ちょっと待ってて、持ってこさせるから」


 そう言うと、お姉様はお付きの者に何事か言付けました。

 しばらく平民の給仕でお茶をしていると、やがてお姉様の使用人がワゴンを押してやって来ました。


「来た来た。これがその店の菓子の一つだよ。ティラミスっていうらしい」

「ティ、ティラミス!?」

「どうしましたのよ、平民?」

「あ、いえ、なんでも……」


 そう言いながらも、平民の顔には隠しきれない驚愕が浮かんでいました。

 それと同時に見えるのは……恐らく、嬉しさかしら?

 この菓子の名前のどこに平民が喜ぶ要素があったのかは分かりませんが、平民は確かに少し嬉しそうでした。


「まあ、まずは食べてみて感想を聞かせてよ」

「頂きますわ」


 わたくしはフォークをつける前に、まずそのティラミスとやらの外観を愛でることにしました。

 切り分けられた断面は層になっていて、生地とクリームが綺麗に重ねられているようでした。

 表面にはカカオパウダーとおぼしき粉が振りかけられています。

 それほど可憐な見かけとは言えませんが、洋菓子らしいといえば洋菓子らしい見た目です。


 フォークを入れると、何の抵抗もなく切り分けることが出来ました。

 一切れ口に入れると、何て芳醇なクリームとチーズの香り。

 洋酒の風味も豊かで、ふんだんに使われていると思われる砂糖が優しい甘さを口いっぱいに広げてくれます。


「美味しいですわ!」

「ふふ、でしょう? きっとクレアは気に入ると思ったんだ」

「ええ、わたくしこれとっても好きですわ! これを作るという店は何といいますの?」


 ブルーメのチョコレートに勝るとも劣らないティラミスの味わいに、わたくしはその店の将来性を感じました。

 今のうちにチェックして贔屓にして、社交の種にしたいと思ったのです。

 でも――。


「ふふ、それはナイショ。教えたら、ボクがクレアにご馳走して上げる楽しみがなくなっちゃうじゃないか」

「ずるいですわ、お姉様! 意地悪せずに教えて下さいまし!」

「あっはっは、どうしようかなー?」

「……ばかっぷる」

「平民? 今、何か言いまして?」

「いいえ、何でも。それより、お二方ともそのケーキの名前の由来をご存知ですか?」


 平民は誤魔化すようにそう言いました。


「いいや、知らないね。ボクは大体の言葉は知ってるつもりだけど、ティラミスという言葉には聞き覚えがないなあ」

「わたくしもですわ」

「そうですか。そのティラミスという名前には『私を元気づけて』という意味合いがあるんですよ。今のクレア様にはピッタリのお菓子だと思います。ありがとうございます、マナリア様」


 そう言うと、平民は深々と腰を折りました。


「いや、やめてくれよ、レイ。ボクはそう知っててこれをご馳走したわけじゃないんだし」

「いえ、それでもマナリア様がクレア様を笑顔にして下さったことは事実ですから」

「……そうかい?」

「はい。本当にありがとうございます」


 平民は重ねて言いました。


「なんですのよ、平民。わたくし、そんなにしょげて見えまして?」

「クレア様は上辺を取り繕うことに長けていらっしゃいますから、気がついている方は少ないとは思いますけれどね」

「……生意気なことを言いますわね。あなたはわたくしのことを理解しているとでも言いたげですわ」

「してますから」

「わたくしを理解しているのなら、今のわたくしの心境を当ててご覧なさいな」


 わたくしが挑発するように言うと、平民はふっと表情を崩して、


「失ったものと取り戻したもの、その天秤の間で揺らいでいらっしゃいます」


 そう言って優しく笑いかけて来ました。


「な、何をわけの分からないことを……」


 平民のあまり見ない表情にドギマギしつつ、わたくしは悪態をつきました。

 だって、当たっているなんて認めたくありませんわ!


「ふーん……仲が良いんだね、クレアとレイは」

「ご、誤解ですわ!? わたくし、こんな者のことなんて――!」

「ええ、愛し合っていますので」

「平民!!」

「あっはっは」


 いつものような平民の妄言に狼狽していると、お姉様が大らかに笑いました。


「クレア」

「なんですの、お姉様」

「いい使用人を見つけたね」

「はあ!? どこがですの!?」


 思いも掛けない事を言われて、わたくしは相手がお姉様であるにも関わらず食ってかかりました。


「キミがこれまで手紙で愚痴っていたような、忠誠心のない上辺だけの使用人と彼女は違うよ。それこそレーネと同じくらい、彼女はクレアを理解しようとしてくれてる」

「……」


 お姉様の言葉にからかう色は全くありませんでした。

 真摯な――この上なく慈愛に溢れた声色は、わたくしへの思いやりで一杯でした。


「……他人の心なんて、永遠にわかりっこありませんわよ」

「そうだね。でもね、クレア。仮にそれが真実だとしても、分かろうとし続けることが大事なんだとボクは思うよ。ボクもレイも、そしてレーネもきっと、クレアのことを分かりたいとずっと思ってる」

「お姉様……」


 お姉様の言葉はわたくしの心にすっと入ってきました。

 他人の言うことを素直に聞けないわたくしですが、それでもお姉様は特別です。

 お姉様への親愛と崇敬が、わたくしの心の障壁を薄くするのでした。


「……キザ」

「平民、あなたねぇ!?」

「あっはっは! いや、確かに少し芝居がかったセリフ過ぎたかもしれないね。 でも、レイ。女の子を口説くときは、これくらいスマートにしないとダメだよ?」

「……私の方法がダメだって言うんですか?」

「レイみたいな当たって砕けろ方式もダメじゃないけど、それ一本だけじゃあ効果が薄いよ。たまには違う一面も見せて上げないと」

「はあ……」


 どうでもいいですけれど、わたくしの前でナンパのテクニック論を話し合わないで頂けませんこと?

 わたくしが複雑な気持ちでいると、話が一段落したお姉様は、お茶を一口飲んでから続けました。


「でも良かった。クレアに心を許せる人が出来て」

「誤解ですわ!?」

「分かっていらっしゃいますね、マナリア様」

「黙らっしゃい!?」


 その後はじゃれ合うようなお茶会が続きました。

 お姉様が会話の主導権を握り、わたくしが相づちを打ち、平民がそれを茶化す――そんな、優しくて楽しいお茶会でした。


 貴族らしい優雅なものとは決して言えませんでしたが、わたくしは久方ぶりに心安らぐ時間を過ごすことが出来たのでした。

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