第31話 キマイラ

(……ん……なんですの……うるさいですわね……?)


 まどろみの中、わたくしの耳に飛び込んでくる会話がありました。


「もういいでしょう。諦めて下さい、ランバート様、レーネ」

「……お兄様」

「……」


 睡魔から覚醒しようとして、わたくしは不穏な空気を感じ取り、狸寝入りを続けることにしました。

 両側の肩を何者かに担がれ、首には冷たい感触があります。

 わたくしはそっと薄目を開けて辺りを観察すると、わたくしの左右に見知らぬ男、すぐ近くにももう一人、そしてレーネとランバートが平民の近くにいるようでした。


(これは一体……?)


 わたくしは記憶の糸を辿りました。

 眠る前、平民がおかしなことを言っていたのを思い出します。

 確か部屋にこもって出てくるなとかなんとか。

 わたくしが拒否すると、平民はわたくしに何かの魔法を掛けて眠らせました。

 するとこの状況は平民のせい?


 別にあの者を信頼しているとかそういうことではありませんが、何となく、あの者はこんな回りくどいことをするような人ではない気がします。

 でも、だとすると一体……?


「おいおいおい、そんなんじゃ困るんだよなー」


 男たちの一人が場違いなほど明るい声でそう言いました。

 こちらからは見えませんが、顔に何かつけているような感じでした。


 察するに、あの男がこの事件の首謀者でしょうか。


「……魔鈴が無くては、どうにもならない」

「ちょいと貸せよ」


 男はうなだれるランバートから、鈴のようなものを受け取りました。

 あれは……確か彼が研究していた、魔物を操るという魔道具。

 何故か真っ二つに壊されています。


「……戻れ」

「!?」


 男の手のひらで、二つに割られていた鈴が時間を巻き戻したようにくっついていきます。

 恐らく魔法なのでしょうが、あのような魔法は見たこともありませんでした。


「これでいいだろ」

「……ああ」


 ランバートも目を疑っているようです。

 しげしげと受け取った鈴を確かめていますが、どうやら問題はないようでそれを起動しようとしました。


「させません!」

「レイちゃん、動かないで! クレア様を傷つけたくない!」


 平民がそれを阻止しようとすると、レーネが鋭い声を発しました。

 わたくしは首筋に鋭い痛みを感じました。

 どうやら首に当てられていたのはナイフのようで、薄皮一枚を切られたようです。


「!」


 こちらを見た平民の顔が、見たこともないような表情をしました。

 憤怒と後悔。

 何よりも、誰よりも自分に対して怒っているような、そんな顔です。

 何ですの、そんな顔も出来るんじゃないですのよ。


 などと思いながら、わたくしの胸の内はぐしゃぐしゃになっていました。

 

 ――レーネが、わたくしを裏切った。レーネが、あのレーネが! わたくしを!!


 何か事情があるのでしょう。

 このわたくしをも裏切らざるをえない、何かが。


 それでも、それでも、それでも!

 あなただけは、最後までわたくしの味方だと思っていたのに、そう思いたかったのに!


 ――あなたまでわたくしを置いて行かないで、レーネ。


 母を失った時の喪失を思い出します。

 それはこんな首の切り傷とは比べものにならない、深い深いわたくしの傷跡。

 あの時も、わたくしは何も出来ないまま――。


 そこでわたくしはぐっと歯を食いしばりました。


 レーネはまだ生きています。

 母の時とは違うのです。

 今ここで何もしないままでいいわけがありません。


 だってわたくしは貴族であり、他ならぬ彼女の主なのですから。


「平民の分際で一人でなんとかしようなど、思い上がりも甚だしいですわ」


 両腕を振り払うと同時に火属性魔法を放つと、男たちがまとめて炎に包まれました。

 三つの悲鳴が響き渡ります。


「悲鳴まで下品ですこと。賊にはお似合いですわね」

「クレア様!」

「状況がよく分かりませんけれど、さしずめオルソーの二人が黒幕ということでよろしくて?」


 平民があまりにも悲愴な顔をしているので、余裕を示すためにあくびを一つかみ殺してから、わたくしは悠然と笑いました。


「レーネ、残念ですわ」

「……」


 わたくしにそう言われて、レーネがうつむきました。

 ええ、本当に。

 本当に残念ですわ。


 口に出して言いはしませんが、わたくしはレーネのことを実の姉のように思っていました。

 ……いえ、今でもそう思っています。

 彼女が裏切ったことはわたくしにとって信じられないほどショックですが今はそれは置いておきます。

 まずは彼女を止める――それだけを考えることにしました。

 レーネの明るい笑顔も、朗らかな声も、髪を梳く優しい指先も、今だけは頭の中から締め出しました。


「オルソー兄妹、やることは変わんねぇぞ」


 再びの場違いに明るい声と同時に、炎が突然やみました。

 男たちはほとんど倒れていますが、一人だけ何ごともなかったかのように立っています。

 見れば、顔に黒い仮面をつけた男が一人。

 わたくしの魔法の直撃を受けてなお平然としているとは、なかなかやるようですわね。


「仕事さえすりゃあ、海外に脱出させてやるよ。そしたらお前らは戸籍も変えて、晴れて兄妹じゃない恋人同士だ」


 なるほど、そういうことですの。

 禁断の恋、というわけですのね。

 以前から何となく察していたことではありますが、こうして突きつけられてみると、多少動揺もするというものです。


 しかし、今すべきことをしなければ。


「耳を貸してはいけませんわ。投降なさい」


 二人にこれ以上罪を重ねさせるわけには行きません。

 わたくしは降伏を呼びかけました。

 しかし――。


「申し訳ありません、クレア様。私たちはもう引き返すことなど出来ません」


 固い声でそう言って、ランバートは鈴を起動してしまいました。


 ◆◇◆◇◆


 その魔物は趣味の悪い前衛芸術家の作品のようでした。

 ライオンの頭と山羊の胴体、毒蛇の尻尾にコウモリの羽がちぐはぐにつなぎ合わされたそれ。


「キマイラですって!?」


 俗にキメラとも呼ばれるその魔物。

 強靭な肉体を持ち、口からは火炎を吐くといいます。

 この世界における魔物は、一般的に動物が体内に魔法石を取り込んで生まれる言われていますが、このキマイラは少し違います。

 人工的に作り出される軍用従魔なのです。


「クレア様、ここは一旦後退を。軍に任せましょう」


 平民が耳打ちしてきます。

 確かに合理的な判断です。

 何もここで二人だけで何とかする必要はないのですから。


 ――ええ、普通ならば。


「いいえ、ここで食い止めますわ」

「クレア様!?」


 わたくしには理由があるのです。

 ここに踏みとどまらなくてはならない理由が。


「軍を待てばその間に被害が拡大します。そうなれば、レーネたちが受ける刑は重いものにならざるを得ないはず」

「クレア様……」


 わたくしの言葉に平民は少し虚を突かれた顔をしました。

 でも、すぐに気を取り直して、


「はあ……、損な性格ですね。クレア様?」

「何がですのよ」

「この期に及んで自分を裏切った者の心配なんて」

「ち、違いますわ」


 心を読まれて、わたくしは動揺しました。

 付き合いの長いレーネならともかく、この者、どうしてこんなに的確に私の心を……?


 いえ、今はそんなことを考えている場合ではありませんわね。


「レーネはわたくしの所有物です。だからこそ、監督責任というものが――」

「あー、はいはい。ツンデレ乙です。今は緊急事態ですので、そういうのはいいです」

「……腹立ちますわね。まあ、いいですわ。あなたは軍の者を呼んできなさい」


 わたくしは平民に助けを呼んでくるように言いました。


「なに言ってるんですか。私も加勢しますよ」

「余計なお世話ですわ……と、言いたいところですが、今回は助かりますわね」


 正直、キマイラを一人で相手にするのは少々荷が重いというものです。


「なにせ私もクレア様の所有物ですし?」

「私はまだあなたを認めたわけじゃありませんのよ?」

「またまた」

「戯れ言はそこまでだぜ、お嬢ちゃんたち」


 わたくしたちのふざけた会話を、黒仮面の男が遮りました。

 時間稼ぎと見抜かれているようです。


「ランバート。お前もぐだぐだしてないで、さっさとキマイラを動かせ」

「……分かった」


 わたくしに魔物をけしかけるのはやはり躊躇いもあったのでしょう。

 それでも、ランバート様は鈴を鳴らしました。


「行け。貴族を根絶やしにしろ」


 主の命令を受け、キマイラが筆舌に尽くしがたい咆吼を上げました。

 ウォータースライムも使っていたスタン攻撃――ヘイトクライです。


「……っ! クレア様、動けますか?」

「誰にものを言っていますの。同じ過ちは二度と繰り返しませんのよ」


 先日は油断していて不意打ちを食らいましたが、きちんと臨戦態勢を取っていれば、ヘイトクライごときどうということはありません。


「キマイラの属性の分布はご存じで?」

「無論ですわ」


 キマイラは風以外の三種類の属性を持っています。

 ライオンの頭が火、山羊の胴体が地、毒蛇の尻尾が水です。


「私は補助に回りますので、クレア様は存分に攻撃を」

「よくってよ」


 わたくしは早速、懐から魔法杖を抜いて火属性の槍を生成しました。


「消し炭になりなさい!」


 槍はキマイラめがけて一直線に飛んでいきました。

 しかし、キマイラはその巨体に似つかわしくない俊敏な動きで尻尾を振り回し、わたくしの炎槍をはたき落としました。


「さすがに正攻法では厳しいですわね。頭も悪くないようですし」

「ならこういうのはどうでしょうか」


 平民は石矢を生成して、キマイラの後方に放ちました。

 狙いは――魔鈴を持っているランバート!


「お兄様!」

「させねぇよ?」


 悲鳴を上げるレーネをよそに、仮面の男が邪魔をします。

 男は風の障壁で平民の石矢をいなしました。


「術者を狙うっていうのは正しい考え方だが、ついさっきまで仲間だったヤツをためらいなく狙うたあねぇ? そっちのお嬢ちゃんはなかなか容赦ねぇな」


 黒仮面の男が嫌みったらしく言いました。

 平民とてランバートを殺そうとしたわけではないでしょう。

 一時的に行動不能にする程度に威力は加減されていました。

 鈴さえ使えなくしてしまえば、平民は水属性魔法の使い手です。

 回復はお手のもの、という狙いだったのでしょう。


 しかし、あの黒仮面がいる限り、ランバートを狙うのは難しそうです。

 となれば、やはりキマイラを倒すしかありません。


 と、その時キマイラが口を開きました。


「クレア様!」

「!?」


 平民がわたくしに飛びかかって押し倒すと、直前までわたくしたちがいた場所を、猛烈な火気が襲いました。


「危なかった……」

「今のは?」

「キマイラのファイヤーブレスです。想像以上の威力ですね」


 平民は咄嗟に水の障壁を貼ってわたくしを守ってくれたようですが、室内はひどい有様になっていました。

 今になって気がつきましたが、ここは学院内の分析室のようです。

 魔道具は軒並み焼け焦げていますし、レンガ造りの壁すらも一部が融解しています。


「外へ出ましょう」


 平民はランバートたちに聞かれないよう、小さな声でわたくしに耳打ちしました。


「! しかし、被害が広まってしま――」

「裏庭に誘導します。群衆はまだ一番広い第一運動場にいるはずです。学院生や職員さんたちは寮でしょうし」

「……分かりましたわ」


 わたくしは頷くと、溶けてもろくなっている壁に炎弾を叩き込みました。

 壁に人が通れるくらいの穴が開きます。


「逃げますわよ!」


 今度はわざとランバートたちに聞こえるように、わたくしは叫びました。

 同時に、二人して外へと駆け出します。


「追わせろ。財務大臣の娘だ。逃がすんじゃねぇぞ?」

「……」


 仮面の男の命令に従って、ランバートは魔鈴を鳴らすとキマイラに追撃を命じました。

 私たちが建物の外に出ると同時に、脆くなっていた建物が崩れ落ちました。


「敵がまとめて建物の下敷きになってくれてたりは――」

「しないようですわね」


 大地を震わせるような大音を響かせて、キマイラががれきの中から飛び出してきました。


「くっ! 炎よ!」


 鈍そうな外見に似合わない速度で迫り来るキマイラに対し、わたくしは炎の矢を浴びせかけました。

 炎槍よりも小さですいが、数が多く小回りがききます。

 炎矢はキマイラを包み込むように着弾しました。


 しかし――。


「直撃したのに!?」


 キマイラはそれに構わず突っ込んできました。

 小さな傷があちこちに出来ていますが、動きを止めるほどではなかったようです。

 キマイラの巨体が目前に迫り、禍々しく鋭い爪が振り上げられました。


「凍り付け」


 キマイラの全身を特大の氷の中に閉じ込められました。

 ズシンと重い音を立てて氷が落ち、ようやくキマイラの動きが止まります。


「……なんていう非常識な魔法ですの」

「クレア様のピンチともなれば、これくらいの真似は出来ますよ」


 などと軽口をたたき合いつつも、わたくしたちは警戒を解いていません。

 案の定、獅子の雄叫びを上げ、キマイラはまたブレスを吐いて氷を跡形も無く溶かしてしまいました。


「全身を芯まで凍り付かせることは出来ませんの?」

「あまり上策ではありませんね。あの巨体だと瞬時には無理ですし、時間を掛けても水属性の尻尾が健在だと思います」

「……どうしたものかしら」


 そうこう考えている間も、キマイラの猛攻は続きます。

 わたくしはまだまだ戦えますが、平民の方は疲れが出て来たと見えて、そろそろ限界が近いようです。


「クレア様、ここは人生最初の共同作業と行きましょう」

「何をすればいいんですの?」


 もたもたしていると平民が危険です。

 妄言には構わず、わたくしは彼女に続きを促しました。


「以前、セイン様がやった属性付与です。水属性を付与しますから、頭を狙って下さい」

「でも、また尻尾で叩き落とされてしまうのではなくて?」

「学院騎士団の入団試験でお使いになった、クレア様の切り札を使って頂けますか?」

「……なるほど。でも、あれにはちょっとだけ溜めが必要ですのよ」

「時間を稼ぎます。その間に」


 マジックレイまでの時間を、自分が稼ぐと平民が請け負いました。


「あなたを信頼しろと?」

「出来れば」

「……ふん、まあいいですわ」


 残された選択肢も多くはありません。

 ここは平民に賭けてみようじゃありませんの。


「火よ!」


 わたくしは小さな火弾を無数に生み出してキマイラに放つと同時に、マジックレイのために集中しました。

 意識の外で火弾が次々と山羊の胴体に着弾するのを感じますが、キマイラはやはりそれを無視して突っ込んで来るようです。

 わたくしはまだ動けません。

 まだ距離があると思っていましたが、キマイラが大口を開けました。

 ブレスが来ると分かりますが、ここで回避行動をとればマジックレイは中断されてしまいます。


 ――平民、信頼に応えて見せなさい!


「凍り付け」


 平民の魔法が間に合い、キマイラの足が再び止まりました。


「今です、クレア様!」


 マジックレイの発射態勢が整うのと、キマイラが氷を砕くのはほぼ同時でした。

 大きく開かれたキマイラのあぎとから、ファイヤーブレスが放たれます。


「光よ!」


 四条の光が、キマイラのブレスをも断ち切って迸りました。

 わたくしのマジックレイは、ブレスのために大口を開けていたキマイラの口腔を突き抜けて全身を串刺しにしました。

 悲鳴を上げてキマイラの巨体が倒れ、今度こそ動かなりました。


「やりましたわね」

「お疲れ様でした。さすがです、クレア様」


 わたくしも平民も、一瞬、緊張の糸が切れていたのでしょう。

 そこに、油断がありました。


「大したもんだが、やっぱりお嬢ちゃんだな」


 いつの間にかそばに近づいて来ていた黒仮面が、わたくしに向かってナイフを振り下ろしました。

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