第30話 禁断

 ※ランバート=オルソー視点のお話です。


「完成したか?」

「はい」


 同僚の研究員――にしか見えない別人の声に、私は答えた。


 ここはバウアー王立学院内にある研究施設の一つである。

 主に魔物を研究する部署で、私は学生ながらここの研究員としても籍を置いていた。

 施設のあちこちには魔物の剥製や薬品漬けが置かれており、初めてここに来たときは怖気が走ったものだ。


 目の前の彼は私がその一員として登録されているこの研究所の同僚に見える。

 だが、実際の彼はここにはいない。

 今私が目にしているこの男は、忌まわしきあのナー帝国からの刺客である。


 私は彼に手のひらに載るサイズの鈴を示した。


「ふーん? そいつが魔物を操るっていう魔道具か。思ってたよりちぃせぇな」

「軍で使用することを前提にしているものですからね。あまり大きくては実用に耐えません。それに操れる魔物にもまだ限りがあります」

「でも、いけんだな?」

「……はい」


 男の確認する声に、私は頷いた。

 そう。

 私はこれから恐るべき悪事に荷担する。

 キマイラを暴走させ、学院内の学生たちを殺戮する、という暴挙に。


「キマイラの方の仕込みはどうなんだ?」

「そちらも抜かりはありません。サーラス様のお陰ですね」


 今から約一年前に起きたキマイラの脱走事件のことを思い出す。

 クリストフ様が騎士団を追われるきっかけになったあの事件の首謀者は、バウアー王国宰相サーラス=リリウム様だ。

 サーラス様の配下の者によって逃がされたキマイラに、私はある細工をした。

 従魔の研究から発見した、外部から魔物の行動を制御する細工を。


 私はこの事件をきっかけに学院の深くに入り込むことに成功した。

 全ては仕組まれていたことだった。


 理由は知らされていないが、サーラス様は学院の有力貴族の子弟を害することを目的としているらしい。

 大方、政敵となる家の跡継ぎを潰すとかそんなことだと思うが、貴族たちが考えることは分からない。

 とにかく、私はその計画のために送り込まれたサーラス様の手駒だ。


 私がそれを知ったのは随分後になってからで、当時は目の前の得体の知れない男だけが連絡役だった。

 私たちの望み(・・・・・・)を叶えてやると言われ、最初はただ魔道具の研究を手伝わされた。

 しかし、その魔道具の使い道は途轍もないテロリズムだった。


 私は手を引こうと思ったが、そこでサーラス様と引き合わされた。

 サーラス様は私たちが抱える苦悩に真摯に耳を傾けて下さり、そしてご自分が目指すことの大義を私たちに示して下さった。

 もう私たちに迷いはない。

 サーラス様の大願を成就し、そして私たちも――。


 そこで、ふと疑問がもたげた。


 私たちの願いとサーラス様の陰謀に何の関係があるのか。

 何か……私たちは何か、とてつもない間違いを犯しているのではないだろうか。


 しかし、その疑念はすぐに霞みのように霧散してしまう。

 私たちはただ、あの方に従っていればいいのだと、理由の分からない安心感に包まれる。


「まだ効いてんな」

「? 何のことです?」

「いいや、なんでも。父上もまあ残酷なことをするよなあ。俺を含めて」

「先ほどから何を?」

「独り言さ。で、決行は三日後でいいんだな?」

「はい」

「いいぜ。本国にゃあそのタイミングで軍を動かすよう伝えておく。後は任せておけ」

「……あの、オルタ様」


 私は男の名前を呼んだ。

 彼の名前はオルタ様というらしい。

 偽名だろう。

 彼は毎回違う姿で現れる。

 帝国の諜報員だと聞かされているが、それすら定かではない。


「あんだ?」

「その……大丈夫なのでしょうか、こんなことをして」

「大丈夫って何がだ。王国貴族たちは大丈夫なわけなかろうが、お前たちに関して言えば、大丈夫だろうよ」

「……」

「それとも今さら諦めるか? 愛しい妹と結ばれることを」

「いいえ」


 そう。

 それが私の――私たちの望み。

 愛してはいけない相手を愛してしまった私たちに残された、数少ない選択肢がこれだった。

 私はレーネを愛している。

 レーネも私のことを異性として思ってくれている。

 私たちは血の繋がった兄妹だ。

 普通なら、結ばれることは叶わない。


 だが、オルタ様は――サーラス様は、そんな私たちに恋人同士として暮らせる人生を用意してくれるという。

 私はそれを信じるしかない。


 ――でも、本当にそれでいいのだろうか。


「……揺らいでるな。まあ、三日後まで持ちゃあいいか」

「?」

「こっちの話だ。あと少し我慢しな。そうすりゃお前たちは数日後には晴れて恋人同士だ」

「はい。よろしくお願いします」

「おう」


 そういうと、オルタ様は研究所を出て行った。

 私は大きく一つ溜め息をつく。


「……帰ろう」


 ◆◇◆◇◆


 私は実家であるオルソー家から離れて、学院の寮で暮らしている。

 理由はもちろん――。


「お兄様」

「ただいま、レーネ」


 帰宅した私を妹のレーネが迎えてくれた。

 仕事着のメイド服は脱いで、今は寝間着になっている。

 彼女の住まいは使用人寮だが、毎日のように私の部屋に遊びに来ていた。


 私の部屋は少し特殊で、通常二人部屋なところを一人部屋をあてがわれていた。

 一人部屋といっても小さな部屋で、実際には特別待遇というよりも、一人しか住めない隅の部屋を割り当てられているというだけの話だ。

 気楽ではある。


「レーネ、計画の決行が決まったよ」

「……とうとう、始まるんですね」


 私の言葉に、レーネが悲愴な顔をした。

 彼女には計画の全貌は話していない。

 もし話せば、彼女は確実に反対するだろうから。


「お兄様、その計画って本当に信用出来るものなんでしょうか。私には……なにか話が出来すぎている気がします」


 不安なのだろう。

 レーネはそう言って私の胸にすがりついてきた。


「大丈夫だよ、レーネ。詳しくは話せないけれど、契約を交わした相手は社会的地位もある信用出来る方だから」

「そんな方が相手なら、約束を一方的に反故にされることもあるのでは?」

「……」


 言われてみればそうかもしれない。

 どうして私はそんな重大なリスクを見落としていた?

 私は改めて、自分の置かれた状況を客観視しようとした。


「……大丈夫だよ、レーネ。私を信じて?」

「お兄様……」


 しかし、私の頭はもやが掛かったように働かなかった。

 何故か大丈夫という気がした。

 疑うことは許されない、と強く思う。


「食事を作ってくれたんだね。ありがとう。でも、レーネはもう遅いから寮に帰った方がいい」

「でも――!」

「大丈夫、心配はいらない。全て私に任せて。上手くやるから」

「……はい。おやすみなさい」


 レーネは儚く微笑むと、部屋に戻っていった。

 一人になってから、レーネが作ってくれた食事を食べる。

 どれもこれも、愛情のこもった料理だが、素材は至って質素だ。


 思えば、レーネには苦労ばかり掛けてきた。

 計画が上手く行きさえすれば、こんな生活ともおさらば出来る。

 そしてその日は、もうそう遠くはないのだ。


「もう少しの辛抱だからね、レーネ」


 致命的な過ちを抱えたことに気付かぬまま、この時の私は幸せな日々が訪れることを確信して疑わなかった。

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