第37話 恋心に揺れる天秤
「恋の天秤……? あのアモルの詩の?」
「うん、そうだよ。その天秤だと言われるものが、祭式では使われるんだ」
ここはいつもの東屋です。
今日はわたくしとお姉様の他に、ユー様とセイン様も同席しています。
平民はいつもの通り給仕です。
レーネほど気の利いたことは出来ない彼女ですが、悔しいことにお茶とお菓子に関してはレーネでも及ばないほど美味しいのでした。
彼女は先日お姉様が出して下さったティラミスを早速再現して見せ、わたくしとお姉様を驚かせました。
ユー様とセイン様が同席なさっているのは、それがお目当てという面も大きいので、癪ですが平民に感謝しないわけにはいかないのでした。
今はユー様がお姉様に、近々行われるアモルの祭式について説明をしている所でした。
ユー様は教会に縁の深い方なので、そういった祭式などの式典については非常にお詳しく、お姉様も興味深そうに話を聞いています。
「アモルの詩はただの伝説じゃなかったの?」
王位継承権が同じくらいと言うことで、お姉様はロッド様相手とは違いユー様には親しみを込めた口調で話しています。
「アモルの詩自体は、おそらく民間伝承のいくつかを誰かがまとめたものだと言われているね」
「なのに、天秤は実在するの……?」
「……まあ、実際は魔道具なのだろう」
セイン様の補足に、ユー様がそうだねと仰って続けました。
「魔道具という名前で超常的な力を持つ道具が開発されるようになったのは、魔法石が発見された近年の話だけど、不思議な力を持つ道具自体は昔からいくつかあったんだよ」
魔法石をその働きの原理や効果を知らずに、神秘として扱っていた時代が長かったのです。
「じゃあ、恋の天秤にも魔法石が使われてるの?」
「……そのようだ」
頷いて見せるセイン様は実はあまり興味がなさそうで、先ほどから視線はティラミスの方にばかり注がれています。
既に一つ食べ終えていらっしゃいますが、実は甘党でいらっしゃるのかしら。
なら、わたくしも平民から料理を習うべき……?
「で、その祭式で天秤は具体的にどう使われるのさ?」
「まあ、一種の決闘というかお見合いというか……要するに花嫁争いだね」
ユー様がにこやかに答えました。
「恋の争いはアモルの詩が謳うように昔から争いの種だった。アモルの祭式は、その伝説に由来を持つ花嫁争いなんだよ」
「捧げ物でもするの?」
お姉様は揶揄するように言いました。
その発言はアモルの詩の内容を踏まえたもので、他国の文化にも通じているお姉様ならではの教養に溢れた軽口でした。
「ずばりその通り。恋の天秤に捧げ物をして、その重みで恋の争いに終止符を打つのさ」
そして、ユー様はそれを肯定しました。
自分の冗談が正解だと言われて、お姉様は少し面食らったようです。
「驚いた。バウアー王国の文化史は一通り学んだから、アモルの伝説は知っていたけれど、天秤が実在することまでは知らなかったよ」
「まあ、風俗史にあたるからね。マナリアの教師も、そこまではなかなか網羅出来なかったんじゃないかな?」
ユー様が紅茶を飲み干した所に、平民が静かにお代わりを注ぎました。
ありがとう、と言ってユー様が続けます。
「まあ、重みを争うといっても、実際の質量で争うわけじゃないよ。入手の難易度に比例して設定された、想いの重みが勝負を左右するんだ」
「へぇ? じゃあ、フロースの花でも捧げればいいの?」
「祭式の歴史を見る限り、フロースの花は最も重いとされているね」
「そんなところも伝説の通りなんだね」
フロースの花の現物を見たことがある者は少ないのです。
わたくしも図鑑や絵画でしか見たことがありませんが、淡い光を放つ神秘的な花だそうです。
「ずいぶん熱心に祭式のことを訊くけど、マナリアは祭式に興味があるのかい?」
想い人でもいるのかな、とユー様がからかいました。
えっ、お姉様が恋を?
わたくしは内心穏やかではありませんでしたが、それを表面に出さない程度にはわたくしも貴族です。
「そういうわけじゃないけどさ、面白そうじゃない。それにロマンチックだよ。ボクだって自分の想いを天秤に託してみたいと思うもん」
「お姉様、わたくしたち女性は、天秤に想いを託す方ではなくて、争われる方ですのよ?」
などと言いつつ、実際のわたくしはもしお姉様に恋人が出来たら寂しいなどと考えてしまうのでした。
「クレアはいいよね。レイがいるから」
「なっ!? ユー様!」
ユー様のからかいに、わたくしは食ってかかりました。
「なになに? クレアとレイはそういう仲なのかい?」
そしてそれにお姉様までもがそれに便乗します。
全くもう。
「お姉様まで馬鹿なことを仰らないで下さいまし。この者はわたくしをからかっているだけですわ」
わたくしは憮然としつつ、カップに口をつけました。
「私は本気だと何度も申し上げていますが、なかなかクレア様のガードが固くて」
「おや。じゃあ、レイの片思いなのかい?」
「いずれ両思いにしてみせますけどね」
「あなた、それ以上の戯れ言は許しませんわよ?」
わたくしは平民を目で黙らせました。
なのに何故か平民は嬉しそうで。
本当に何なんですのよこの娘……。
私はテーブルの上でふるふる震えていたレレアに、ティラミスの端切れを一つ食べさせました。
レレアは美味しそうにそれをもぐもぐします。
「大体、同性でもいいのであれば、あなたなんかよりもお姉様を選びますわよ、わたくし」
「あっはっは。これは嬉しいことを言ってくれるじゃないか。ボクもクレアが相手なら、そんじょそこらの殿方よりも嬉しいね」
「お姉様ったら」
わたくしの軽口に調子よく乗って下さるお姉様はやはり面白い方です。
平民、ユーモアとはこういう風にエレガントでなくてはいけなくてよ?
「そういえば、クレアの初恋はマナリアだったね」
「もう! ユー様、子どもの頃の話を蒸し返さないで下さいな」
「ボクが男の子だと勘違いしてたよね」
恥ずかしい思い出を掘り返されて、わたくしは身が小さくなる思いでした。
それはわたくしがお姉様のご実家であるラーナック伯爵家に預けられていた頃の話です。
お母様が亡くなったとき、わたくしは大きな傷を抱えてしまいました。
お母様はわたくしとケンカをしたまま、仲直り出来ずに死別してしまいました。
その事実は幼いわたくしに――いえ、今になってもなお、わたくしの心に深い傷を残しています。
お母様が亡くなってしばらくの間、わたくしは塞ぎ込んでしまいました。
お父様もお母様という政治的にも優れたパートナーを亡くして、しばらく事後処理に追われることとなり、構う余裕のなくなってしまったわたくしを親類であるラーナック家に預けたのです。
わたくしはそこでお姉様と出会ったのでした。
「わたくしは、お姉様の言葉に救われたのですわ」
後悔と自責の念に押しつぶされそうだったわたくしに、お姉様はこう言って下さいました。
――誰もクレアを責めてないよ。
お父様ですら気づかなかったわたくしの気持ちを、お姉様はすくい取ってくださったのです。
そしてお姉様はこうも言って下さいました。
――我は今ここに汝を守り通すことを誓う。
それはアモルの詩に登場する恋の誓いの一節でした。
当時のお姉様がわたくしに恋心を抱いていたとは思いません。
恐らく、泣き止まないわたくしを元気づけようと思っただけでしょう。
でも、物語に謳われるようなセリフを向けられたわたくしは、それで完全にお姉様に参ってしまったのです。
だって、小さい頃のお姉様は超絶美少年にしか見えなかったんですもの!
「そんなクレア様が好きです」
「だからあなたは突然何を言ってますの!?」
「申し訳ありません。想いが溢れて」
平民が突然何か言い出しました。
想いが溢れてって、あなたはいつもダダ漏れでしょうに。
「そっかー、レイはクレアが本当に好きなんだね。そっかー……」
お姉様はそんなことを呟くと、何か興味深いものを見つけたように笑いました。
わたくしはまたお姉様の悪癖が始まった、と思いました。
お姉様は気に入った相手をいじめる悪癖があるのです。
まるで小さな男の子のようですが、お姉様の場合加減を知っているのでそこまで悪辣なことにはなりません。
まあ、見初められた方は大抵大変な思いをすることも事実ですが……。
「でも、残念だったね。クレアはボクの方が好きだって」
お姉様はわたくしを抱き寄せると、その腕に包み込むように抱きしめて来ました。
「あらあら、お姉様、どうされましたの?」
などと言いながら、わたくしは懐かしい思いに駆られていました。
昔はよくこうして一緒に過ごしたものです。
……平民?
どうしてあなた顔が引きつっていますの?
レレアも何だか落ち着かない顔です。
「クレア、ボクが好きって言ったら信じてくれる?」
「もちろんですわ。むしろ、今でもそう信じていますわよ?」
「ふふ、そっかそっか」
お姉様は嬉しそうに笑いました。
恋愛的な意味とは違いますが、わたくしは今でもお姉様のことを慕っています。
「……レイ、ポットからお茶がこぼれているぞ」
「失礼しました」
平民が珍しく大きなミスをしました。
何やってますのよ。
テーブルの上に広がった熱いお茶をレレアが慌てて避けます。
「……どうかしたか? 顔色が悪いが」
「いいえ、なんでも。ご心配頂きありがとうございます」
セイン様に心配されるなんて、平民のくせに生意気な。
でも、本当に大丈夫かしら。
そういえば、平民の顔色は少し悪いようにも見えます。
「……クレアとマナリアは仲が良いな」
「……そうですね。お代わりはいかがですか?」
「……レイ、それは紅茶のポットではなく、ミルクピッチャーだ」
これはやっぱりおかしいですわ。
レーネがいなくなってからこちら、平民には少し無理をさせてしまったかもしれません。
少し休暇を与えるべきかしら、などとわたくしは珍しく彼女のことを心配するのでした。
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