第28話 平民の脅威
ディード=マレーがマット=モンを無礼打ちした事件は、最悪の展開を迎えていました。
事件は「中庭事件」と呼称され、傲慢な貴族がか弱い平民を一方的に迫害した事件として報じられ、それは一般市民から強烈な批判を浴びることになりました。
それだけではありません。
背景にあった平民運動も相まって、怒れる民衆は群れを成して学院や王宮へと抗議の声を上げ始めました。
普段は開かれている学院の門も今は固く閉じられ、外から聞こえて来る怒号に貴族たちは眉をひそめています。
「……はあ」
「……ふう」
「ちょっと、ピピ、ロレッタ。そんな風に大きな溜め息をつかないでちょうだい。お茶が不味くなりますでしょ」
「あ、すみません、クレア様」
「申し訳ありません」
ここはいつもの東屋です。
学院の講義がしばらく休講になることが決まっているので、わたくしたちはここでお茶をしています。
レーネが甲斐甲斐しく給仕をしてくれていますし、今日のお菓子はブルーメから取り寄せたチョコレート。
でも、お茶会はあまり話が弾んでいませんでした。
「不安に思うのはしかたありませんけれど、どうにもなりませんでしょう? もはや矢は放たれてしまったのです。なるようにしかなりませんわ」
「それは……そうかもしれませんけれど……」
「……」
わたくしの言葉に、ピピは言い淀み、ロレッタに至っては無言でした。
中庭事件後、平民たちの行動が過激化したのは、事件そのものよりもそれに対する沙汰に原因があります。
マット=モンは危うく命を落とすほどの重傷を負ったのに対して、ディード=マレーに言い渡された罰は僅か一週間の謹慎でした。
いかに貴族寄りに物事を考えるわたくしでも、これが悪手過ぎることは分かりました。
刑罰があまりにも軽すぎます。
ロッド様の分析によると、その背後には貴族至上主義派閥や精霊教会の暗躍があったということですが、その者たちはこうなることを分かっていたのでしょうか。
「クレア様」
「なんですの、ロレッタ」
ロレッタが紅茶を置いて暗い顔で言うので、わたくしはできる限り柔らかい口調で先を促しました。
「私、怖いです。平民たちが」
「平民が? どうしてですの?」
「怒ったら、何をするか分からないじゃないですか。このまま行くと、彼らがどんな暴力に訴えるか……」
「あなたらしくもない。クグレット家は武門の名家でしょう? 平民など恐るるに足らずとは言えませんの?」
「武門の家だからこそ、分かるんです。平民は数が多く、今は魔法という力もあります。恐らく今はまだ軍の方が力が強いでしょうけれど、ゆくゆくはこのバランスは逆転する時が来ると思うんです」
そして今回のことは、そのきっかけになるのでは、とロレッタは弱々しい口調で言いました。
「考えすぎじゃありませんこと? 確かに平民は数が多いですし魔法という力も普及し始めていますけれど、軍は特別な訓練を受けた精鋭でしてよ? 平民ごときが束になってかかってきたところで――」
「一人に対して、三人」
「……なんの話ですの?」
珍しく、わたくしの話を遮るように言ったロレッタに、わたくしは聞き返しました。
「訓練を受けた一人の軍の兵士が、同時に相手を出来る限界人数です」
「三人? たったの三人なんですの?」
「そうです。もちろんそれは、お互いに魔法を使えなかった場合の話ですが、話を白兵戦に限れば、いかに軍の兵士の練度が高くても相手に出来る数には限界があるんです」
想像以上に少ない数字に、わたくしは驚きました。
ロレッタが平民たちを恐れているのは、過敏になっているわけでは決してなく、彼我の戦力差を正確に知っているがためのようです。
「でもわたくし、魔法アリなら平民が十人来ても圧倒する自信がありますわ」
「クレア様はお強いですから。軍の兵士の中にも魔法を使える者はいますが、クレア様ほど使える者となると限られる程しかいませんよ」
「……」
何でも自分基準で考えるなと言われた気がして、わたくしが少し反省していると、
「わたしも、ロレッタの意見に賛成です、クレア様」
「ピピまで……」
「だって私、クレア様やロレッタみたいに強くありません。実戦の講義だって嫌で嫌で仕方ないですし、ウォータースライムが現れた時なんて一歩も動けませんでした」
ずっとヴァイオリンだけ弾いていたいのに、とピピはこぼしながら続けます。
「ねえ、クレア様。今からでも、ディードへの処罰内容を変更することは出来ないのでしょうか」
「何を言い出しますの、ピピ。そんなこと出来るわけないでしょう」
司法権はバウアーでは慣例的に精霊教会の領分です。
貴族の影響力が全く及ばないとは言いませんが、貴族たちが司法に関わることにロセイユ陛下はいい顔をしないでしょう。
「普通なら無理かも知れません。でも、クレア様なら何とかお出来になるのではありませんか?」
「無茶を言わないでちょうだい。わたくしに何が出来るというんですのよ」
「ドル様から貴族至上主義派に掛け合って頂くことは出来ませんか? ドル様も極端な思想には走っていらっしゃいませんが、貴族主義派ではあるはず。至上主義派とのチャンネルはお持ちのはずです」
「それは……」
確かにあります。
ありますが、その相手となるのは――。
「お願いです、クレア様。話だけでもドル様に持ちかけて下さいませんか?」
「ピピ……」
「私からもお願いします、クレア様。私は平民と戦いたくありません」
「……」
他ならぬ二人からそう言われてしまっては、仕方がありません。
「……お父様に話してみますわ」
わたくしがそう言うと、二人は少しだけ安心したように笑いました。
◆◇◆◇◆
「ムダだよ。彼らは聞く耳を持たないだろう」
ここはフランソワ本邸にあるお父様の書斎です。
お父様は革張りの椅子に深く腰掛けると、パイプをふかしながらそう言いました。
ピピたちからの依頼を受けた翌日、わたくしは外出届を出してお父様に面会を申し出ました。
用件はもちろん、貴族至上主義派への働きかけです。
しかし、話を聞いたお父様は、即座にそれを不可能と切って捨てました。
「どうしてですの? 今の状況は貴族たちにとってもいいものではないはずです。ディードへの沙汰に貴族至上主義派が動いていたことは明白。彼らも責任を感じているのでは?」
「そんな殊勝なことは考えないよ、連中は。彼らにあるのは保身と権力欲だけだ。平民たちの怒りなど、放っておけばそのうち収まると思っているだろうね」
そう言って、もう一度パイプをふかしました。
「でも、このままでいいはずがありませんわ。平民たちの言い分にも一理あるとわたくしは思います。今のままでは平民たちは怒りの持って行き場がありませんわ」
「では聞くが、クレアはどうしたらいいと思うね?」
「至上主義派……特に、トップのアシャール侯爵を説得するしかないかと」
言いながら、難しい話だとわたくしも思いました。
フランソワ公爵家とアシャール侯爵家は、第一王子派の主導権を巡って対立しています。
もしここでわたくしたちが侯爵に譲歩を迫れば、向こうは当然見返りを求めてくるでしょう。
そして彼らが最も欲しているのは、第一王子派における主導権に他なりません。
それはフランソワ家にとって決して譲ることの出来ないものです。
「無理だろうね。クレア、お前の顔にもそう書いてある」
「……」
内心を見透かされて、わたくしは黙るほかありませんでした。
「条件次第では、確かにクレマンも譲歩に応じるかも知れない。だが、その際に要求される見返りは非常に大きいものとなるだろう。そう、我が家にとって看過出来ないほどにね」
「……」
「我が家が平民に対してそこまでしてやる義理があると思うかね、クレア?」
「……思いません。でも!」
「話は終わりだ、クレア。下がりなさい」
そう言うと、お父様は椅子をくるりと回して後ろを向いてしまいました。
無力。
あまりにも無力。
わたくしは打ちひしがれたまま、部屋を出て行こうと思いました。
その時、ピピとロレッタの顔が浮かびました。
不安そうな顔でわたくしに助けを求めて来た二人に、このまま何も出来ませんでしたと報告するというの?
そんなこと……そんなこと出来ませんわ。
気がつくと、わたくしはお父様に向かってこう言い放っていました。
「お父様が出来ないのなら、わたくしがやりますわ。クレマン様に会って話す許可を下さいまし!」
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