第34話 最愛の従者へ

 オルソー家がいよいよ国外追放処分になるという日、わたくしは平民を連れてアパラチアとの国境にある関所の近くに来ていました。

 レーネたちが王国を離れる際に通るこの関所は、王都から馬車で半日以上かかります。

 わたくしと平民はレーネを見送るため、学院の講義を休んでここまでやって来たのです。


 オルソー家は財産のほとんどを没収され、最低限の物品だけを持ち遠い親戚を頼ってアパラチアに移り住むそうです。

 アパラチアはバウアーと古くから国交のある友好国で、肥沃な国土を持つ農業国でもあります。

 政情の安定した国で、裕福とは言わないまでもそこそこの国力を持っています。

 移民や難民にも比較的友好的なので、一からやり直すには丁度いい国と言えるでしょう。


 隣国とはいえ、国をまたいで移動するのはそう簡単なことではありません。

 今日の別れが、恐らく今生の別れとなることでしょう。


 陰鬱な気分とは裏腹に、上を見上げると雲一つ無い青空が広がっていました。

 わたくしは何故か悔しくなって、自分の影を日傘でつつきました。


「いい天気ですね」

「そうですわね」


 関所を観察していると、オルソー家の一団が見えました。

 関所はアパラチアとバウアー王国を繋ぐ、一番大きな街道に設置された砦のような建物です。

 建物には巨大で頑強な門があり、有事にはここを閉めて敵の侵入を防ぎます。


 オルソー家の人々は今そこで検問を受けています。

 王国において魔法石の採掘と流通で商いをしていたオルソー家ですが、その技術を国外に持ち出すことは禁じられています。

 軍事技術にも繋がる魔法に関わる事柄なので、当然と言えば当然のことです。

 もちろん、物品や書類の類いしか調べることは出来ので、人の頭の中までどうこうすることは出来ません。

 だからといってオルソー家の誰かが魔法石の知識を武器にアパラチアで商いを出来るかと言うと、それはかなり難しいでしょう。

 王国を刺激したくないアパラチア政府が、それを監視しているからです。

 つまり、オルソー家は魔法石以外の部分で生業を探さなければならないのです。


「オルソー家は、アパラチアでやっていけるでしょうか」

「どうかしらね。当主のバートレーは有能な者だと聞いていますわ。王国での地位ほどを望むのは難しくても、日々の糧を稼ぐくらいはどうにかするんじゃないんですの?」


 平民の言葉に答えつつ考えるのは別のことです。


「レーネとランバート様はもっと厳しいでしょうね」

「……そうですわね」


 二人は禁断の恋の結果として、一族郎党をあわや皆殺しの憂き目に遭わせるところでした。

 当然、報いを受けなければなりません。

 アパラチアに移住後、オルソー家はレーネとランバートを離縁すると宣言しています。

 二人は家に頼ることなく、新しい国で生きていかなければならないわけです。

 家業を継がずに生きる――その意味するところは途方もなく重いのでした。


「それでも、生きていくしかないんですわ。生きてさえいれば、なんとかなりますもの」


 それはきっと、事実ではなく願望でした。

 そうあって欲しい、というわたくしの。


「検問が終わったようです」

「……」


 平民の言葉通り、オルソー家の人々が門の方へと移動して行きます。

 オルソー家を知る者が見れば、驚くほど少ない人数です。

 使用人のほとんどを解雇したため、ここにいるのはほぼ血縁者だけなのです。

 数にして二十人もいません。


 その中に、レーネとランバートがいました。


「レーネ!」


 彼女の姿を目に留めると、平民は鉄柵に駆け寄って声を張り上げました。

 レーネも気がついてこちらに近づいて来ます。


「レイちゃん……。それにクレア様も」

「お別れを言いたいってクレア様が」

「そんなこと言ってませんわ。あなたがどうしても連れいて行けと駄々をこねたんじゃないんですの」

「あはは……。しばらくぶりだけど相変わらずみたいで安心したよ」


 レーネは小さく笑いました。

 力のない笑いです。

 無理もありません。


 しばらく、沈黙がありました。

 わたくしはそれに耐えきれず、まず確かめておきたかったことを聞いてみました。


「レーネ。わたくしのことを恨んでいまして?」

「!? とんでもありません!」


 おずおずと尋ねたわたくしに、レーネは慌てたように言いました。


「オルソー家は本来取り潰しになっていてもおかしくありませんでした。家族が今もこうして命を繋いでいるのは、クレア様たちの助命嘆願のおかげです」

「それでも、あなたたちを追い詰めたのはわたくしですわ」


 わたくしは間違ったことをしたとは思っていません。

 何度同じ場面に遭遇しても、同じ選択をしたと自信を持って言えます。

 それでも、彼女たちを今の状況に追いやったのはわたくしに他なりません。


 もしも。

 もしもの話ですが、わたくしが彼女たちの悩みにもっと親身に耳を傾けていたら。

 あるいは違った道もあったのかもしれない、そう思えてなりませんでした。


「いえ。私たちの暴挙をとめて頂いたことにも感謝しています」

「妹も私も、ようやく目が覚めたのです」


 重ねて言うレーネに、ランバートもやって来て言い添えました。


「恋は盲目と言いますが、私たちはあまりにもお互いのことしか見えていなかった。許されない恋を嘆くあまり、視野が狭まっていました」


 その結果がこのありさまです、とランバートは苦渋をにじませた表情で言いました。


「実の妹を愛しているという禁じられた思いを、誰かに肯定されたかった。そこをあの男につけこまれたのです。本当に痛恨の過ちです」


 血を吐くように言ったランバートの言葉に、レーネも頷きました。


「レイちゃん、気をつけてね。あなたもクレア様を思う気持ちを、誰かに利用されないように」

「うん」

「ランバート、レーネ。移動だ。行くぞ」


 オルソー家の誰かがレーネたちを呼んでいます。

 いよいよ出発のようです。

 わたくしは何か言わなければと思いましたが、気ばかりがせいて言葉になりません。

 まごまごしている間に、平民がレーネの手を握ってなにか言っています。

 わたくしも……わたくしも……!


「それではお別れです。クレア様、レイちゃん、お世話になりました」

「じゃあね、レーネ」

「……」


 そう言って、レーネは深々と頭を下げました。

 結局、わたくしは何も言えませんでした。

 レーネは寂しそうに微笑んでから振り返って歩いて行きます。


 二人の姿が遠ざかっていきます。


「クレア様。いいんですか、お別れを言わなくて」

「……」


 言いたいことは山ほどありました。

 今まで世話になったお礼や、これからの叱咤激励、その他にももっともっと、もっと!

 でも、考えはまとまらず、口を突いて出そうなのは待ってと呼び止める言葉ばかり。

 そんなこと、叶うはずもないのに。


 その時、ふとカトリーヌとの会話が脳裏に浮かびました。


『難しいかも知れないけどさー』

『?』

『笑ってお別れできるといいねー』

『……そうですわね』


 そうして、わたくしは考える前に、叫んでいました。


「レーネ!」


 わたくしの声が届いたのか。

 ふいに、去りゆくレーネが驚いたように振り向きました。

 気のせいか、そのまなじりには光るものが見えた気がします。


「さよならは言いませんわ! いつかまた会いましょう! その日まで、どうか健やかで!」


 わたくしの言葉は、もう門をくぐろうとしている彼女に届いたでしょうか。

 レーネは笑ったように見えましたが、それはもしかしたら、わたくしの願望が見せた幻だったかもしれません。

 レーネたちの姿はやがて完全に見えなくなりました。


「行っちゃいましたね」

「……」


 平民がそんなことを言います。

 そんなこと分かっていますわ、とわたくしは言おうとしましたが、声になりませんでした。

 少しでも口を開けば、涙がこぼれそうだったからです。


「クレア様」

「なんですの?」


 こっちは今、色々と耐えている最中ですのに。


「抱きしめていいですか?」

「いいわけないでしょう。帰りますわよ」


 かろうじてそれだけ言うと、わたくしは平民にきびすを返してすたすたと歩き始めました。


「こんな時まで強情なんだから」


 そんな呟きが背中を追ってきました。

 ふん、何とでも言いなさいな。


「クーレーアーさーま!」

「きゃあ!? なにするんですの! はーなーしーなーさい!」

「離しませんけど、代わりに話します」

「わけの分からないことを言うんじゃありませんわよ!」


 わたくしが振りほどこうとすると、平民は殊更に強い力で抱きしめてきました。


「泣いたっていいんですよ?」

「! ば、馬鹿じゃないんですの? たかがメイドが一人いなくなっただけですわよ? そんなことでどうしてわたくしが――」

「クレア様、私は今クレア様の背中側にいます。なので、クレア様の顔は見えません」

「だから、わたくしは!」


 さらにぎゅうっと強く抱きしめてきながら、平民は続けました。


「レーネとお別れしたくないですね」


 わたくしの本音そのままの言葉を言われ、瞳から涙がこぼれ落ちました。


「本当に、世の中ままなりませんね。恋愛一つ、自由に出来やしない」


 それは自分のことも含んでいたのでしょうけれど、この時のわたくしはそれに気がつく余裕もありませんでした。


『レーネ=オルソーと申します。よろしくお願いします』

『ふん。名前なんてどうでもいいですわ。どうせ一週間と持たずに辞めるんでしょうから』


 遠い日の出会い。


『あの、クレア様。私は使用人着で結構ですので……』

『ダメよ。わたくしに仕える者が、ドレスの一着も持っていないなんて許せませんもの』


 日々を共にし。


『あなたは平民ですわ。でも、最も貴族に近い平民でもありますの。わたくしの側仕えとして恥ずかしくない、最高の平民、最高の使用人にあなたはなりなさい』

『私、レーネ=オルソーは、クレア様の名に恥じない、立派な使用人になることを誓います』

『結構。励みなさいな』


 やがて心を交わし。


『お辛いでしょうけれど、死んだら、などと仰いませんように。それこそ、奥様が悲しまれますよ』

『わたくし、お母様とケンカしたまま、お別れになってしまいましたわ……。ごめんなさいが言えませんわ……』


 辛いときも。


『レーネ、レーネ! 私、王子様に出会いましたの!』

『それはようございました。それで、その運命の方のお名前はなんと仰るのですか?』


 嬉しい時も。


 わたくしたちは、ずっと一緒に歩んできました。

 その歩みは、今ここで分かたれました。

 でも、それは永遠の別れではきっとありません。


 わたくしは、そう信じることに決めました。


「……平民のくせに本当に生意気ですわね、あなた」


 気持ちが落ち着くと、わたくしは平民に憎まれ口を叩きました。


「はい、生意気なのでお仕置きして下さい」

「嫌ですわよ。どうせあなたのことですから、ご褒美に脳内変換するのでしょう?」

「クレア様が私への理解を深めて下さった。これはもう結婚するしかありませんね!」

「しませんわよ!」


 もうこれで、普段のわたくしです。

 平民はわたくしの悪態を喜んで受け入れつつ隣に並んで来ました。


「また、会いたいですね」


 平民が関所の方を一度だけ振り返って呟きました。


「会えますわ、きっと」


 それは確信に近い願いでした。

 遠く離れていても、わたくしたちはこの同じ青空の下で生き続けているのですから。

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