第四章 わたくしと求愛してくる平民
第35話 お姉様からの手紙
「ちょっとあなた。私に日焼けをさせるつもりですの? 日傘がずれていますわよ?」
季節はもう初夏になろうとしています。
時刻は夕刻。
今は学院騎士団の仕事を終え、寮に戻る最中です。
陰ってはきたもののまだまだ強い日差しの中、わたくしはぼうっとしている平民を咎めました。
これがレーネだったらこんなことは――いえ、それは言ってもしょうがないことですわね。
「あ、申し訳ありません、クレア様。ちょっとクレア様をガン見しすぎて、手元が狂いました」
平民が慌てて日傘の位置を直しました。
「そのガンミとやらが何か知りませんけれど、仕事はきちんとして頂けるかしら」
「申し訳ありません」
「……ふん」
悪態の一つもついてみますが、どうも調子が出ません。
理由は明らかです。
レーネという存在を失ったこと――それに尽きます。
カトリーヌとはまた別の意味で姉妹同然に育った相手がいなくなったのです。
いることが当たり前の存在がいないというのは、やはりダメージが大きかったのでした。
レイの肩にいるレレアがこちらを心配げな様子で見つめてきます。
「クレア様」
「なんですの?」
「学院が終わったら、何か甘い物でも作りましょうか」
平民がなぜか急にそんなことを言い出しました。
「なんですの急に。別にいりませんわよ」
レレアは言葉が分かるのか、甘い物と聞いてぴょんぴょん飛び跳ねましたが、わたくしの心はあまり動きません。
「クレア様の大好きなクリームブリュレでも?」
「……あれはレーネに上げたレシピでしょう」
平民の作ったクリームブリュレを、レーネと一緒に食べた日のことを思い出します。
もう、あんなことも出来ませんのね。
などと、少しセンチメンタルな気分でいると、
「クレア様」
「なんですの」
「元気出して行きましょう」
「わたくしは別に元気ですわよ」
それがいくら空元気だったとしても、平民に泣き言を言うなんてあり得ないのですから。
わたくしはぷいと顔を背けました。
すると、平民は少し思案するような顔をした後で、
「クレア様」
「なんですの」
「ハグしていいですか?」
「はあ!?」
そんな素っ頓狂なことを言い出しました。
いえ、この平民の言動が突飛なのは今に始まったことではありませんが。
「いいわけないでしょう。主人にハグを求める従者がどこにいますの」
「え? ここに?」
「だから不思議そうな顔するんじゃありませんわよ!?」
全くもう。
でも、平民とバカな話をしていたら、少しだけ調子が戻ってくる感じがしました。
レーネがいなくても、しっかりしなくてはね。
でないと、次に彼女に会った時に笑われてしまいますわ。
「クレア様」
「なんですの。……って、このやりとり三回目ですわよ?」
「いえ、四回目です」
「細かいですわよ! 良いから用件を仰い!」
「好きです」
直球の好意に内心少しドキリとしました。
レーネの包み込んでくれるような愛情とはまた別に、この者はこの者なりに、わたくしを案じてくれているのでしょうか。
それにしたってちょっと態度と言動がふざけすぎではありますけれど。
「はいはい。わたくしは嫌いですわよ」
内心の動揺を押し殺しつつ、わたくしはおざなりに返事をしました。
「おかしいですね。今の流れならいけると思ったのですが」
「どこをどうしたらそんな発想になりますの!? 大体、いけるってなんですのいけるって!」
「え、それを言わせるんですか? やだクレア様。いやらしい」
「あなたが言い出したんですのよ!?」
平民のおバカに仕方なく付き合っていると、やがて寮の自室に着きました。
平民が鍵を開けて扉を開けます。
カトリーヌは例によって姿を消しているようです。
いつになったら、彼女をこの狭い部屋から解き放って上げられるのかしら。
などと考えていると、
「クレア様、お手紙が届いております」
平民が一通の封筒を差し出しながらそう言いました。
「差出人は?」
「マナリア=スース様です」
「! お姉様から!?」
思いもよらない名前を聞き、わたくしは驚いてしまいました。
淑女にあるまじき勢いで平民から封筒をひったくると、差出人を確かめます。
そこには見覚えのある優雅な文字で、確かにマナリア=スースと書かれています。
封蝋の紋章もスース王家のもの。
間違いありません。
「開けてちょうだい」
「かしこまりました」
封筒を再び平民に渡して開封させました。
香水を振りかけてあるのでしょう。
中には清涼な香りのする便箋が一枚。
「……」
わたくしは食い入るようにそれを読みました。
文面には、しばらく連絡を取らなかった事へのお詫びと、バウアーへ留学しに来ている旨が書かれています。
「クレア様、食堂に移動しませんと」
「先に行きなさいな。わたくしはこの手紙を読んでからにします」
「でしたら、私も待ちます」
「……」
平民が何やら言っていましたが、わたくしの頭の中はお姉様のことでいっぱいになっていました。
「お姉様が……学院にいらしているのですね」
手紙を読み終え、わたくしはそう呟きました。
「お姉様とは、そのマナリア様という方のことですか?」
「そうですわ。スース王国の第一王女様ですのよ。わたくしの憧れの女性ですわ」
「はあ」
平民は気のない返事でしたが、わたくしは続けました。
「バウアー王国への留学ということで、学院にいらっしゃっているそうですの。お手紙は連絡が遅くなったことのお詫びでしたのよ」
「へー、そうですか」
「今、なにか棒読みというか、不満そうな声を出してませんでしたこと?」
「気のせいです、クレア様」
何か気に障るようなことをわたくし言ったかしら。
いえ、平民ごときにそんなことを気にする必要はないのですけれど。
レレアが不思議そうな顔で平民の顔を覗き込んでいます。
「そろそろ食堂に参りましょう、クレア様」
「そうですわね。ああでも、胸が一杯であまり食べられないかも知れませんわ」
レーネという大切な存在が去ってしまったことは大変残念ですが、こうして新たに結ばれるえにしもあるのです。
人生、悪いことばかりではありません。
「あ、そうですか。早く行きましょう」
「あなた、やっぱり何か不満そうですわね?」
「いーえ? 別にー?」
口調とは裏腹に、平民の表情は不満そうです。
「ひょっとして妬いてるんですの?」
「はい」
「即答!?」
ひょっとしたらとは思いましたが、本当にそうでしたの!?
「私はクレア様をお慕いしていると申し上げたではありませんか」
「その冗談でしたら聞き飽きましたのよ?」
「どうしたら本気だと分かって頂けるのですか?」
「どうしたって無理ですわよ……。ああでも――」
そこでわたくしはとある詩を思い出しました。
「フロースの花を天秤に捧げて下さる? その時、あなたの想いの真実は示されるでしょう」
大好きな一節をそらんじて詠うように言うわたくしに、平民は冷めた視線を向けてきます。
レレアはよく分からない、というような様子でしたが。
「アモルの詩ですか」
「あら、知っていたんですのね」
アモルの詩というのは、バウアー王国に古くから伝わる伝説のことです。
伝説の内容はこういうものです。
ある背の高い男性と背の低い男性が一人の巫女に恋をしました。
男性たちはいずれも国の有力者で、互いに自分の方が女を想っていると競い合いました。
男性たちが恋にうつつを抜かしていると、国の政治は乱れ、巫女は思い悩むことになります。
男性たちが争いをやめるように巫女が神に祈ると、神は一つの天秤を授けこう告げました。
『天秤に供物を捧げよ。天秤が指し示す者が、お前の夫となる者である』
神が示した天秤の采配により、背の低い男が巫女の夫となり、恋に破れた背の高い男は優れた王になったといいます。
わたくしがそらんじたセリフは、巫女が神の天秤を示して男性たちに言った言葉なのでした。
「クレア様もああいう物語を好まれるのですか?」
「嫌いではありませんわよ? ロマンチックじゃありませんの」
そう言えば、わたくしの初恋はマナリアお姉様でしたわねなどと思いながら、わたくしはそう言いました。
まあ、それについては色々と誤解もあったのですが。
平民はと言えば、顔を渋くして、
「私も恋物語は嫌いじゃないですけど、アモルの詩はあまり好きじゃありませんね」
「あら、どうしてですの?」
わたくしは首をかしげました。
四六時中色ぼけしているようなこの者のことですから、てっきりアモルの詩も好きかと思いましたのに。
「だって、巫女が最初から選べばいいだけの話じゃないですか。それを男たちに競わせるなんて、悪女ですよ悪女」
平民は身も蓋もないことを言いました。
いや、それはそうかもしれませんけれど、そうじゃあありませんでしょ。
「それは違いますわよ」
平民は恋する乙女の気持ちが分かっていませんわ。
わたくしは彼女を教え諭すように続けます。
「巫女はきっと選べなかったんですわ。本当の恋に落ちたら、誰がどのくらい好きかなんて、簡単に割り切れるものではきっとないんですわ」
我ながら少し少女趣味が過ぎるかも知れないとも思いましたが、でもきっと、この推論は間違っていないと思うのです。
「自分が誰をどれくらい好きかなんて分からない。出来ることなら誰かに教えて欲しい。恋する者の切なる思いが、この詩には込められているに違いありませんの」
わたくしだって、そういう恋がしてみたい。
誰かから思い悩むほどに恋い慕われてみたい。
そう思います。
「クレア様」
「なんですの……って、今日何度目ですのよ、このやりとり」
「お腹がすきました」
「あ・な・た・と・い・う・人・はー……!」
色気もへったくれもない平民の言葉に、わたくしは一瞬かっとなりましたが、
「まあ、あなたのように恋心を冗談めかす人には分からない機微ですわね」
平民にアモルの詩のようなロマンスを期待するだけ無駄と悟って、さっさと食堂へ歩き出しました。
「冗談じゃないんですけれどねー」
などという声が背後から聞こえましたが、わたくしは騙されません。
(どうせあなたもレーネのように、いつかはわたくしの側を離れていくのでしょう?)
大切な人を失った傷は、わたくしを酷く臆病にしていました。
そのことを自覚するのは、もう少し後になってからのことでしたが。
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