第27話 中庭事件

「大変です、団長!」

「なんだ騒々しい」


 何度目かの学院騎士団の会合中に、その一報は飛び込んできました。

 知らせを持ってきた男性騎士は顔面が蒼白になっていたことを、わたくしはよく覚えています。


「貴族学生の一人が、平民学生を手打ちにした模様です!」

「なんだと!?」


 室内は騒然としました。


「詳しく聞かせろ」

「はい。本日の昼過ぎ、学院の中庭において貴族のディード=マレー様と平民の男が言い争いになったようです」

「ディードが!?」


 ユー様が血相を変えました。

 ディードはユー様の側仕えで、本人も貴族です。

 最近だと、ミシャや平民と一緒にトランプをした時、ディーラーを務めていたのが彼でした。


「それでさっきから姿が見当たらなかったのか……」

「……ユー、今は報告を聞こう」


 セイン様が先を促しました。


「……続けろ」

「はい。最初はただの言い争いだったようなのですが、次第に周りの人間も巻き込んだ騒ぎになったようです」


 騒ぎは広がり、やがて貴族学生対平民学生の構図になってしまったようです。

 背景に平民運動があるのは間違いないでしょう。


「それで……どうも、平民の一人がユー様を侮辱する発言をしたようで、それに腹を据えかねたディード様が魔法で攻撃を加えたとのこと」

「そんな馬鹿な……。あのディードに限って」


 ユー様は信じられない様子でした。

 それは私も同じです。

 いくら無礼を働いたからと言って、力でそれをねじ伏せるのは最終手段です。

 その平民が何を言ったのかは分かりませんが、それでもこれは異常事態であると言えます。


「情報が錯綜しているので、真実は別の所にあるのかもしれません。ただ、平民の男が重傷を負って教会の治療院に運び込まれたこと、ディード様が自ら軍に出頭したことは事実のようです」


 実際に重傷者が出ている、と聞いて、ユー様の顔がさらに蒼白になります。

 でも、彼はまだディードがそんな真似をしたことが信じられないでいるようでした。


「ユー、お前は軍に行って、ディードから詳しく話を訊け。いいよな、団長?」


 ロッド様の判断は迅速でした。

 起こってしまったことをとやかく言うよりも、何が起こったかを正確に把握し、これからすべきことを的確に判断しようと動き出しました。


「はい、そうして頂けると助かります。軍から聴取を受けているのであればすぐには面会出来ないでしょうが、それが終わっても、拘束中に面会が許されるのは家族かユー様くらいでしょうから」


 ローレック団長も頷きます。


「状況が状況です。護衛にランバートをつけます」

「分かったよ。行ってくる」


 ユー様とランバートは早足に会議室を出て行きました。


「平民側の情報も欲しいな」

「私が行きましょうか? 私なら同じ平民ということで、話が聞きやすいかもしれません」


 申し出たのはミシャでした。

 表面上は冷静に見えるものの、内心は気が気では無いでしょう。

 何しろ事件はユー様に近いところで起こったのですから。

 ミシャは冷静さを保っていますが、ユー様のために何かしたいという気持ちを強く感じました。


「ミシャだけじゃ面会の許可が下りるまい。クレア、お前も行け」

「かしこまりましたわ」

「なら私も」


 ロッド様の命に頷くと、隣で平民も頷きました。


「頼む。オレたちは学院内の様子を見て、必要があれば対応に回ろう。事態がややこしくなる前に収拾するぞ」


 ロッド様が皆を見回して言います。


「では、みんな動け!」


 ◆◇◆◇◆


 治療院は精霊教会が運営している医療施設です。

 病気や怪我をした人間がやってきて治療を受ける場所なのですが、貴族にはあまり評判が良くありません。

 原因はその治療費の掛かり方にあります。

 財産が多い人ほど高額で、貧しい人ほど安いのです。

 この事業のために、教会は平民から絶大な支持を得ています。

 教会が支持されるのは、何も宗教上の理由だけではないのでした。


 治療院はあちこちにありますが、ここ王立学院にも併設されています。

 今回、負傷した男子学生が運び込まれたのはこの治療院だということです。


「彼はまだ治療中ですので、もうしばらくお待ち下さい」


 治療院に到着次第、事情を説明して面会を求めましたが、まだ治療中だったらしくすぐには会わせて貰えませんでした。

 しかたなく、待合室で待機します。


「あ、あの……良かったらお茶をどうぞ」


 赤い目をした修道女が、お盆でお茶を勧めてきました。

 わたくしは軽く礼を言って、それを受け取ります。

 修道女はミシャや平民にもお茶を配っているようでした。


「ち、治療はそろそろ終わると思います。も、もう少しだけお待ち下さいね」


 そう言って頭を下げると、修道女は奥に下がって行きました。


「……大方、平民がとんでもない暴言を吐いたのでしょうね。自業自得ですわ」


 待っている間手持ち無沙汰だったので、思ったことを口に出してみました。

 無礼打ちはやり過ぎにしても、そんなことをしてしまうほどのことを、平民が言ってしまったに違いありません。


「でも、魔法を使って攻撃するというのは、明らかに過剰防衛ではありませんか?」


 ミシャはそう反論しました。

 それはわたくしも思っていたことなのですが、感情がそれを認めることを邪魔します。


「そもそも、平民が貴族に対して悪口雑言を口にするという事態がおかしいのですわ。立場が逆ならまだしも……。いつから平民はこんなに分を弁えなくなってしまったのでしょう」

「逆ならいいって訳ですか?」


 普段はわたくしが黒と言えば黒とでも言いそうな平民までもが反論してきました。

 意外なことに、わたくしは少し動揺しました。


「それは……。貴族だってみだりに汚い言葉を口にすることはよくありませんけれど……」

「あ、でも、私にはどんどんどうぞ。むしろ罵って下さい」

「自重なさい」


 平民がいつもの調子でふざけようとするので、時と場合を選ぶよう咎めました。


「クレア様、施術が終わりました。お入り下さい」


 そうしてしばらく待っていると、怪我をしたという男子学生のところに通されました。


「なっ……!?」


 その姿を見て、わたくしは息を飲みました。

 男子学生は全身、包帯に巻かれていない所の方が少ないほどの大けがだったからです。

 怪我をしたとは聞いていましたが、よもやこれほどとは……。

 これを自業自得と切って捨てるのは、さすがに無理があります。

 ミシャの言った過剰防衛という言葉が頭をよぎりました。


「……」


 ミシャとわたくしがどう声を掛けたものか分からないでいると、平民が膝を突いてベッドの男子学生に目線を合わせました。


「私はレイ=テイラー。あなた、お名前は?」

「……マット。マット=モン」

「マットだね。私たちは学院騎士団を代表して話を聞きに来たの。傷が痛むだろうけど、少しだけ協力してくれないかな」

「断る」


 マットとやらは、強い拒絶を含んだ声でそう言いました。


「学院騎士団なんて貴族の味方だろ? 何も話すことなんかない」


 話によれば、マットは平民運動の活動をしていました。

 貴族に対して強い反感を持っていたはずです。

 それに加えて今回のこの事件――彼がわたくしたち騎士団に対して敵愾心を燃やすのは、なんら不思議なことではありませんでした。


「学院騎士団は貴族の味方じゃないわ。学院生全ての味方よ」


 ミシャが落ち着いた声色を作ってマットを説得しようとしました。

 しかし――。


「そんな建前は結構だ。帰ってくれ」


 そう言ってマットはこちらに背中を向けてしまいました。

 とりつく島もありません。


「ねえ、マット。こういう言い方はしたくないんだけど、話した方がいいと思う。ただでさえあなたは私と同じ平民で、貴族相手のいざこざは分が悪いんだから」

「! やっぱりか! この国に正義なんてないんだ! だから僕たちはこの国に正義を――痛っ!」


 平民の言葉はマットの神経を逆なでしたようです。

 がばりと上体を起こして激昂する彼を、ミシャが慌てて宥めました。

 平民が続けます。


「落ち着いて、マット。私たちはそういう不条理が起きないようにするためにここに来たの。だから、何があったのか教えて?」

「……」

「お願い」


 わたくしは驚きました。

 平民が普段のふざけた調子とは一変して、とても真摯な態度でマットに向き合っていたからです。

 彼女とわたくしは同い年のはずですが、マットの頑なな心を解きほぐそうとする彼女は、ずっと年上にすら見えました。


 マットはしばらくの間黙っていましたが、やがて重い口を開きました。


「最初は……ただの口げんかだったんだ」


 マットは以前ユー様に接触してきたという平民運動家本人だったようです。

 彼は活動団体を代表してユー様から教会勢力の協力を取り付けようとしたようですが、それは失敗に終わりました。

 仲間は仕方ないと慰めてくれたものの、自分が仲間の力になれなかったことで、マットは深く落ち込みました。

 そんな時に、ディードからもうユー様に近づくなと警告されたとのこと。


「何様なんだよ、貴族って。富と権力があるのにそれを振りかざすだけで、僕たち平民のことなんて考えやしない。僕たちは請願を行うことさえ許されないっていうのか?」


 そんな思いから、マットはディードを責めたようです。

 ディードは最初こそ理知的に応じていたようですが、主であるユー様をあしざまに言われてカッとなったのでしょう。

 貴族に守られておきながら、どうしてそんな恩知らずなことが言えるのか、とマットは言われたそうです。


「そうこうしてる内に、周りに人だかりが出来て……」


 貴族学生たちと平民学生たちで大規模な言い争いになってしまった、と。

 議論とも言えない議論はどんどんヒートアップして行き――。


「あんまりにも頭にきて……。それで僕、つい言っちゃったんだ」


 ――王侯貴族なんて、平民から税を吸い上げるだけの寄生虫だ、って。


「なんてことを」


 あまりにもあまりな暴言に、わたくしは怒りがこみ上げました。

 貴族が平民たちの生活のために、どれほどの努力と献身をしていると思っていますの。


 そう言おうとしましたが、それは平民に止められてしまいました。


「クレア様。今は何も仰らないで下さい。お気持ちは分かりますが、意味がありません」

「でも!」

「苦情はあとで私が全て引き受けます。今はマットの話を訊くのが先決です」

「……く」


 悔しいですが、ここは平民の言うことが正しいと思いました。

 隣のミシャを見やると、彼女も首を横に振ります。

 わたくしはひとまず矛を収めることにしました。


「それで? それに対してディード様は?」

「それまでも不愉快そうな顔はしてたけど、その一言で鬼みたいな顔になって杖を抜いて、気がついたら僕は火だるまにされてた」


 その時のことを思い出しているのか、マットは自分の肩を抱いて震えました。


「次に目を覚ましたら、ここのベッドの上だった。あいつにやられたんだって気がついたのは、その時になってやっとさ」


 マットの声に悔しさが滲んでいました。

 目には涙さえ浮かんでいます。

 その姿を見て、わたくしは自分の中に残っていた彼への怒りがしぼんでいくのを感じました。


「学院騎士団が本当に学院生全員の味方だって言うんなら、お願いだよ。あいつを厳罰に処してくれ」

「処分を決めるのは学院だし、ディード様の方の話も伺ってからになるけど、大丈夫。あなたが泣き寝入りするようなことにならないように努力するよ」

「……頼むよ」


 マットはそれだけ言うと、布団の中に潜ってしまいました。


「彼を休ませて上げましょう。話は聞けましたし」

「そうね」

「……」


 わたくしたちは病室を後にしました。

 その間、わたくしはずっと考えていました。


 ――悪いのは、責められるべきは、一体どちらなのだろう、と。

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