第33話 後悔しないために
「それじゃー、死罪とお家取り潰しは免れたんだー?」
「ええ、ロセイユ陛下とセイン様のお陰ですわ」
ロセイユ陛下との謁見を追えたその日の夜、わたくしはまたカトリーヌとベッドで話をしていました。
部屋の灯りはもう落とされていて、暗い中に二人の話し声とカトリーヌが飴を舐める音が聞こえていました。
「ちょっとカトリーヌ。歯を磨いた後で飴を舐めるのはやめなさいな。虫歯になりますわよ?」
「うん、そうだねー」
「そうだねー、じゃありませんわよ。さっきキャンディポットを覗きましたわよ? もう半分近く無くなってるじゃありませんのよ」
かなり大きなキャンディポットだったはずなのですが、かなりの数がなくなっていました。
「だって美味しいんだもん」
「……それはようございましたわね」
止めても無駄と悟った私は、説得を諦めて布団を被ろうとしました。
「それはそれとして、本当にいいのー?」
カトリーヌが声を掛けてきたのは、そのタイミングでした。
彼女はいつものように逆さまになって、わたくしに語りかけてきます。
「何がですのよ」
「本当に、レーネちゃんの見送り、行かないつもりー?」
「……ええ」
わたくしは難しい顔をしつつ頷きました。
レーネにもやむにやまれぬ事情があったのかもしれませんが、それでも彼女たちがしたことは許されるべきことではありません。
死罪とお家お取り潰しを避けられたのは、奇跡に近いような温情です。
それだけで十分でしょう。
元雇い主として責任は感じますが、それとこれとは別問題です。
今さら彼女に会おうとは、わたくしは思いませんでした。
「ホントは見送りに行きたいくせにー」
「うるさいですわよ、カトリーヌ。わたくしはもう寝ます」
「逃げたー」
「……あなた段々、あの平民に似てきていませんこと?」
もっとも、カトリーヌは昔からこういう所もありましたが。
「ねえ、クレアちゃん」
「なんですのよ」
「会わないと、絶対後悔するよー?」
「しませんわよ」
「する、絶対する」
「何を根拠に」
わたくしが食ってかかると、カトリーヌは何故か辛そうに笑いました。
彼女がそんな笑い方をするところを、わたくしは初めて見ます。
「だってクレアちゃん、一度それですっごく後悔したことがあるじゃない」
「――!」
カトリーヌは婉曲的な物言いをしましたが、わたくしにははっきりと分かりました。
彼女はわたくしとお母様との別れのことを言っているのです。
「それは……」
「伝えたいことがあったのに、伝えられなかった――そんな後悔、一度で十分じゃなーい?」
「……」
カトリーヌは穏やかに言います。
彼女のその柔らかな語り口が、わたくしの頑なな気持ちを解きほぐして行きます。
「でも、そんなこと許されませんわ。大罪を犯した使用人との別れを惜しむなど、他の貴族に知られたら何を言われるか……」
「そんなこと、今さら気にするクレアちゃんだっけー? クレアちゃんだって知ってるでしょ、陰で自分が何て呼ばれてるかー?」
――悪役令嬢。
口さがない者たちの中には、わたくしのことをそんな風に呼ぶ者もいます。
「そんなどうでもいいことよりも、大切なことがあるでしょー?」
「見栄や対面は貴族にとってどうでもいいことではありませんわ」
「それはそうかもねー。でも、優先順位ってあるじゃなーい?」
「……」
つまり問題は、わたくしの中でレーネという存在がどれだけ大きいか、ということなのでした。
「そんなの……」
「そんなのー?」
「そんなの、行きたいに決まっているじゃありませんのよ」
「うん、よく言えました」
本音を吐露したわたくしに、カトリーヌは優しく笑いかけてきました。
「レーネちゃんもきっとそう思ってるよー。来て欲しいけど、来てくれるわけがない。ううん、来ちゃいけないとすら思ってると思う」
「だったら――!」
「だから、行こう? 行って言葉を掛けて上げなよ。きっとそれが一番いいよ」
カトリーヌはにっこり笑いました。
「でも、今さら何を言ったらいいのか……」
「そんなの、何でもいいんだよ。これまでよく仕えてくれましたーとか、向こうでも元気でーとか、そんな一言で十分だよー? でも、会わずにお別れは絶対ダメー」
「そうかしら」
「そうだよ」
彼女に言われると、本当にそんな気がしてくるから不思議です。
「一人で行く自信がないなら、レイちゃんを連れて行くといいよー」
「あの平民を?」
「うん。彼女なら、上手いこと間を取り持ってくれるんじゃないかなー。いざとなると、クレアちゃんへたれだしー?」
「ずいぶんな言われようですわね」
でも、あながち否定出来ないのが悔しいですわ。
「……きちんと、お別れできるかしら」
「出来るよ、きっと出来る。だってクレアちゃんとレーネちゃんだもん。近く二人を見てきたウチが保証して上げる」
「あなた、ここ数年はほとんどレーネの前で姿を消していたくせに」
「あはは、それについてはごめんてー」
カトリーヌはおかしげに笑います。
釣られて、わたくしも少し笑いました。
「泣いても笑ってもいいんだよー。きちんとお別れすることが大事なのー。二人がそれを乗り越えて、明日へ進むために必要な儀式だと思ってー?」
「今日はやけに饒舌ですのね、カトリーヌ?」
普段はそれほど沢山喋る方ではありませんのに。
わたくしが指摘すると、カトリーヌは一瞬はっとした顔をしました。
わたくしはおやと思いましたが、彼女がすぐに笑顔に戻ったので、それは気のせいかと思ってしまいました。
「そりゃあ、大事な大事なクレアちゃんのことだものー。饒舌にもなるよー」
「本当かしら」
「ホントホント。精霊神様に誓ってもいいよー?」
「別にいいですわよ」
「そこをなんとかー」
「なんであなたが頼み込む流れになってますのよ」
「てへへー」
相変わらず、カトリーヌはつかみ所がありません。
でも不思議と、彼女がわたくしのことを案じてくれていることだけは、素直に信じられるのでした。
「わたくしのことを大切に思ってくれるのなら、カトリーヌも一緒に来て下さらない?」
「それはムリー」
「何でですのよ」
「お父様が許して下さるわけないよー。あの人、体面と体裁だけで生きているような人だしー?」
「言いたい放題言いますわね」
「でも、事実だから」
「……そうですわね」
言いながら、わたくしは先日お目に掛かったクレマン様のことを思い出していました。
あの方は確かに対面や体裁にうるさい方ですが、それだけではありませんでした。
貴族文化が生み出した亡霊――老害という一言では片付けきれない、貴族の悪しき慣習の権化とも言うべき怪物です。
「クレアちゃん、また難しい顔してるー」
「何でもありませんわよ」
「まあ、何考えてたかは大体分かるけどー、あんまり想像で敵を大きくしない方がいいよー?」
「……肝に銘じておきますわ」
わたくしがそう言うと、カトリーヌはちょっと真面目な顔になって、
「で、クレアちゃん、お見送りには行くよねー?」
「……」
「クレアちゃん」
「……分かりましたわよ。行きます」
「うん、それでこそクレアちゃんだー」
「全く、あなたには敵いませんわ、カトリーヌ」
「もっと褒めてくれていいのよー?」
「褒めてませんわよ」
「だよねー」
ケラケラ笑って、カトリーヌは頭を引っ込めました。
寝る体勢に入るようなので、わたくしも掛け布団を引き上げました。
「難しいかも知れないけどさー」
「?」
「笑ってお別れできるといいねー」
「……そうですわね」
それから数日後、とうとうオルソー家が国外追放される日が決まったという知らせが、わたくしの元に届いたのです。
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