第32話 カンタレラ

 迫り来る凶刃に一瞬、覚悟を決めたわたくしですが、わたくしを殺めるはずの刃は力強い腕で食い止められていました。


「セイン様!」

「……ぎりぎりだったな」


 黒仮面のナイフはセイン様の腕に突き立てられていました。

 血がしたたり落ちていますが、セイン様は引く様子はありません。


「これはこれは、落ちこぼれ王子様じゃありませんか」

「……賊か」


 セイン様は黒仮面の言葉には構わず、魔力を込めた拳を繰り出しました。

 黒仮面は躱そうとしましたが、仮面を浅くかすめたようです。

 仮面が欠けて、男の素顔がちらりと覗きました。

 よくは見えませんでしたが、暗闇に赤い瞳が光を放っていたのだけは印象的でした。


「おやおや。完全に見切ったと思ったのに、なかなかどうしてやるねぇ」

「……じき軍もやって来る。観念するんだな」


 軍にも優秀な魔法使いが沢山在籍していますが、セイン様の身体強化魔法は抜きん出ています。

 ご本人の足も速い分、先に着いたのでしょう。

 だとしても、王子ともあろう身分の方が供も触れずに先行してしまうのは頂けません。


「そうかいそうかい。じゃあまあ、逃げられるだけ逃げてみるかねぇ」


 相変わらず場違いな明るい声で、黒仮面をつけていた男は言います。


「……逃げられると思うのか?」

「まあ、何とかなるんでない? それに、目的は達せられそうだし」

「……?」

「貴族を出来るだけ殺すってのが、まあ当初の狙いだったわけだが……思わぬ収穫だったな」


 わたくしが黒仮面をつけていた男の言うことを怪訝に思っていると――。


「……ぐっ」

「セイン様!?」


 セイン様が突然膝を突きました。

 わたくしは慌てて駆け寄ります。

 セイン様のお顔は真っ青でした。


「……毒……か……」

「ご名答。まだ解毒法が見つかってない特別製だ。よーく味わってくれよな」


 楽しげに言い捨てて、男は夜闇の中に消えました。

 遅れて軍の兵士が駆けつけ、仮面以外の男たちとランバート、レーネを捕縛しました。


 でも、わたくしはそれどころではありません。


「セイン様! セイン様!」


 倒れたセイン様にすがりついて何度も名前を呼びます。

 でも、全く反応がありません。

 呼吸が荒く、額にはびっしりと汗をかいて、時折苦しそうに声を漏らしています。

 肌には黒く禍々しい斑点が浮き出てきていました。


「医者を! 早く医者を呼びなさい!」

「クレア様、離れて下さい」

「でも、セイン様が!」


 このままではセイン様が死んでしまう――そう思った私は完全に取り乱していました。

 わたくしとの数少ない思い出が走馬灯のように脳裏をよぎります。

 こんなことなら、もっと積極的にアプローチしておけばよかった。

 後悔しても、もう遅いのに。


 しかし、平民の言葉は予想外のものでした。


「大丈夫です。解毒出来ます、多分」


 信じられない思いでしたが、わたくしは平民にセイン様を任せました。

 平民が水属性魔法を構成してかけると――。


「! 斑点が!」


 セイン様の肌を冒していた斑点は徐々に薄れ、意識こそ戻ってはいないものの呼吸も穏やかになりました。


「よくやりましたわ、平民!」

「効いて良かったです」


 思わず平民を抱きしめました。

 わたくしは今になって初めて、平民をメイドにして良かったと心から思いました。


「やっぱり、ナー帝国の毒ですね」

「なんですって!? じゃあ、あの者はナー帝国の者ですの!?」


 平民はこくりと頷きました。

 ナー帝国は王国の東に位置する軍事大国です。

 バウアーとは領土問題を巡って度々紛争を起こしています。


「どうしてあなたがそんな知識を……」

「それについてはノーコメントです」

「大体、あなたはどうしてあんな場所に一人でいたんですの? まるでレーネたちの裏切りを最初から知っていたみたいに」

「ランバート様を怪しんでいましたから。レーネのことはさすがに驚きましたが」


 一見、筋が通っているように思えますが、話が出来すぎているような気がしました。

 考えたくはありませんが、この者ももしかして、帝国のスパイという可能性は?


「あなた……もしかして――」

「……う……ん」


 わたくしが言いかけたところで、セイン様が目を覚ましました。


「セイン様!」

「……クレア……か。無事だったんだな。よかった」

「何を仰いますの! 危険な目に遭われて……。御身にもしもの事があったらどうなさるおつもりでしたの!」


 わたくしはセイン様の胸にすがりついて泣きました。

 良かった……ご無事で本当に良かった……。

 セイン様は困ったようにしていましたが、やがてわたくしを抱擁して頭を撫でてくれました。


「……心配を掛けたようだ」

「本当に……セイン様が亡くなったら、私……私……」

「……すまん」

「あのー、お取り込み中すいません」


 ちょっといい雰囲気になりかけていたところで、平民が極めて空気を読まない発言をしました。


「とりあえず、移動しませんか。ここ寒いです」

「あ な た ね ぇ ……!」


 きっとわたくしは酷い顔をしていたことでしょう。

 でも、実は怒ったフリをして照れ隠しをしていたのです。

 本音では、平民にとても感謝をしていたから。


「どうやら一通り片付いたようだな」


 ロッド様たち学院騎士団の残りの面々もやってきました。

 セイン様は救護班に連れられて治療院に運ばれるようです。


 ロッド様が厳しい表情を浮かべて、わたくしと平民に向かって言います。


「話を聞かせて貰おうか」


 ◆◇◆◇◆


「――ということだ」


 わたくしたちは学院騎士団の会議室に集まり、一連の騒動についてロッド様から説明を受けていました。


 事件は急速に収拾して行きました。

 学院には多数の市民がなだれ込んでいたようですが、平民運動家の中から犯罪者が出たという事実が明るみに出ると、大義面分を失い解散して行きました。

 中庭事件から急激な盛り上がりを見せていた平民運動は、一旦、下火になっているようです。

 平民の貴族に対する不満は今なお根強いようですが、それでもこんな事件があった直後です。

 みな自分達の分を弁えることを思いだし、自重しているように見えました。

 あちこち壊された学院の一部に爪痕は残りましたが、それ以外、学院は嘘のように静けさを取り戻しました。

 今は修理に当たる建築ギルドの職人が木材やレンガを運びこむなどしている光景が見られますが、これもその内に落ち着くでしょう。


 余談ですが、キマイラはその実用性に問題ありと判断され、開発計画が中断されました。


「……」


 ロッド様の話を聞きながら、わたくしは時折自分の左後ろががらんとしていることに胸を痛めていました。

 そこは、いつもレーネが控えていた場所です。


 レーネとランバートは国家反逆罪で逮捕されました。

 彼女たちも脅されてはいたのものの、外患誘致と王族・貴族の殺人未遂を行ったことは事実。

 貴族なら減刑も考慮されたかも知れませんが、彼らは平民です。

 情状酌量があったとしても良くて死罪、悪ければ一族郎党皆殺しでしょう。

 オルソー商会は一夜にしてその地位を失いました。

 魔法石の採掘・流通権は国に接収され、今は国の沙汰を待っている状態です。


「オルソー家は……やはり取り潰しですの?」


 分かりきったことではありますが、わたくしはロッド様に尋ねずにはいられませんでした。


「その可能性が高いな。あいつらにも事情があったんだろうが、さすがにやっちまったことが大きすぎる」

「……そうですわよね」


 会議室が沈黙に沈んだ。

 わたくしだけではありません。

 ランバートは学院騎士団の人間から信頼が厚かったのです。

 特に彼を右腕と頼みにしていたローレック様の落ち込み様は、見ていて痛ましいものがありました。


「そうだ、クレアとレイ。お前らには褒美が出るらしいぞ」


 暗い雰囲気を打ち払うように、ロッド様が明るい声でそう言いました。


「褒美……ですの?」

「ああ。事件の首謀者をいち早く見抜いてキマイラを倒した。おまけにレイに至っては王子であるセインの命を救ってる。これで褒美が出ない方がおかしいだろ」

「近々、王宮に呼ばれると思うよ。陛下が直々に会って褒美を取らすそうだから」


 わたくしの疑問にロッド様とユー様がそう仰います。


「わたくしは大したことしてな――もが」

「そうですか。名誉なことです。ありがたく頂戴します」


 わたくしが事実を述べようとすると、平民がわたくしの口を塞いでそんなことを言いました。


「ちょっと、何をしますのよ!」

「クレア様、私にいい考えがあります」


 平民はわたくしにあることを耳打ちして来ました。


「なるほど……やってみる価値はありますわね」

「でしょ?」


 それは暗闇に差す、一筋の光明でした。

 平民の思いつきなのは癪ですが、わたくしはそれに賭けてみることにしました。


 そして数日後、王宮からの呼び出しがありました。

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